その時、私の背中を妙な汗が流れた気がした。
「伊織」
低く静かに響く声に私は驚いて顔を上げる。
癖のある黒い髪。二重の黒い瞳。
黒地に何かの動物の模様が書かれた羽織を羽織った青年が、いつの間にか座卓を挟んで伊織さんの向かい側に立っていた。
え、全然音、しなかったけど、いつからいたんだろう。
彼は黙って伊織さんの向かい側、真琴さんの隣にすっと正座をする。
彼を見て、伊織さんが言った。
「葉月さん、これが祐飛」
「あ、は、初めまして」
姿勢を正して言うと、彼は私の方をちらっと見て軽く会釈をして、すぐに伊織さんの方へと目を向けた。
そしてすっと紙を差し出す。
どこかの地図みたいだけどどこだろう。
不思議に思っていると祐飛さんが淡々と言った。
「そこの少女を追いかけ回している、借金取りの今の拠点。桔梗が見張ってる」
「あぁ、ありがとう祐飛」
その紙を受け取り伊織さんはにやっと笑う。そして私の方を向いて言った。
「あとは踏み込むタイミングを決めるだけだ。あんたの借金の問題は必ず解決するから」
「あ、あ、ありがとうございます!」
私は大きく頭を下げた。
祐飛さんはこちらをちらり、とだけ見て伊織さんの方を向いて言葉を続けた。
「両親はまだ見つからないが、踏み込めば何かわかるかもしれない。引き続き調べる」
「あぁわかった」
そう伊織さんが返事をした後、祐飛さんがすっと立ち上がる。
そしてまるで霧のように姿を消してしまった。後に黒い羽根だけを残して。
あぁほんとうにこの人たちは人間じゃないんだ。
伊織さんも真琴さんも祐飛さんも。私はとんでもない世界に関わってしまっているのかもしれない。
この一カ月ちょっとで色んなことが起きすぎている。
親の失踪に借金取り、連れ去られたかと思ったら闇オークションにかけられて。
そんな状況に絶望していたら、伊織さんたちが助けてくれた。
その恩に報いらないとな。私ができることなんて少ないけど、私の証言が必要だって言っていたし、私、頑張るんだ。
その日の午後、私は伊織さんと買い物に出た。
やってきたのは家具屋さん。
「何欲しい?」
って言われてもこんな高い物、欲しいなんて言えるわけがない。
「あ、あの……本当にいいんですか?」
「だってうちのこと、してくれるんでしょ。それにまだ君をひとり暮らしさせるわけにはいかないしね。幸いこの辺りまで捜索されてないみたいだけど」
と言って笑う。
それ考えたら私、この素顔で歩いていて大丈夫なのかな。そう思って私は辺りを見回す。
……自分が何の特徴もない、ごく一般的な外見であることに気が付き、私は顔を伏せた。
「……葉月さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、視界を闇が覆った。
「わっ」
闇、と思ったのは一瞬ですぐにそれがサングラスだと気が付く。
わずかに香る、煙草とお香の匂い。
私はサングラスのつるの部分に触れながら言った。
「こ、これ……」
「変装」
って言って、伊織さんは笑う。
「え、あ……あの、これ伊織さんの……」
伊織さんの顔を見ると、いつもしているサングラスがなくなっている。
彼は頷き言った。
「うん、まあ目の色なんてそうそう認識されないし、帽子かぶってるからそんなわかんないだろうし。今時カラコンあるから意外と目立たないんだよ」
「い、いいんですか?」
戸惑う私に、伊織さんは帽子をとる仕草をして見せる。
「心配なら俺の帽子、かぶる?」
「い、いいえそこまでは大丈夫です!」
なんだか顔が熱くなるのを感じながら私は首を横に振った。
家具屋さんで服をしまうための箪笥を買って、そのあと雑貨屋さんでエプロンも買ってもらった。
他にも食材を買って、私はほくほくだった。
箪笥は後日配送になったから、服をしまえるのはまだ先だけど。
荷物が増えたから、私たちは帰り、タクシーを使うことにした。
いいのかな、って想いとありがたい気持ちが私の中でひしめき合っている。
なんでここまでしてくれるんだろうな。
いや、伊織さんをかばって私が怪我をしたのは事実だけど。それを隠ぺいするためとはいえ、やり過ぎな感じがする。
家に着くなり私は、玄関で荷物を下ろす伊織さんの背中に向かって言った。
「あの、伊織さん」
「何?」
「あやかしって皆、距離感おかしいんですか?」
「何で?」
驚いた顔で伊織さんがこちらを振り返る。
「だってそうじゃないと、伊織さんが私にここまでしてくれる理由がないかなって思って」
人間の常識と違うから、っていったら納得できるもの。
でも伊織さんは納得していないようだった。
「距離感がおかしい……そうかな……いや、距離感……?」
って、顎に手を当てて悩み始めてしまっている。
私、なんか哲学的な問いかけしちゃったかな。そんなつもりなかったんだけど。
えーと、どうしよう……どう言えばいいんだろう。
「あの、えーと、だっていくら私に貸しがあるって言っても怪我、治してくれたし……家に泊めてくれているし。こんなに物買ってくれるのって珍しいっていうか……」
「そうなの? 別に俺金あるし、だから使うのなんて当たり前だと思うけど」
そう言われるとそうなのかな……そう、なのかも……?
だめだ、今度は私が悩み始めそう。
やめよう、考えてもわからないし。あやかしと人間では常識が違うんだ、で納得しよう。
私はまだ怪訝そうな顔している伊織さんに向かって言った。
「すみません変なこと言って。私、洗濯もの取り込んだらお夕飯つくりますね!」
「あ、あぁ、うん。そうだこれ」
そう言って、伊織さんは私に一枚の紙を渡してきた。
それは人型に切られた和紙のようだった。何か文字が書いてあるけどなんて書いてあるかはわからない。
「これは……」
「式神。簡単な命令なら聞くから、必要なら使って。あんたの言う事聞くようにしてあるから」
「式神……」
なんだか漫画みたいだ。
「あのどうやって呼ぶんですか?」
「出てこいとか言えば出てくるよ」
出てこい、だとなんだか嫌だな。なんて言おう、えーと……えーと……
私は手のひらにのせた式神に向かって言った。
「式神さん、出てきてください」
そう言うと、紙はふわふわっと床に落ちて小さな人の形になった。
現れたのは、和服を着た女の子だった。彼女はニコニコ笑って私を見ている。
か、可愛い。小学生くらいかな。妹を思い出す。
私は膝を曲げて目線を合わせて、式神に向かって言った。
「じゃあ、式神さん、一緒に洗濯物取り込もう」
すると式神はこくん、って頷いた。
「伊織」
低く静かに響く声に私は驚いて顔を上げる。
癖のある黒い髪。二重の黒い瞳。
黒地に何かの動物の模様が書かれた羽織を羽織った青年が、いつの間にか座卓を挟んで伊織さんの向かい側に立っていた。
え、全然音、しなかったけど、いつからいたんだろう。
彼は黙って伊織さんの向かい側、真琴さんの隣にすっと正座をする。
彼を見て、伊織さんが言った。
「葉月さん、これが祐飛」
「あ、は、初めまして」
姿勢を正して言うと、彼は私の方をちらっと見て軽く会釈をして、すぐに伊織さんの方へと目を向けた。
そしてすっと紙を差し出す。
どこかの地図みたいだけどどこだろう。
不思議に思っていると祐飛さんが淡々と言った。
「そこの少女を追いかけ回している、借金取りの今の拠点。桔梗が見張ってる」
「あぁ、ありがとう祐飛」
その紙を受け取り伊織さんはにやっと笑う。そして私の方を向いて言った。
「あとは踏み込むタイミングを決めるだけだ。あんたの借金の問題は必ず解決するから」
「あ、あ、ありがとうございます!」
私は大きく頭を下げた。
祐飛さんはこちらをちらり、とだけ見て伊織さんの方を向いて言葉を続けた。
「両親はまだ見つからないが、踏み込めば何かわかるかもしれない。引き続き調べる」
「あぁわかった」
そう伊織さんが返事をした後、祐飛さんがすっと立ち上がる。
そしてまるで霧のように姿を消してしまった。後に黒い羽根だけを残して。
あぁほんとうにこの人たちは人間じゃないんだ。
伊織さんも真琴さんも祐飛さんも。私はとんでもない世界に関わってしまっているのかもしれない。
この一カ月ちょっとで色んなことが起きすぎている。
親の失踪に借金取り、連れ去られたかと思ったら闇オークションにかけられて。
そんな状況に絶望していたら、伊織さんたちが助けてくれた。
その恩に報いらないとな。私ができることなんて少ないけど、私の証言が必要だって言っていたし、私、頑張るんだ。
その日の午後、私は伊織さんと買い物に出た。
やってきたのは家具屋さん。
「何欲しい?」
って言われてもこんな高い物、欲しいなんて言えるわけがない。
「あ、あの……本当にいいんですか?」
「だってうちのこと、してくれるんでしょ。それにまだ君をひとり暮らしさせるわけにはいかないしね。幸いこの辺りまで捜索されてないみたいだけど」
と言って笑う。
それ考えたら私、この素顔で歩いていて大丈夫なのかな。そう思って私は辺りを見回す。
……自分が何の特徴もない、ごく一般的な外見であることに気が付き、私は顔を伏せた。
「……葉月さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、視界を闇が覆った。
「わっ」
闇、と思ったのは一瞬ですぐにそれがサングラスだと気が付く。
わずかに香る、煙草とお香の匂い。
私はサングラスのつるの部分に触れながら言った。
「こ、これ……」
「変装」
って言って、伊織さんは笑う。
「え、あ……あの、これ伊織さんの……」
伊織さんの顔を見ると、いつもしているサングラスがなくなっている。
彼は頷き言った。
「うん、まあ目の色なんてそうそう認識されないし、帽子かぶってるからそんなわかんないだろうし。今時カラコンあるから意外と目立たないんだよ」
「い、いいんですか?」
戸惑う私に、伊織さんは帽子をとる仕草をして見せる。
「心配なら俺の帽子、かぶる?」
「い、いいえそこまでは大丈夫です!」
なんだか顔が熱くなるのを感じながら私は首を横に振った。
家具屋さんで服をしまうための箪笥を買って、そのあと雑貨屋さんでエプロンも買ってもらった。
他にも食材を買って、私はほくほくだった。
箪笥は後日配送になったから、服をしまえるのはまだ先だけど。
荷物が増えたから、私たちは帰り、タクシーを使うことにした。
いいのかな、って想いとありがたい気持ちが私の中でひしめき合っている。
なんでここまでしてくれるんだろうな。
いや、伊織さんをかばって私が怪我をしたのは事実だけど。それを隠ぺいするためとはいえ、やり過ぎな感じがする。
家に着くなり私は、玄関で荷物を下ろす伊織さんの背中に向かって言った。
「あの、伊織さん」
「何?」
「あやかしって皆、距離感おかしいんですか?」
「何で?」
驚いた顔で伊織さんがこちらを振り返る。
「だってそうじゃないと、伊織さんが私にここまでしてくれる理由がないかなって思って」
人間の常識と違うから、っていったら納得できるもの。
でも伊織さんは納得していないようだった。
「距離感がおかしい……そうかな……いや、距離感……?」
って、顎に手を当てて悩み始めてしまっている。
私、なんか哲学的な問いかけしちゃったかな。そんなつもりなかったんだけど。
えーと、どうしよう……どう言えばいいんだろう。
「あの、えーと、だっていくら私に貸しがあるって言っても怪我、治してくれたし……家に泊めてくれているし。こんなに物買ってくれるのって珍しいっていうか……」
「そうなの? 別に俺金あるし、だから使うのなんて当たり前だと思うけど」
そう言われるとそうなのかな……そう、なのかも……?
だめだ、今度は私が悩み始めそう。
やめよう、考えてもわからないし。あやかしと人間では常識が違うんだ、で納得しよう。
私はまだ怪訝そうな顔している伊織さんに向かって言った。
「すみません変なこと言って。私、洗濯もの取り込んだらお夕飯つくりますね!」
「あ、あぁ、うん。そうだこれ」
そう言って、伊織さんは私に一枚の紙を渡してきた。
それは人型に切られた和紙のようだった。何か文字が書いてあるけどなんて書いてあるかはわからない。
「これは……」
「式神。簡単な命令なら聞くから、必要なら使って。あんたの言う事聞くようにしてあるから」
「式神……」
なんだか漫画みたいだ。
「あのどうやって呼ぶんですか?」
「出てこいとか言えば出てくるよ」
出てこい、だとなんだか嫌だな。なんて言おう、えーと……えーと……
私は手のひらにのせた式神に向かって言った。
「式神さん、出てきてください」
そう言うと、紙はふわふわっと床に落ちて小さな人の形になった。
現れたのは、和服を着た女の子だった。彼女はニコニコ笑って私を見ている。
か、可愛い。小学生くらいかな。妹を思い出す。
私は膝を曲げて目線を合わせて、式神に向かって言った。
「じゃあ、式神さん、一緒に洗濯物取り込もう」
すると式神はこくん、って頷いた。
