解けることない、優しい呪いみたいな恋だった



『私の世界はいつだって、油絵具を網膜に直接塗りたくられるような、色鮮やかな暴力に満ちている』


 薄っぺらい歓喜の黄色。媚びを含んだ、甘ったるいピンク色。
 グラスの中で弾けるシャンパンの微炭酸のように、軽薄で無自覚な感情のノイズたちが、広々とした個展会場を満たしている。

「先生、素晴らしい作品ですね。特に、あの中央の硝子の深い色合いが……」
 若い画商の媚びた声で、私の意識は現在へと引き戻された。
「ええ。ありがとうございます」
 私はプロのステンドグラス作家として、完璧な愛想笑いを浮かべる。
 あの土砂降りの夜から、もう何年も経った。
 私は自分のアトリエを持ち、自立し、自分の足でこの世界を歩いている。他人の感情のノイズから身を守る術も身につけ、もう、濃いサングラスで顔を隠す必要もない。
 ノイズは相変わらずそこにあるけれど、ただ「そこにあるもの」として受け流せるだけの、穏やかな諦観と静かな呼吸の仕方を、私はもう知っている。

 あの土砂降りの歩道橋で、彼の色が完全に消失した夜から、もう数年が経った。
 その後、彼とは一度も会っていないし、行方も知らない。あの静かなアンティークカフェがあった路地裏の店舗には、今はもう、見知らぬ流行りの美容室が入っている。
 彼は幻のように、私の前から姿を消した。
 ひどく傷つけられ、身代わりの人形として利用されていた。その残酷な真実を知った夜は、身が引き裂かれるほど泣いた。
 でも、彼と過ごした時間、私を包み込んでくれたあの空間のすべてが、完全に嘘だったわけではないと、今の私には分かるのだ。
 利用されていた事実は変わらない。狂気の中で作られた鳥籠だったことも、真実だ。
 でも、彼が作ってくれた温かいオムライスの味も、私をノイズから守ってくれたあの分厚い水色の安らぎも、決して嘘ではなかった。

 カチン、と隣のブースから微かな物音が響いた。
 誰かの感情の波が揺れるのを感じながら、私はふと、昨日の夜に自分のアトリエで作った夕食を思い出す。
 他人が作った料理の味には、他人の感情のノイズがこびりついていて、ひどく疲れてしまう時がある。
 けれど、キッチンに立ち、自分で昆布から出汁を取って作った熱々の卵雑炊や、時間をかけて煮込んだホロホロの豚の角煮を口に運ぶ時だけは。
 不思議と、あの静かで、波一つない温かな水色の時間が蘇ってくるのだ。
 美味しくて、ノイズがなくて、一人でもちゃんと息ができる時間。
 それは、彼が私の中に置いていってくれたもの。
 私をあの地獄のような極彩色の世界から掬い上げ、一人で立つための術を教えてくれた。
 彼に対する憎しみも、どうしようもない愛しさも、すべてひっくるめて。それは一生消えることのない「プラスの呪い」として、私の血肉となり、根付いている。

「先生、やはり今回のメインピースは、圧巻ですね」

 画商の初老の男性が、感嘆の声を漏らしながら私に歩み寄ってきた。
 彼が見上げる先。個展会場の中央に鎮座しているのは、私が数ヶ月をかけて組み上げた最新作のステンドグラスだ。
 見上げる。
 そこに、かつて彼が過去の親友に向けていたような、狂気じみた赤や、悲鳴のような青紫はない。
 ただひたすらに穏やかで、優しく、波一つない。
 ――透き通った、完璧な『水色』のガラスだけで構成された、巨大な一枚の窓。

 それは、過去の誰かの残滓を共感覚でなぞったものではない。
 私自身が彼からもらった痛いほどの愛と、引き裂かれるような喪失の痛みを糧にして、私自身の生身の手で生み出した、本当の私の「水色」だった。

 窓から差し込む西日が、水色のガラスを透過し、個展会場の床に美しく静かな影を落としている。
 その優しい光だまりを見つめながら、私は眼鏡の奥で、静かに微笑んだ。

「あの夜、私は世界で一番美しい色を失った。でも、彼が残した痛みが、今の私を鮮やかに彩っている」

 ――それは、絶対に解けることない、優しい呪いみたいな恋だった。