キャッチボールをもう一度。

「宮下せんしゅのお嫁さんになりたい!」

 プロ野球選手の宮下彰伸は、完全試合と沢村賞獲得を達成したシーズンオフに帰省した実家で、片手に色紙とスマホを持つ見知らぬ少女からプロポーズされた。

「なんだ、急に」

 縁故の者が集まってはいるが彰伸にとって関わりのない親族も多く、目の前で突拍子もないことを叫んだ黒髪の少女の名前すら知らなかった。
 戸惑う彰伸に、少女は目を輝かせて手に持つスマホを差し出す。

「宮下せんしゅ、写真とって」
「写真。写真か」

 少女を相手にしながら、彰伸は徐々に戸惑うような状況でもないことに気が付き始める。
 突発的なファン対応ってことだろ、これ。
 そう考えると自ずと少女への態度への対応が変わってくる。
 球団主催のサイン会でファンと対しているように、彰伸は口の端を上げるようにして少女に笑い掛ける。

「俺との写真が欲しいのか?」
「写真と、それとサインも欲しい」

 小さな背を伸ばすようにして少女がスマホと色紙を差し出した。
 彰伸はスマホと色紙を受け取りながら微苦笑を返す。

「本当は非公式でサインとかしない方がいいんだけど、ちゃんと手元に残してくれるって言うなら特別にサインしてやるよ」
「わたし宮下せんしゅのファンだから、宮下せんしゅが悲しむことしない」
「そうか。じゃあ特別にな」

 軽く口約束してから、彰伸はスマホ写真の画角に収まりやすいように少女の横に屈んだ。
 少女は嬉しそうにスマホを翳して、彰伸とのツーショット写真を撮る。

「ちゃんと撮れたか?」
「うん。ばっちり」
「次はサインだな。ペンは持ってるか?」
「宮下せんしゅに会えるかも、と思って持ってきた」

 そう言って少女はサインペンを見せる。
 少女からサインペンを貰い、彰伸は慣れた手つきで色紙にサインを書き残す。

「これでいいか?」

 サインした色紙を返すと、少女は満面で笑って大きく頷いた。

「サインありがとう。宮下せんしゅ」
「大事にしてくれよ」
「宮下せんしゅ、大好き」

 憧れのプロ野球選手からサインを貰って興奮しているのか、少女は恥ずかしげもなく好意を告げた。
 今度は彰伸も困惑した顔は見せず、プロ野球選手として笑顔で対応する。

「ありがとな。これからも応援してくれ」
「大きくなったら、宮下せんしゅのお嫁さんになりたい」

 出会い頭の意思を再び少女が口にした。

「それは楽しみだ。君が大きくなったら真剣に考えてみようかな」

 少女がいつまで自分のファンでいてくれるかも定かでないため、彰伸は社交辞令のような気分で言った。
 彰伸の返答に少女は満足したらしく、深々とお辞儀をしてから板敷の廊下を来た方向へ引き返していった。 
 少女が廊下の角に消えると、彰伸は表情を平素に戻す。

「大きくなった時は、もう俺のファンじゃないんだろうなぁ」

 少女が結婚できるほどに成長するまで何年掛かるか、想像すればするほど少女の告白を真剣に受け止める気にはなれなかった。

 
 この年以降の彰伸は大怪我に見舞われ成績を著しく落とし、リハビリに時間を費やしたのと面目のなさも相まって親戚の集まりに顔を出すことはなくなり、少女とも二度と顔を合わせることもなかった。