「あ、起きた?」
気づけば私は保健室のベッドの上にいた。
「大丈夫? どこか痛い場所はない?」
先生はバインダーを持って、横のベッドに座った。
「大丈夫です」
そっか、体育でボールが頭に当たったんだったけ……
痛い場所はないと答えたが、まだやっぱり患部がじんじんと静かに脈打って痛む。
その様子を見ながら、先生は微笑んだ。
「軽く脳が震えちゃっただけっぽいから、帰りたかったら安心していつでも帰って大丈夫だからね」
「はい、ありがとうございます」
男子、むかつく……
「あ、でもその様子ならちゃんと氷で患部は冷やしといてね」
「分かりました」
先生が指さすベッド脇の机を見ると、氷が入った袋が置いてあった。
ここはとても静かな場所だ。綺麗な空気と心地よい温度。先生も優しくて包み込むような声を発する。体育のあのむさ苦しい感覚はない。
すべすべしてひんやりした布団。息がとてもしやすくて、いくらでもここにいられるような気がする。
あまり騒がしいのは得意じゃない。色んな情報があるし、長く居ると頭が痛くなってくる。
氷の入った袋の冷たさに驚きながら、何気なく視界に入った時計を確認すると、体育の時間はちょうど終わっていた。
今ちょうど終わったところか……
少しだけ、とベッドにまた寝転ぶと、それを阻止するかのようにチャイムが廊下から響いた。
うーん……
この部屋なら、先生がいるのに静かだし、ネガティブ思想を少し変えられる可能性があったのに、私は今帰れるなら帰れる状態。
つまりは次の授業も多めに見てくれるなんてことは起きないのだ。
やむを得ず、チャイムの最期の音の余韻が鳴り止んだ後、むくりと起き上がり、保健室の先生にお礼を告げて教室に帰った。
まあ、そもそもとして友達も心配するだろう。
「香澄! 大丈夫?」
案の定、友達は心配そうに廊下を走って保健室に向かって来てくれている最中だった。
「大丈夫だよ」
「ならよかった……。いきなり倒れたからびっくりしたよ」
「心配かけたね」
「ほんとだよー……」
友達を慰めながら教室に入ると、数人の男子が駆け寄ってきた。忌々しい元凶だ。
「玉乃(たまの)さんごめん!」
思った通り、サッカー部だ。どうせ何か起こすとは思っていた。はっちゃけて、人様に迷惑をかけるとは思っていた。だから、嫌いなんだ。サッカー部にいい思い出がない。
「大丈夫です」
そんなことないのに、媚びへつらわないと生きていけない世の中は終わっている。
ねちねちと頭の中で男子に怒りをぶつける。この恨みは元カレに向けてでもある。
全くもって最悪な一日だ。
「ほんと、悪いな。うちの馬鹿が。痛いでしょ」
そう穏やかで、静かな口調の男子が申し訳なさそうに患部に当てている氷に触れた。
「いえ、大丈夫ですよ」
佐江月さんか……
学校内ではイケメンだとか言われている物静かな男子だ。俗に言うクール系イケメンというやつだろう。
私は何とも思っていないが、友達はその美貌に目がハートになっていた。少し、元彼に似ているから変な気分になる。
「つ、次からは気をつけなさいよ」
友達はちらちらと視線を佐江月さんに向けて、ちぐはぐな様子でそう怒った。もはや、怒っているようには見えないとツッコミを入れたかったが、友達にそそくさと席まで引っ張られていうタイミングを失った。
「やばい。佐江月くんと目が合っちゃった」
「それがどうしたの?」
「だって、あんな顔初めてみたし!」
友達はひどく興奮しているようで、足を机の下でばたつかせ、髪をくるくるといじりだした。
そんなにあの人と喋れて嬉しいのだろうか。私にはイケメンだとかに全く興味はない。ただ一緒に居て心地良い人を探しているから、正直言ってどうだっていい。
「よかったね」
淡々と言葉を吐くと、友達は対称にため息を吐きながら片方の口角だけを上げた。いかにも不満感を抱いている様子。
「な、なに?」
今度は口を大きく横に伸ばして、顎と眉を上げて、視線をずらした。
よっぽど癪に障ることを言ってしまったんだろうか。
「謝ったほうがいい?」
「いーや。でも、なんで香澄はイケメンに靡かないかなー」
ご不満な友達から、休み時間いっぱいに佐江月さんの猛アピールを聞かされ続けた。
放課後。することもなく、人間観察もできるため、私は飲食店でバイトをしている。
正直今日バイトが入っていて助かった。最期の授業、まだ語り足りないと言わんばかりにそわそわしている友達と同じ教室で、授業が終わったと同時に席までやってきたのだ。
筆箱にシャーペンもろくにしまわないで、前の席の男子をどかすように陣取って、喋る気まんまんに私を見つめていた。
流石にあのまま聞かされては骨が折れると言ったものだ。
「お疲れ様です」
「おー玉乃さん、ちょうどよかった。面接の子来てるから通してあげて」
「あ、分かりました」
新しいバイト面接の人か……。どんな性格の人かな
少し浮かれた気分で向かうと、そこには高身長の男性が立っていた。
「バイト面接の方」
「あ、はい」
意気揚々と喋りかけた気持ちに、振り向いた男性の顔で一気に覚めた。
その顔に私は見覚えが合った。つい最近、どこかで見た顔だ。知っている顔となれば、別にそこまで人間観察もはかどらない。
えっと誰だっけ……
「あれ、玉乃さん。ここでバイトしていたんだね」
この落ち着いた喋り方。この微笑むような笑顔。万人受けしそうな顔を見て思い出した。
ああ、佐江月さんか……
私服姿だったから、いつもと違いすぎて気づかなかった。
「怪我はもう大丈夫?」
心配しているのか、また患部に手を伸ばしてきた。
そんなに触られても治るものじゃないし、逆に痛いというのに。
「はい。大丈夫ですよ」
でも頭の痛さよりももっと辛いことがある。
それは、また媚びへつらわないといけなくなってしまったことだ。
困ったな……
「本当にごめんね」
「いえ、お構いなく」
会話も続かず、気まずくなった私はささっさと裏に通して仕事に専念した。
佐江月さんは悪くない。でもあまり、いい気はしない。本当に出会って当初の元カレにそっくりだから。
今日は人が少ないな……
佐江月さんを裏に通してから、もう数十分が経過した。いつもなら混雑している職場なのだが、珍しく今日は人が少ない。
バイトに来た時間は夕方になったばかり。時間も相まって人が少ないことは分かるが、少ないときでも今日よりは人が来ていた。
店内を見渡す限りじゃ、まだちらほら仕事帰りだろうサラリーマンを見かけるくらいの客数だ。空席が目立つ。
これじゃあ人間観察ができない……
少しでもそばに寄って人を観察したい私は、ホールに回った。
大丈夫って言ったけど……やっぱり、まだ若干頭が痛い……
頭をさすると、少しだけ膨れていた。それを確認した私は怒りがまたぶり返してきた。
別に普通の男子にやられるならまだここまで怒らない。というか、多分本当に怒らないだろう。〝サッカー部〟がだめなのだ。
元カレもサッカー部。今は少しでも元カレを忘れたいから、色んな情報を遮断したい。
面倒くさいな、もう……
腹の居所が悪くなり、自然とテーブルを片付ける手つきも荒くなっていると、すぐ近くのテーブルから呼び出しがかかった。他の人は近くにいない。またとないチャンスだ。
この注文で一旦忘れようと足早に向かった。
よしっ……
「ご注文お決まりですか」
決まった。特大の営業スマイルだ。
「はい。あ……」
ええ……
注文を取りに行くと、その席には佐江月さんが座っていた。
私のお得意の営業スマイルはすぐさま剥がれ落ちていった。
なんでまた……
忘れようとしたのに、今一番会ってはいけない人だ。最悪なタイミングすぎる。
「ごめんね。ちょっと小腹が空いちゃって、嫌じゃない?」
「あーはい。別に気にしないで大丈夫ですよ」
いいから帰ってくれないかな……
心でそう思っても、私の心で少し別のことにも意識が回っていた。
「ならよかったよ。あまりバ先にクラスメイトが来るのは嫌って言うじゃん」
「あー……ですかね」
「あれ、もしかしてあまり思わない?」
「そうですね」
「そっか、それなら心から安心した。でも一応、ごめんね」
……心から
佐江月さんはいつもこうやってみんなに気を遣っているのだろうか。
不思議と、佐江月さんの微笑む顔を見ていると、元カレとはまた違った温かみを感じる。
「面接はもう終わったんですか?」
「うん。入ってすぐに明日から来いって言われたよ。これからよろしくね玉乃さん」
「はい。あ、ご注文伺います」
今日だけで、何回佐江月さんの口から「ごめんね」を聞いただろうか。
あり……かも?
気づけば私は保健室のベッドの上にいた。
「大丈夫? どこか痛い場所はない?」
先生はバインダーを持って、横のベッドに座った。
「大丈夫です」
そっか、体育でボールが頭に当たったんだったけ……
痛い場所はないと答えたが、まだやっぱり患部がじんじんと静かに脈打って痛む。
その様子を見ながら、先生は微笑んだ。
「軽く脳が震えちゃっただけっぽいから、帰りたかったら安心していつでも帰って大丈夫だからね」
「はい、ありがとうございます」
男子、むかつく……
「あ、でもその様子ならちゃんと氷で患部は冷やしといてね」
「分かりました」
先生が指さすベッド脇の机を見ると、氷が入った袋が置いてあった。
ここはとても静かな場所だ。綺麗な空気と心地よい温度。先生も優しくて包み込むような声を発する。体育のあのむさ苦しい感覚はない。
すべすべしてひんやりした布団。息がとてもしやすくて、いくらでもここにいられるような気がする。
あまり騒がしいのは得意じゃない。色んな情報があるし、長く居ると頭が痛くなってくる。
氷の入った袋の冷たさに驚きながら、何気なく視界に入った時計を確認すると、体育の時間はちょうど終わっていた。
今ちょうど終わったところか……
少しだけ、とベッドにまた寝転ぶと、それを阻止するかのようにチャイムが廊下から響いた。
うーん……
この部屋なら、先生がいるのに静かだし、ネガティブ思想を少し変えられる可能性があったのに、私は今帰れるなら帰れる状態。
つまりは次の授業も多めに見てくれるなんてことは起きないのだ。
やむを得ず、チャイムの最期の音の余韻が鳴り止んだ後、むくりと起き上がり、保健室の先生にお礼を告げて教室に帰った。
まあ、そもそもとして友達も心配するだろう。
「香澄! 大丈夫?」
案の定、友達は心配そうに廊下を走って保健室に向かって来てくれている最中だった。
「大丈夫だよ」
「ならよかった……。いきなり倒れたからびっくりしたよ」
「心配かけたね」
「ほんとだよー……」
友達を慰めながら教室に入ると、数人の男子が駆け寄ってきた。忌々しい元凶だ。
「玉乃(たまの)さんごめん!」
思った通り、サッカー部だ。どうせ何か起こすとは思っていた。はっちゃけて、人様に迷惑をかけるとは思っていた。だから、嫌いなんだ。サッカー部にいい思い出がない。
「大丈夫です」
そんなことないのに、媚びへつらわないと生きていけない世の中は終わっている。
ねちねちと頭の中で男子に怒りをぶつける。この恨みは元カレに向けてでもある。
全くもって最悪な一日だ。
「ほんと、悪いな。うちの馬鹿が。痛いでしょ」
そう穏やかで、静かな口調の男子が申し訳なさそうに患部に当てている氷に触れた。
「いえ、大丈夫ですよ」
佐江月さんか……
学校内ではイケメンだとか言われている物静かな男子だ。俗に言うクール系イケメンというやつだろう。
私は何とも思っていないが、友達はその美貌に目がハートになっていた。少し、元彼に似ているから変な気分になる。
「つ、次からは気をつけなさいよ」
友達はちらちらと視線を佐江月さんに向けて、ちぐはぐな様子でそう怒った。もはや、怒っているようには見えないとツッコミを入れたかったが、友達にそそくさと席まで引っ張られていうタイミングを失った。
「やばい。佐江月くんと目が合っちゃった」
「それがどうしたの?」
「だって、あんな顔初めてみたし!」
友達はひどく興奮しているようで、足を机の下でばたつかせ、髪をくるくるといじりだした。
そんなにあの人と喋れて嬉しいのだろうか。私にはイケメンだとかに全く興味はない。ただ一緒に居て心地良い人を探しているから、正直言ってどうだっていい。
「よかったね」
淡々と言葉を吐くと、友達は対称にため息を吐きながら片方の口角だけを上げた。いかにも不満感を抱いている様子。
「な、なに?」
今度は口を大きく横に伸ばして、顎と眉を上げて、視線をずらした。
よっぽど癪に障ることを言ってしまったんだろうか。
「謝ったほうがいい?」
「いーや。でも、なんで香澄はイケメンに靡かないかなー」
ご不満な友達から、休み時間いっぱいに佐江月さんの猛アピールを聞かされ続けた。
放課後。することもなく、人間観察もできるため、私は飲食店でバイトをしている。
正直今日バイトが入っていて助かった。最期の授業、まだ語り足りないと言わんばかりにそわそわしている友達と同じ教室で、授業が終わったと同時に席までやってきたのだ。
筆箱にシャーペンもろくにしまわないで、前の席の男子をどかすように陣取って、喋る気まんまんに私を見つめていた。
流石にあのまま聞かされては骨が折れると言ったものだ。
「お疲れ様です」
「おー玉乃さん、ちょうどよかった。面接の子来てるから通してあげて」
「あ、分かりました」
新しいバイト面接の人か……。どんな性格の人かな
少し浮かれた気分で向かうと、そこには高身長の男性が立っていた。
「バイト面接の方」
「あ、はい」
意気揚々と喋りかけた気持ちに、振り向いた男性の顔で一気に覚めた。
その顔に私は見覚えが合った。つい最近、どこかで見た顔だ。知っている顔となれば、別にそこまで人間観察もはかどらない。
えっと誰だっけ……
「あれ、玉乃さん。ここでバイトしていたんだね」
この落ち着いた喋り方。この微笑むような笑顔。万人受けしそうな顔を見て思い出した。
ああ、佐江月さんか……
私服姿だったから、いつもと違いすぎて気づかなかった。
「怪我はもう大丈夫?」
心配しているのか、また患部に手を伸ばしてきた。
そんなに触られても治るものじゃないし、逆に痛いというのに。
「はい。大丈夫ですよ」
でも頭の痛さよりももっと辛いことがある。
それは、また媚びへつらわないといけなくなってしまったことだ。
困ったな……
「本当にごめんね」
「いえ、お構いなく」
会話も続かず、気まずくなった私はささっさと裏に通して仕事に専念した。
佐江月さんは悪くない。でもあまり、いい気はしない。本当に出会って当初の元カレにそっくりだから。
今日は人が少ないな……
佐江月さんを裏に通してから、もう数十分が経過した。いつもなら混雑している職場なのだが、珍しく今日は人が少ない。
バイトに来た時間は夕方になったばかり。時間も相まって人が少ないことは分かるが、少ないときでも今日よりは人が来ていた。
店内を見渡す限りじゃ、まだちらほら仕事帰りだろうサラリーマンを見かけるくらいの客数だ。空席が目立つ。
これじゃあ人間観察ができない……
少しでもそばに寄って人を観察したい私は、ホールに回った。
大丈夫って言ったけど……やっぱり、まだ若干頭が痛い……
頭をさすると、少しだけ膨れていた。それを確認した私は怒りがまたぶり返してきた。
別に普通の男子にやられるならまだここまで怒らない。というか、多分本当に怒らないだろう。〝サッカー部〟がだめなのだ。
元カレもサッカー部。今は少しでも元カレを忘れたいから、色んな情報を遮断したい。
面倒くさいな、もう……
腹の居所が悪くなり、自然とテーブルを片付ける手つきも荒くなっていると、すぐ近くのテーブルから呼び出しがかかった。他の人は近くにいない。またとないチャンスだ。
この注文で一旦忘れようと足早に向かった。
よしっ……
「ご注文お決まりですか」
決まった。特大の営業スマイルだ。
「はい。あ……」
ええ……
注文を取りに行くと、その席には佐江月さんが座っていた。
私のお得意の営業スマイルはすぐさま剥がれ落ちていった。
なんでまた……
忘れようとしたのに、今一番会ってはいけない人だ。最悪なタイミングすぎる。
「ごめんね。ちょっと小腹が空いちゃって、嫌じゃない?」
「あーはい。別に気にしないで大丈夫ですよ」
いいから帰ってくれないかな……
心でそう思っても、私の心で少し別のことにも意識が回っていた。
「ならよかったよ。あまりバ先にクラスメイトが来るのは嫌って言うじゃん」
「あー……ですかね」
「あれ、もしかしてあまり思わない?」
「そうですね」
「そっか、それなら心から安心した。でも一応、ごめんね」
……心から
佐江月さんはいつもこうやってみんなに気を遣っているのだろうか。
不思議と、佐江月さんの微笑む顔を見ていると、元カレとはまた違った温かみを感じる。
「面接はもう終わったんですか?」
「うん。入ってすぐに明日から来いって言われたよ。これからよろしくね玉乃さん」
「はい。あ、ご注文伺います」
今日だけで、何回佐江月さんの口から「ごめんね」を聞いただろうか。
あり……かも?
