家なし少女はあやかし執行官の執愛に囚われる

 伊織は、五杯目となる酒を口にしながら葉月と配下たちの様子を眺めていた。
 桔梗が葉月にやたらと絡み、真琴は祐飛を構って冷たくあしらわれている。
 桔梗は葉月の腕に絡み、文字通り猫なで声で言った。

「葉月ちゃーん、今度お出かけしようよーぉ。女の子同士でさー」

「ほんとうですか? 私も桔梗さんとお出かけしたいです」

 お出かけ、という言葉を聞いて、伊織はぴくり、と眉が動くのを感じた。
 藤の花を見に行って以降、伊織は何度か葉月を誘い、外に出かけていた。
 といっても、キチジョウジの駅前に買い物へ行くくらいだが。
 そのたびに服を買い揃え、その度に葉月は恐縮しつつも伊織に礼を告げていた。

「伊織さんのお陰で私、色んなお洋服に挑戦できるようになりました。ありがとうございます」

 そう笑顔で言われると、もっと買い与えたくなるのは当たり前だ。おかげで葉月の服はどんどん増えていき、葉月のために購入した洋服箪笥が今にも埋まりそうになっていた。
 今日葉月が着ている服も、伊織が買ったものだった。
 葉月が伊織の色に染まっていくように思えて、その事実に言いようのない高揚感を覚えていた。
 桔梗と話ながら笑う葉月の顔をみて、伊織の中でふつふつと何かが燃えるような感覚を覚えてしまう。
 そんななか伊織はひとり、昼間の出来事を思い出していた。
 今日、伊織は葉月に元友人の居場所を教えた。
 偽りのない、今の元友人の姿を見せた結果、衝撃だったのか葉月は泣き出してしまった。
 泣く彼女を抱きしめた時に感じた、離したくない、という感情。
 そして、かの元友人への殺意にも似た怒り。
 葉月を傷つけたあの女は、今ものうのうとこのトーキョーの空の下で生活をしている。
 調査によれば、彼女は週に複数回、あのホストの元を訪れているらしい。
 金のために葉月を売ったと、借金取りたちは言っていたが本人から聞き出したわけでもないため、慎重に動向を調べている。
 あの女がいれこんでいるホストクラブが、借金取りやその先にいた人身売買組織と繋がっていたのは、ほかの売られた女たちから証言を得ている。
 あとは彼らをいつ潰すかだ。
 あの女はどこまでわかって関与していたのか。葉月を裏切った制裁をどう与えるか。
 それを考えると、伊織は高揚感をおぼえた。
 
 まだ飲み足りないらしい桔梗たちを見送り、伊織は葉月と共に帰路につく。
 時刻は九時過ぎ。
 平日の夜とはいえ、キチジョウジの繁華街は人通りが多かった。
 伊織の隣にピッタリと張り付くように歩く葉月。
 彼女は伊織の方を見上げて言った。

「伊織さん、とても楽しかったです。ありがとうございました」

 そう告げた葉月の顔はとても幸せそうに見えた。

「あぁ、それなら良かったよ」

「こういうの初めてだから、誘ってもらえてすごく嬉しいです。私、まだお酒飲めないのがちょっと残念ですけど、飲めるようになったらもっと楽しいのかなー」

 葉月はまだ十八歳。名前が表すように八月生まれだ。
 まだ飲酒ができない年齢かと思うと、人間の法律、というものは伊織にって面倒に感じてしまう。

「二十歳はまだ先かぁ」

「そうなんですよー。来年の八月はまだ遠いなぁ」

 と、葉月は遠い目をして正面を向いた。
 誕生日。
 確か人間は、誕生日に贈り物をし、ご馳走とケーキを食べるはずだ。
 あやかしにはない習慣だが、それだけ誕生日というのは人間にとって特別な意味をもっているのだろう。
 伊織は葉月を見やる。
 誕生日、葉月は何かを望むのだろうか。
 そう思い、伊織は葉月に尋ねた。

「葉月さん」

「はい」

「誕生日って、欲しいものあったりすんの?」

「え? ほ、欲しいもの……?」 

 戸惑いと驚きが入り混じったような声を出し、葉月は悩み始めてしまう。

「ほ、欲しいもの……え、なんだろう……」

 伊織が過去に見たドラマや本では、花や鞄、宝飾品を欲しがったり贈ったりしていたと思う。
 あとは高い料理だったか。
 歩きながらしばらく悩んだ葉月は何かを思いついたようにこちらを見て、ニコッと笑って言った。

「皆でご飯食べたいです! あの、今日みたいに! すごく楽しかったから」

「そんなんでいいの?」

 と、今度は伊織が驚きの声をだす。
 てっきり何か高いものを欲しがるのかと思っていたし、使い道のあまりない金を使う少ない機会かと考えたのに、と少し残念に思ってしまう。
 すると葉月は、大きく頷いて言った。

「子供の頃は家族で祝ってたんですけど、中学生になってからはなんか恥ずかしくなって、そーゆーのやらないでって言っちゃったと思うんですよね。だから誕生日は、ずっとケーキ食べるだけの日になってて。プレゼントもお金渡されて、好きなの買えってなってた気がする」

 と、葉月は首を傾げる。
 彼女の記憶はところどころ抜けている部分がある。
 だから昔の話をする時、急に曖昧になることが多かった。
 特に覚えていないのはここ数年の記憶らしいが。
 家族、という言葉を聞くと伊織の胸に小さな傷ができるような気がした。
 ――葉月を家族のもとに帰さないのは、俺のエゴか?
 そんな想いが小さく、ずっと、胸の奥にある。
 借金取りから聞いた、葉月の家族の行方。
 その裏付け調査はまだ続けている最中だ。
 手に入れた住所に住む家族が、本当に葉月の家族なのか、という確証は得ていない。
 家族なら葉月を探そうとするだろうに、彼らは葉月を探す様子もないからだ。
 彼らは葉月をどう思っているのか、本当に脅されたから家を離れて九州に行ったのか。
 ――葉月を置いて消えた家族に彼女を返して、それは幸せなのか?
 その迷いが、伊織の心に錘のようにのしかかっていた。
 簡単に死ぬことなどできないあやかしである伊織を、身を挺して守った葉月。
 彼女を再び傷つけたくない、という恐怖が伊織のなかにずっとある。
 こんな小さな人間の少女のために、あやかしの総大将である自分が恐怖という感情を覚えるとは。
 その事実に自嘲せずにはいられなかった。

「家族は今いないし。でも今は伊織さんたちがいるから、皆にお祝いして欲しいです」

 そう言って笑う葉月の肩に、すっと手が伸びてしまう。

「あ……」

 その肩を抱き寄せると、葉月は声をあげて伊織を驚いた様子で見上げた。

「伊織さん……」

 その顔に浮かぶ表情は、驚きよりも切なげに見えてくる。
 わずかに頬が紅いようにも見え、伊織の心臓が大きく跳ねたような気がした。

「わかった。すっげーお祝いしような」

 そう笑いかけると、葉月は嬉しそうに笑い、

「ありがとうございます」

 と、弾む声で答えた。
 その肩を抱いたまま、伊織は屋敷へと歩く。
 葉月もまたそれを拒絶せず、伊織にそっともたれかかってくる。そんな葉月の姿を見ると、さらに愛おしさが増してきてしまう。
 あやかしの大将が、何の力も持たないただの人間に囚われてしまうとは。
 この小さな身体を離してしまったら、人間なんて簡単に自分の前から消え去ってしまうだろう。
 そんな本能的な恐怖が、伊織の中で沸騰した湯のように煮え続けているような気がした。
 これを愛などという、人間が使う軽い言葉で呼んでいいのか。
 伊織の中でその答えは出ていなかった。
 葉月と軽く会話を交わすうちに、伊織の屋敷に着いてしまう。
 住宅街に突如として現れる、真っ白な壁に囲まれた大きな和風の屋敷。
 門をくぐり中に入ると、葉月はぱっと伊織を見上げて言った。

「けっこうな距離を歩いているはずなのに、伊織さんと一緒だとあっという間に時間が経っちゃうんですよねー」

 そう楽しげな笑顔で告げ、葉月は屋敷を見上げる。
 庭に灯りは無いので、葉月にはきっと、暗い屋敷が映っているだけだろう。
 だが伊織は夜でもはっきりと葉月の表情も、屋敷の様子も見えた。
 昼間泣いていたのが嘘のように、ずっと葉月は笑顔だ。
 できればずっとその顔でいてほしいのに。
 葉月が知りたいと言うことを伝えると、彼女は悲しみに包まれてしまう。
 そのまま何も知らずにいたほうが幸せだろうに。なぜ葉月は、事実を知りたいと思うのか、伊織には理解できなかった。
 伊織は葉月の言葉を受け、彼女の肩から手を離して、頭に手を触れる。

「俺も、悠久の時間が刹那に感じるよ」

 と言い、その頭を抱き寄せた。
 言葉の意味が通じたのか、葉月は恥ずかしげに言った。

「そ、それは大げさですよ」

「おおげさじゃねえよ。あんたといる時間は俺にとって大事な物だからな」

 そう、自分でも驚くほど甘い声で言い、その、葉月の黒い髪にそっと口づけた。

「あ……」

 葉月は驚きと恥ずかしさが入り混じった声を漏らす。
 
「い、伊織さん……?」

 戸惑った声で言った葉月はこちらを見上げる。
 月もない、暗い庭。誰の目もない。その事が、伊織の心の中にある障壁を低くしてしまう。
 それでも、沸き上る衝動をぐっとこらえ、伊織は自分の屋敷へと目を向けた。

「家に入ろうか。明日は仕事だし」

 そう伊織が言うと、葉月は元気よく頷く。

「そ、そ、そうですね! あ、私、お茶、用意します!」

 すこし裏返った声で言い、葉月は伊織の手から離れて屋敷の方へと小走りに向かっていった。