家なし少女はあやかし執行官の執愛に囚われる

 独特な、お香の匂いとその裏に隠れる煙草の匂い。
 彼の姿を見て私は、ここに来る前に見かけた烏の黒い羽根を思い出す。
 あぁ、あれは祐飛さんの羽根、だったのね。ずっと私の事見ていたんだ。
 伊織さんはぎゅっと、私の腰を抱き締めて、奈美を見つめる。
 なんだろう、どこからか僅かに悲鳴みたいな声が聞こえる。
 きっと、祐飛さんや真琴さんが何かしているんだろうな。もしかしたら他にも配下がいるのかもしれないけど。
 
「だ、誰よあなた。どこから来たの?」

 奈美のおびえた、驚いたような声が聞こえる。
 そりゃあ驚くよね。文字通り、闇の中から現れたんだもの。
 伊織さんは不敵に笑って言った。

「ナイトヴァルト。内閣に飼われている、超法規的機関ってやつ」

「ナイト……も、もしかして最近色んなところで摘発とか、組織の人が殺されてるとか聞いたけど……」

「そうかもな。でもてめえに教える義理はねえけど」

 伊織さんの声、いつもより怖い。
 聞いてるだけで寒気がするほどに。
 
「伊織さん……」

 私が呼ぶと、伊織さんは異様に優しい笑みを私に向けてくる。

「怖い想いさせたな。おかげでこいつの悪事がわかったよ」

 そして私から腕を離して、私をかばうように前に立つ。

「あ、悪事って私は何も悪い事なんてしてないわよ……!」

 奈美の叫びが虚しく響く。
 何でこんなことになったんだろう。
 ホストのせい、なんだよね。欲望があんな風に人を変えるなんて……
 不安が溢れていた私の心に、今度は哀しみだけがひろがっていく。
 そんな奈美に、伊織さんがすごく冷たい声で言った。

「俺の葉月を傷つけた。それだけで万死に値する」

 言葉と共に、伊織さんの髪が変わっていくのがわかった。
 真っ白な髪が太く、生き物みたいにうねうねと動いてる。
 私から見えるのは後頭部だけだけど、もしかしたら顔も変わっているのかもしれない。
 正面から伊織さんと対峙している奈美は、目を見開いて顔を醜く歪ませて悲鳴を上げた。

「ひっ……あ……バ、バケモノ……」

 いいながら奈美は後ろに下がるけど、すぐに壁に当たってしまって、震えながらその場にしゃがみ込んでしまった。

「バケモノか……その通りだ。俺は、バケモノだ。てめえはどうだ? 人の姿してっけど、葉月に何をした? 葉月を売ろうとした。葉月を傷つけた。それだけでてめえは俺以上のバケモノだ」

 そう低く凍てつくような声で言い、伊織さんは奈美の前にばっと移動して、彼女の首を掴んだ。

「ひっ……」

 奈美が短い悲鳴を上げる。
 ゆっくりと奈美の身体が持ち上がってバタバタと足が動いて、目が虚ろになっていく。
 このままじゃ死んじゃう。
 それだけはダメだ。伊織さんに人殺し、してほしくない。
 私はとっさに伊織さんに向かって叫んだ。

「い、伊織さんやめてください! 傷つけるのだけはダメです!」

 その言葉に、伊織さんはゆっくりと私の方へと振り返る。
 その顔を見て私は思わず息をのんだ。
 真っ白な顔に、目だけが紅く光っているように見える。
 唇も鼻も肌と同じように白くて、とても人には見えなかった。
 あぁ、これが伊織さんの本当の姿なんだ。
 伊織さん、自分のこと、バケモノだって言っていたけどその意味がよくわかった。
 たしかに人とは違う。
 でも……伊織さんは私を助けてくれて、生活を整えて、一緒にいてくれて、愛を注いでくれる。
 そんな伊織さんと、私を売ろうとした奈美。
 どっちがバケモノかっていったら答えはひとつだ。
 私は胸に手を当てて奈美を見る。
 伊織さんは奈美の首から手をばっと離した。すると奈美はその場に座り込んでゲホゲホと咳き込んだ。

「命拾いしたな」

 そんな冷徹な声が聞こえてくる。
 その声を聞くだけで、私もすごく怖く感じた。
 声だけでこんなに恐怖を感じるなんて……伊織さん、本当はおそろしいものなのかもしれない。

「伊織さん、お願いだから……傷つけるのだけはやめてください。伊織さんが手を汚す必要なんてないから」

 私の言葉に伊織さんは笑ったようだった。

「あんたは優しいな」

 と言いこちらに戻ってくる。
 その背中で、奈美が顔を歪ませて叫んだ。
 
「な、なんなのよぉ……私は何も悪い事してないのに……!」

 悪いことしてないって本気で言っているのかな。
 そう思って私は奈美を見る。
 奈美、泣いてる。でもその表情は本当に何も理解できないって感じだった。
 これはもう私の知っている奈美じゃないんだ。
 そのことに、胸のなかにあった想い出たちが砕けていく。
 この子に私はずっと、会いたいって思ってたんだ。
 この子を私はずっと心配していたんだ。
 なんだったんだろう、私の気持ちって。
 その時。扉を開いて部屋の中に入ってくる人がいた。

「いおりん、制圧したよー」

 場にそぐわない明るい声。

「真琴さん……」

 三角の耳が頭から生えている真琴さんは、私の方を見て笑って言った。

「葉月ちゃん、無事でよかった」

「あ……ありがとうございます」

 私が礼を言うと、伊織さんは私の腕を掴んで言った。 

「真琴、こいつも頼む」

「わかったけど……いおりん、その姿のままはまずいよ」

 そう、厳しめの声で真琴さんが言う。
 確かに今の伊織さんは人間とは程遠い姿だもんね……
 伊織さんは何も言わず、私の腕を掴んだまま外に出る。
 その頃には髪も顔ももとの伊織さんになっていた。
 そして彼は私の顔を見る。するとなんだか申し訳なさそうな顔で言った。

「もっと早く踏み込めばよかったんだが……悪かった。怖かったよな」

「大丈夫です……とりあえずは」

 言いながら私はむりやり笑顔を作る。
 こうでもしていないと私、ぷつり、って切れてしまいそうだったから。
 じゃないときっと、人目も気にせず伊織さんに抱き着いて、泣き出すだろうから。

「あの、奈美はどうなるんですか?」

 伊織さんたちの制裁がどんなものなのかわからないから、ちょっと怖い。
 伊織さんは目をすっと細めて言った。

「俺たちは法の外で生きている。だからあの女を生かす理由はないんだよ」

「え……そ、それって……」

 私は伊織さんの顔をじっと見る。

「こ、殺さないですよね? そんなことしないですよね?」

 震える声で言うと、伊織さんは肩をすくめた。

「あんたが望むなら、殺さねえよ」

 って答える。

「こ、殺すのはダメです絶対」

 泣きそうになりながら言うと、伊織さんは黙ってうなずいた。
 大丈夫かな。心配だけど……
 そんな私の葛藤を察知したのか、伊織さんは私の肩を抱いて言った。

「大丈夫だよ、約束は守る。俺たちは人間とは違うから」

「そう、ですね」

 たしかに伊織さんたちは人じゃない。それが説得力になるって皮肉だなぁ。
 そのお店を出て、伊織さんは私をお屋敷へと連れ帰る。
 そのときやっと、私の中で緊張の糸がぷつり、と切れる音がした。
 玄関に入った瞬間、思わず私はその場に座り込んでしまう。
 足の力が抜けて、立つ気力もない。

「あ……は、葉月、さん?」

 慌てたような声で伊織さんが言い、私のそばに座り込む。
 伊織さんは私の頭に手を置いて、心配げな声で言った。
 
「大丈夫?」

 大丈夫じゃない。
 大丈夫じゃないから私、言葉も出ない。
 だって声を出したら私、泣き出しそうだから。
 だから私は黙って首を横に振る。
 すると伊織さんは私の頭をそっと抱きしめてくる。
 伊織さんの胸に、私の耳が当たる。ちゃんと心臓の音、するんだな。
 
「もう大丈夫だから」

 その言葉を聞いた瞬間、涙がぶわって溢れ出た。
 私は伊織さんにしがみ付いて、声を上げてわあわあ泣いた。
 怖かったし、それ以上に私、ショックだ。
 
「……友だちだって……思って、たのに……」

 なのに奈美にとって私はそうじゃなかったんだなって、痛いほど思い知らされた。
 ホストのため? お金のため? 
 借金取りに連れ去られて、オークションにかけられて。それに奈美が関与していたなんて。
 何を信じたらいいんだろう。
 たくさん泣いて、その間ずっと伊織さんは私の頭を抱いて黙っていた。