ある日、俺は死後の世界で君を知った

「ん……」
 隣にいる人の生活音で目が覚めた。
 あれ……俺、あのあともうずっと寝てたのか
 机には二本の缶と、食べかけのさきいかがあった。
 体の節々が痛い。
 変な夢をずっと見ていた気分がする。
 あの奥の病室の女性が、隣で笑いながら喋っている情景が頭にぼんやりと浮かぶ。
 俺……好きになったのか?
 それにしてはいたって冷静で、こんな状況の俺は好きだという感情を抱くわけもない。
 夢……か?
 なのに、随分と鮮明に思い出される。まるで経験してきた記憶のように。
 色々と気味が悪くなってきた俺は、冷静になるためにシャワールームに向かった。

 あの女性が何かを喋っている。何かは分からないけど、頭に手を当てながら、お辞儀をして。
 あー……もう! 意味がわかんねぇよ……!
 何かに当たりたくなる。
 こんな記憶は持ち合わせていない初めての記憶なのに、初めてじゃないと矛盾を感じる。
 ほんと気持ち悪い……

 まだ若干の違和感が頭を巡る状態の中、俺はシャワーを出た。
 なんなんだこれ……
 まるでほかの人の記憶が自分の頭を支配しようとしているような、注入されているような、見たくもないようなものを見せられている気分になる。
 ぼーっと何も考えずにドライヤーをかけていると、シャワールームに人が入ってきた。
「あ」
 ん……
 そこにはあの病室の女性が立っていた。
 あー……
 今あまり会いたくない人だ。
 でも不思議と、頭が冷静になった。
 いやまさか……酒飲んで、普通に話したんじゃないか?
 あの酒の量だ。死ぬ気でいたからあんなけ飲んだが、普段ならそんなに飲まない。その影響で酔っ払って普通に話をしてしまったのかもしれない。
「昨日はどうも」
 俺がそういうと、女性は疑問符を頭に浮かべたのか、首をかしげて眉を寄せた。
 ん……?
「昨日、俺酒に酔ってただけなので、あまり気にしないでもらえると助かります」
 そう付け加えて言うと、女性は納得のいっていない様子ながらに頷いた。
 ん……何かしたのか? まさか……な
「怒ってます……?」
 そう聞くと、女性は首を横に振った。
「あの……昨日って、なんですか? 布団の話ですか?」
 あれ……違った?
「いや、もっとこう……対面で普通に話しませんでしたか?」
「え? いや、していない……と思います。あの後すぐにお部屋に戻られていましたよ?」
 疑問を口にすると、女性も疑問を口にした。
 じゃあなんだこの記憶……
 俺の中には確かに、この女性と笑顔で話をしている記憶がある。
 しかも敬語じゃない。ちゃんとため口で喋っている俺がいる。繋がろうと思わない限りしない行動をしている。
 しばらく場に沈黙が続く。
 俺は頭を抱えて、濡れた髪から洗面台に滑り落ちていく水滴だけを視界に映した。
「あの……どうかしたんですか?」
 女性は隣に座った。
 きっとシャワーに入ろうとしていたはずなのに、時間を取らせてしまって申し訳ない気持ちが湧いてくる。
 気にしないようにしよう……
「いえ、なんでもないです。すみません、人違いでした」
 そういうと、女性はあまり納得のいっていないような顔を浮かべながら数回、首を縦に動かしてシャワーに入っていった。
 そうだな……夢だ。きっと、これは夢なんだ
 自分にそう言い聞かせて、ドライヤーをかけた。



 翌日になってもその気持ち悪い記憶は頭にべったりと張り付いていた。
 虚偽記憶……
 パソコンと睨めっこしながら調べていた俺の目に、その文字が止まった。
 実際には経験していない出来事や、誤った形での経験を本人が記憶としている状態。誰もが日常的に形成する可能性があります……か
 もし俺の記憶がその虚偽記憶というのであれば、夢の中での体験を俺が虚偽記憶として持ってしまっている可能性も捨てきれない。
 なんか、久しぶりに熱がぶり返してくるような経験だな……
 そう感じてしまった俺は、さっそく曲作りを始めてしまった。



 翌々日。俺は曲を完成させてしまった。
 題材となるのは、恋愛。でも、それは虚偽記憶の中での恋愛だった。
 虚偽記憶で君と恋愛をして、現実でも普通に話しかけようとしたらそんなことはなかった。でも、記憶として確かにあるから、気味が悪くなってしまう。そんなストーリーだ。
 投稿……するか
 正直、今までの中で一番いい出来だ。そして俺は、結局これを投稿せずにはいられない性分の人間。
 反応見てから次の自殺決行を決めようか……
 投稿をクリックしてから、浮かれた気持ちで外にでると、ちょうど病室の女性がいた。
 ほんとよく会うなこの人と……
「こんにちは」
「もう、こんばんはですよ」
「あれ……そっか」
 この人は静かな人で、口調もどこか熱がない。だけど、どこか抜けていて、口をぽかーんと開けているのが似合いそうな人だ。
 杞憂だと、関係を持ちたくないと思っていた俺だったが、あのネカフェ店員くらいの仲なら持ってもいいと感じている。
「今からシャワーですか?」
「あ、はい。同じですか?」
「いや、ちょっと飲み物を取りに行こうと思っただけです」
「え、飲み物あるんですか?」
「……え?」
 やはり、どこか抜けている。それが少しあほみたいで見ていて面白い。
「あとで行きます?」
「え、お願いしてもいいんですか……」
「まあ、やることもないんで」
「ありがとうございます」
「いえ、じゃあまた」
「はい」
 ふぅー……そういえば、あの人って俺の曲知ってるんだよな……
 色んな事を考えながら、行動はいつもとなんら変わりない。いつも通りのカフェオレを入れて持ち帰った。
 これから……どうしようかな
 もう親からは縁を切られた。
 まだ二十三歳だというのに、音楽を目指したいって言った時からすでに縁は切られた。
 「絶対に上手くいかない」「やめときなそんな道」なんて、言われたのが最後の思い出だ。
 確かに、死のうとしているし、生活はある程度できていても、もうすぐお金もなくなる。
「その通りだな……」
 ぽつりと空間に言葉を吐きながら、俺はカフェオレを一杯飲んで目を閉じた。

「――やえ…… ふゆ……」

 今頃はずっとこの言葉が頭に残っている。
 なんだって言うんだよ……やえ、ふゆって……痛っ……
「ちっ……」
 そして、この記憶に触れようとすると頭が痛くなる。実に不愉快で、傲慢な記憶だ。これなら消えてくれた方がありがたい。
「はぁー……」
 自分のさっき投稿した曲を音量六くらいで流しながら、寝転がった。
 あ、さきいか食べないと……

 少ししたら、ドアがノックされた。
 もう出てきたのか……
 ぼーっとしているだけで時間がどんどん過ぎ去っていく。
 スマホの電源をつけると、もう夜も九時を回っていた。
 背伸びをしながら、立ち上がり、のろのろと動いては力なくドアを開けた。
「あ、えっと……今大丈夫でしたか?」
 俺の虚空を見るやつれた顔を見たからか、女性は気を使ってきた。
 だめだ、だめだ……
「はい。大丈夫ですよ。ちょっと眠くなってただけなんで」
「あ、それはすみません」
「いえ」
 やはり、嘘をつくのは得意だ。
 女性をドリンクバーの場所まで案内すると、女性は嬉々とした表情でコップを両手で持ちながら、あちらこちらに視線を動かしていた。
 まるで、初めてドリンクバーを見た人のようだ。
 ドリンクバーなんてどこも大して変わらないだろ……
 そんな言葉は飲み込んだ。
 もしかしたら、家が貧しいとかで一度も経験してこなかった人なのかもしれない。
 現に住む拠点をネカフェにしている人だ。
 俺と同じようにお金がないか、家から追い出された人かもしれない。
 まさか、同族……?
「あの、仕事って何してるんですか」
 そう聞いたが、女性はドリンクバーにいるのがよほど楽しいのか、全く耳に入っていない様子で、微笑みながらカフェオレを押した。
 あー……知らないんだな
 カフェオレの出てくる横に置いたコップを、俺は黙って動かした。
「こっちじゃないと、出てこないっすよ」
 きっと助けたいと思ったわけじゃない。同じカフェオレを楽しむ人として、放っておけなかっただけだ。
「あ、そうなんですね。わざわざすみません」
 女性はまた恥ずかしそうにはにかんで笑った。
 その表情が、俺の心に深く残った。
「いえ、お構いなく」
 また、俺は人を助けることの喜びを思い出した。
 ああ……本当は、こんな気持ちをずっと持っていたかったんだよな……
 無意識に、俺の視界はぼやけた。
 それに気づかれないように、俺は背中を向けて喋った。
「それじゃあ、また何か分からないことがあれば」
「あ、はい」
 軽く手を上にあげて、一度も顔を見せずに帰った。こんな表情を見られれば、きっと俺は死ぬ選択を後悔してしまう。
 それは、嫌だった。

 また幾日が経った。
 俺の前あげた曲は少しだけバズってしまっていた。初めて一万越えのいいねがついている。
 その快感が、俺を生きさせるための錠剤となっていた。
 しばらくは生きてもいいか、なんて本気で感じている。
 あの女性はこの曲をどう思ったんだろうか。
 感想を求めたくなる。
 単純だな、俺って……
 そう俺を罵りながらも、行動していた。
「なあ、白髪で、緑の目してる女性いるじゃん」
「ん、ああー。いるね。ちょっと仲いいみたいじゃん? 見ましたよ~」
 ネカフェ店員は今頃、ちょっと調子に乗る節がある。
「そういうのではない。断じて」
「またまた~。この高身長でイケメンで、ギターなんて担いだ男に惚れない女はいませんよ」
 肘を俺の体に当てて、いたずらに笑う。
 本当にそんなことないんだよな……
「あの女性って、どこにいるか知ってる?」
「え、ちょっと、そういう行為はうちお断りっすよ。そんな、掃除が面倒な」
 そう言いながら、鼻の下を伸ばして鼻をぴくぴくと動かし、眉を上げて汚く笑う。
 まあ、やっぱりこいつも高校生なんだな……
「違う。単純に……落とし物を届けたいだけだ」
「あー……だとしても、奏斗さんとあの女性の仲でも、場所を教えるわけにはいかんのですよー」
 まあだろうな……
「じゃあ、あの女性が帰ってきたタイミングで、一言『俺が呼んでた』って言っといて」
 そういうと、目を見開いて、口に手を置いて、口角を上げ、にまにまとし始めた。
「だから、そういうんじゃないからな?」
「俺はわかってますよ! 頑張ってくださいね! 準備すませてますよね!」
 だる……
 俺の腕をバシバシと、まるで勇気を分けてくるかのように叩いてきたため、俺は軽く頭に手の甲で軽く殴っておいた。
「じゃあ、よろしくな」
「かー、いいなぁ……。まあ、ちゃんと伝えときますよ」
 はぁ……



 夜、俺の部屋にまたノック音が響いた。
 帰ってきたのか……
 扉を開けるとそこには、やはり女性が立っていた。しかも、シャワーに入る前なのか、色々なスキンケア用品などを入れたかごを持っていた。
 いや、入るか、聞きに来るかどっちかにしろよ……
 心の中で静かにツッコミを入れながら、俺は女性に話しかけた。
「あれから前の曲ってまだ聞いてるんですか?」
「あ、はい。まだ聞いてますよ。なんか、確かに聞いてた記憶もあって、曲の感じとかも結構好きになってきたんです」
 聞いてたんだ……
「あの人の新曲って」
 俺がそう口にすると、女性は激しくうなずいた。
「あれ、私一番好きです。虚偽記憶? って初めて聞いて、知恵もつきましたし、なんか、とにかくいいなって」
 そうなのか……
 俺が女性を呼び出したのは、これだけが理由ではない。
 やはり、俺の中ではその虚偽記憶がずっと頭に残っている。それを聞きたかったんだ。
「あのさ……」
「はい」
 どう言い出したらいいだろうか。
 普通に……言っていいのか?
 悩みながらも、時間だけが浪費していくのはあまり好きじゃない。
 まあ、いいか……
 曲が少しバズったこともあり、俺は楽観的に言葉を出した。

「やえ……なんたら、ふゆ……なんたらって聞き覚えあったりしませんか?」