家なし少女はあやかし執行官の執愛に囚われる

 お買い物をしてお家に帰る。
 伊織さんのお菓子、終わりかけてたから色々と買い込んじゃった。
 だって、伊織さん、おかしなくなるとあからさまにしょんぼりするんだもん。だから甘いお菓子は切らさないようにしていた。
 ざっざっと足音をたてて庭を通り玄関に入ると、音もなく伊織さんが現れた。
 いつものように浴衣を着崩して。
 その姿はいつ見ても色っぽい。浮き出た鎖骨に、意外とついている筋肉が丸見えなんだもの。だから目のやり場に困るのよね。
 伊織さんは私の姿を見るなり言った。

「お帰り」

「た、ただいま、です」

 なんだか緊張して、私は震える声で答える。
 時刻はお昼すぎ。
 伊織さん、今日はお仕事じゃないんだ。
 ぼさっとした真っ白な髪。
 出かけて戻ってきた様子もない。
 わずかに香る煙草の匂い。
 私はそそくさと靴を脱いであがり、帽子を取ると彼は言った。

「遠出してくるって手紙あったからもっと遅くなるかと思ってた」

「そんな遠くには行けないですよー。どこに何あるかわかってないし」

 引きつった笑いを浮かべて、私は首を横に振る。

「電車人多くて、疲れちゃいました」

 満員電車には乗ったことあるけど、ぎゅうぎゅうになった電車に乗るのは初めてで潰されるかと思った。
 すると伊織さんが声を上げて笑う。

「あはは。ちょうど通勤通学時間だからな。もっと遅くに出れば、満員電車にぶち当たらなくて済むぜ」

 その言葉に私はあいまいに笑った。
 だって、今日は早く出ないと意味がなかったから。
 私は買い物袋を示して言った。

「私、これ置いたら着替えてきますね」

 今日は疲れたしこれ以上出かける気持ちになれない。
 伊織さんの横をすり抜けようとした時、伊織さんが不思議そうな声で言った。

「葉月さん、誰かと会った?」

 その言葉にびくん、て心臓が跳ねる。
 私は驚いて伊織さんの方を見る。
 心臓がすごい音たてて、指先が、足が震えてくる。
 もしかして奈美に会ったのバレてる? ううん、そんなわけないわよね。
 いやでも私、悪いことしたわけじゃないのに。なのに奈美に会ったこと言っちゃいけない気がして、目が泳いでしまう。
 伊織さんは、そんな私の不安を拭うかのように微笑む。いつものように優しく。そして肩をすくめた。

「あんたじゃねぇ匂いがしたから。気のせいかな」

「満員電車のせいですよー。ほんと、すごかったし」

 今にも心臓が破裂しそうになりながら、私は答えた。
 そっか、匂い。
 でもそんなのわかるわけないよね。
 奈美、香水の匂いがしたけど、ちょっと触っただけでそんなの移るわけないもの。
 伊織さんはハハ、って笑って腕を組む。

「そっか。そうだよな。電車、すっげー混むよな」

 と言い、伊織さんは歩き出した私のあとをついてくる。
 バレて……ないよね。そう思いたいのに私の気持ち、全然落ち着かない。

「そ、そうなんですよねー。前に一緒にお出かけしたときはそこまで混んでなかったし」

 言いながら私は一ヶ月ほど前に、伊織さんと藤の花を見に行ったことを思い出す。
 お花、綺麗だったな。
 またお出かけしたいなって思うけど、どこにいきたい、というのは全然思いつかない。
 水族館とか、動物園とか? ちょっと子供っぽいかな。
 そんなことを考えながら、私は買ってきた物を台所で片付ける。すると背後で伊織さんが言った。

「普段電車なんて乗らねーからそーゆーの忘れてた」

 その言葉に続いてお菓子の袋を開ける音がする。

「あぁ、やばっ、菓子終わる」

 なんていう呟きも聞こえてくる。
 伊織さん、またお菓子食べてるんだ。
 その割には細いよね。
 あやかしって太らないのかな、それならすっごく羨ましいんだけど。
 終わりかけてたからちゃんとお菓子、買ってきたんだよ、私。
 私は、袋から買ってきた新しいお菓子を机に出して言った。

「伊織さん、買い物ついでにお菓子も買ってきましたよ」

 するとばっと伊織さんが後ろから私の手元を覗き込んできて、手を伸ばす。

「まじで、ありがとう、葉月さん」

 と言い、私が持っているお菓子の袋に自分の手を重ねてきた。

「葉月さんのおかげでお菓子が切れることなくてすっげー助かるよ、ありがとう」

 そんなことを弾んだ声で言うけど、背後にぴたりと立たれてしかも手、重ねられて、私は落ち着かない。
 伊織さん、こういう距離感、本当におかしい。
 だって友だちの距離感じゃないし。そもそも私と伊織さんの関係ってなんだろう。
 保護者かな? うーん、適当な言葉がでてこない。
 ある言葉が頭のなかに過るけど、それは違う、って思う。
 私は重なる手を見つめて、ひとり、想う。
 ――恋人、は違うよね。告白したわけでもされたわけでもないし。
 そう思うと小さく胸が痛んだ。
 伊織さん、私のことどう思ってるんだろう。
 うう、気になるけど聞けないし。
 私、伊織さんがそばに来るとすっごくドキドキしちゃうのに。
 こう思ってるの私だけなのかな。
 伊織さんの心臓、すぐ後ろにあるのに、その鼓動がどうなってるのかまで私にはわからなかった。
 これ、言ったほうがいいのかな。言わなくちゃ。だよね。
 そう思った私の首に不意をうつように伊織さんが口元を近づけてくる。
 私の心臓、もうすぐ爆発するんじゃないかな。
 何これ、どうしよう。
 ひとりパニックになっていると、伊織さんは笑いを含んだ声で言った。

「これが葉月さんの匂いだよな」

「ちょ……は、恥ずかしいからやめてください……!」

 振り返って伊織さんの顔を見あげると、彼はいたずらっ子みたいに笑っていた。
 なんかからかわれてるのかな?
 伊織さんは声を上げて笑う。

「あはは、かわいいなあんた」

「か、からかわないでください!」

 顔が真っ赤になってるのを感じながら、思わず腕を上げて抗議する。
 するとその手首を掴まれて、腰に手を回されてしまった。

「きゃっ……」

 重なる身体。響く心臓の音。
 これは私と伊織さん、どっちのものだろう。
 すぐ目の前にある伊織さんの顔、笑ってる。
 妖しくてきれいな笑顔で私を見てる。
 桔梗さん、私やっぱり手遅れだよ。
 私、こんなふうに抱き寄せられて困るより、嬉しいんだもの。

「俺は本気だよ」

 なんて言って、顔が近づく。
 唇が触れるか、触れないかってほど近くに。
 何これどうしよう。こんなに顔寄せられたら私、変な気分になっちゃうよ。

「い、伊織さん……わ、私のことなんだと……」

 思わず出てしまった言葉に、私は内心焦り出す。
 言っちゃった。聞いてしまった。
 伊織さんは目を細め、まるで何かを思い出すかのような顔になる。
 なんて切ない顔するの。そんな顔見せられたら私、ときめきが止まらなくなっちゃうよ。
 伊織さんは、静かに言った。

「あんた、俺を守ろうとしただろ、覚えてるか?」

 もちろん、忘れるわけがない。だって死にかけたんだもの。
 頷いて答えると、伊織さんは私の腰を抱く手に力を込める。

「俺はあやかしだ。あんな銃じゃ傷すらつけられねえ。なのにたった一発の銃で死にかけるあんたみてえな人間が俺をかばって死にかけるなんて、ありえねえだろ?」

 それを聞いて私は息をのむ。

「ぜ、全然気が付かなかった……」

 そうか、あやかしだもんね。そう簡単に死なないんだ……そんな話、していたっけ。
 呆然とする私に、伊織さんは苦笑する。

「だよなぁ。だからあんたは俺をかばうなんて暴挙に出たんだろ? あやかしの総大将である俺を」

 そう言われて私はやっと気が付く。
 私、伊織さんかばう必要、なかったんだ。
 私、怪我して損してない?

「だから焦ってんだよ。怪我する必要のねえ奴に怪我させちまったんだからな。あのまま死んだらきっと俺は、ずっと後悔を抱えて生きることになるくらいに」

「すすす、すみません、私、余計なことして……」

 言いながら私は俯く。
 やだもう、私恥ずかしすぎるじゃないの。
 勝手にかばって、勝手に傷ついて、勝手に死にかけたんだもの。どんな顔していいかわかんないんだけど?
 伊織さんはそんな俺に顎に手をかけて、すっと上向かせた。

「余計なことじゃねえよ。そんなこと思ってたらとっくに追い出してるっての」

 なんて、ふざけたような口調で言う。
 伊織さんの真意がわかんない。
 
「お、怒ってはいないんですよね」

 しどろもどろに尋ねると、伊織さんは呆れたように笑う。

「あたりめえだろ? 呆れた? いや、驚きだな。まさか人間にかばわれてしかもそいつが死にそうになる、なんてこと想像もできなかったからな」

「ほ、ほんとうにごめんなさい」

 穴があったら入りたいよ。私ったら冷静に考えたらそんなのわか……らないってさすがに。あの時は全然そんな、銃で傷つかないとか本気だとは思わなかったんだもの。
 伊織さんは苦笑を浮かべ、顔を近づけてくる。

「謝るなっての。俺は、あの日からあんたに囚われたんだから」

 そう告げた伊織さんの表情はなんだか艶めかしくって、すごくきれいに見えた。
 私、ずっとドキドキしてる。今にも唇が触れそうなくらい、すぐそこに伊織さんの顔、あるんだもの。
 私は小さく息をのんで、彼の名を呼ぶ。

「伊織さん……」

 どうしようこれ。伊織さんが私に囚われた? 逆じゃなくって?
 私の無謀としかいえない行動が、伊織さんの心を掴んだってことなのかな。
 何が何だかわからないよ。でもそれって伊織さんは私の事……
 私のなかで、疑惑が確信に変わっていく。
 伊織さんの想い、知りたいって思っていた。その答えが今、目の前にある。
 伊織さんは小さく、低く甘い声で言った。

「愛してる」

 その言葉に答える間もなく、唇が触れた。