家なし少女はあやかし執行官の執愛に囚われる

 藤の花を見て、神社に参拝して。ご飯も一緒に食べて。
 特別なことは何もないんだけど、伊織さんとのお出かけはすごく楽しかった。
 翌日から私は伊織さんの探偵事務所で働き始めた。
 仕事を教えてくれたのは祐飛さんだった。
 このなかでパソコンが一番得意らしい。
 畳のところに用意されたノートパソコン。
 窓際で煙草を吸う伊織さんを横目に、私は祐飛さんからお仕事を教えてもらった。

「パソコン、使える?」

「ネットとかは家で使ってたから一応は」

「これ、このエクセルファイル開いて」

「は、はい」

 仕事、といっても大したことはしなくって、お茶とかお菓子の買い物や経費の入力が中心だった。
 事務所には週四日通い、伊織さんと過ごしながら私はお仕事をさせてもらった。
 基本、他の三人は調査とかで色んなところに行っていていないらしい。
 でも、時々みんな集まって私の話し相手になってくれたり、桔梗さんとはカフェに行ったりと充実した時間を過ごせていた。
 

 
 それから一ヶ月ほどが過ぎた、五月二十一日水曜日。
 私の両親の手がかりはまだないし、奈美とも連絡が取れない。
 返してもらった携帯は、いつの間にか解約されてしまったみたいで使えなくなっていた。
 だから新しい方の携帯で、友だちに連絡を取ってみたけど、奈美だけが電話もメールも通じなくって、誰も新しい連絡先を知らなかった。
 古い携帯に残る、たくさんの奈美とのやりとり。それを見ると胸が苦しく感じてしまう。

「なにかあったのかな……」

 そう呟いてため息をつく日も多かった。
 しかも、時間が経ってからわかってきたけど、私の記憶からいくつかの物事が完全に抜け落ちてしまっていた。
 家族のに関することもそうだけど、奈美がどこの大学にいったのか、何の勉強をすると言っていたのか全然思い出せない。
 特に今年に入ってからオークションにかけられるまでの記憶、ぼやけていることが多かった。
 伊織さんが呼んでくれたあやかしのお医者さんは、

「大きな事件があったことによる一時的な記憶障害だろう」

 と言った。

「一時的な……」

 私の呟きに、白衣を着た黒髪の綺麗なお姉さんは大きく頷く。

「えぇ。珍しいことではないし、いつか思い出すかもしれない。思い出さないかもしれない。気に病まないことだ」

 と言われたけど、私の胸には大きな不安が広がった。
 お医者さんを見送ったあと、玄関先に立ったまま伊織さんがそっと私の頭に触れる。

「大丈夫」

 って。たった一言だけど。
 頭に置かれた手がすごく温かく感じた。
 私は伊織さんを見上げて、何とか笑顔を作る。

「そう、ですね。あの、私、お茶用意しますね!」

 時間は三時前。
 家にいる時、私と伊織さんはいっしょにお茶の時間を過ごすようになっていた。
 ちょうどその時間だから、私は台所に向かおうと歩き出す。
 その背中に、伊織さんの真面目な声がかかった。

「あぁ、葉月さん」

「はい」

 返事をして振り返ると、伊織さんはくちもとに畳まれた白い紙を当てて言った。

「頼まれていたこと、進展あったんだ」

「頼んでいたこと……」

 私はぴたり、と止まって着物姿の伊織さんを見つめる。
 指先が震えだして、足がすごく重く感じた。

「例の友だちの事」

 その言葉を聞いたとき、私の心臓が大きく跳ねたような気がした。
 私は伊織さんの前に立って、痛いほど鼓動を繰り返す心臓に、羽織の上から手を当てて尋ねた。

「ほんとう、ですか?」

「あぁ、ちょっと時間かかったけどな」

 伊織さんの顔、なんだか怖い気がする。
 なんだろう。これ、聞いていいのかな。伊織さんの表情を見ているとなんだか不安になってくる。
 どうしよう。
 そんな私の想いを察してか、伊織さんが心配げに顔を歪ませて言った。

「どうする。今聞くか、また後日にするか」

「う……」

 そう言われると悩んでしまう。だって伊織さんの顔みてると、あまりいい話ではなさそうだから。
 大丈夫かな、私。奈美のことを聞いて、堪えられるのかな。
 どうしよう、奈美、事件に巻き込まれたりとかしていたら。だって私がこんな目に合っているくらいだし。連絡取れなくなったって事は、そう言う可能性、あるよね。
 どうしよう、怖くなってきた。
 身体が震えてきて、私は思わず自分の身体を抱き締めた。
 やだ、歯もガチガチって鳴っている。
 すると、ふわっと伊織さんの匂いが私の身体を包み込んだ。

「あ……」 

 伊織さんは私の耳元に唇を寄せて、囁くように言った。

「葉月さん、さっきの診察の前に祐飛たちから報せが来て。だから早く知らせた方がいいのかなと思ったんだけど」

 そうだったんだ。そういえば、お医者様がいらした時、伊織さん、すぐに玄関に来なかったっけ。
 報せを受けていたからだったのね。
 あぁ、私どうしよう。
 聞くのが怖い。私、あんなに奈美のこと知りたかったのにな。なんで、こんなに怖いんだろう。
 私は大きく息を吸う。
 すると伊織さんがまとう、お香と煙草の匂いが肺に入ってきた。
 お香の匂いはいい匂いなのに、煙草でけっこう台無しになっていると思う。
 そう思ったらちょっとおかしく感じた。
 私はそっと伊織さんの背中に手を回して、彼に答える。

「大丈夫です、私。だからあの、教えてください。今、わかっていること」

 すると伊織さんは私の顔を目を細めて見つめて、

「わかった。じゃあ一緒にお茶、用意しようか」

 と言った。