幾星霜の呪いの子 ―下町駆け込み寺の怪異譚―

「芳子ちゃんが十九になると隣町の米問屋から婿を取ってね、二人で松永を盛り返そうって頑張ってたんだけど」
 商売ってのは難しいものだね、と深々と溜息を吐いた。
「芳子ちゃんの頑張りは届かなかった」
 味噌を使った煎餅や米菓子を販売して再起を図ったそうだが、そううまくはいかず、二軒あった味噌蔵は一軒に減り、屋敷で働いていた使用人の数も半分にまで減ってしまった。
「そんな中、信頼していた女中さ息子を殺されちゃったんだから……。ショックだったと思うよ。両親ともどもふさぎ込んで、芳子ちゃんなんかもう、紙っぺらみたいに痩せちゃって」
 老人は、紙を摘まむように親指と人差し指をくっつけてみせた。
 やがて芳子の夫は、長男の死を苦に首を吊ってしまう。芳子はついに松永味噌醸造を畳んで、母娘二人だけで仙台市中心部の小さな家へと移り住んだ。
「その時はじめて、お隣はなにかさ祟られてんのかと思ったね。おふくろが言ってた『女の怨念』ってのも、あながち間違ってないのかもなって」
 そう言って老人は窓から見える隣の敷地をぼんやりと見つめた。かつて隆盛を極めた松永味噌醸造を思い出しているように。
「いろいろあったんですね」
 司が静かに同意すると、老人は我に返り「そうだ。写真があるよ」と立ち上がった。
 引き戸で仕切られた隣の部屋に入り、押し入れの中を引っ搔き回し始めた。手伝うべきか、他人の家で勝手をすべきではないかと迷っていると、隣室から老人が声を張り上げる。
「昔のアルバムに松永味噌の写真が残ってたと思うから、ちょっと待ってな!」
「すみません」
 部屋を見渡す限り、老人は一人暮らしだろう。久しぶりの会話で記憶を刺激されたのか、昔語りをできるのが嬉しいのか、どこか張り切った様子だ。
「あった、あった」
 やがて色褪せたビロードのアルバムを二冊ほど抱えて、老人が戻ってきた。
 糊が茶色く変色したアルバムのページには、古い写真がいくつも収められていた。どの写真にも写っている、坊主頭の丸顔の少年が幼少期の彼だろう。
 大きな日本家屋の前で、幼少期の老人と、髪をお下げにした美しい少女が並んで写っている。「これが芳子ちゃん。別嬪だろ」と老人が得意げ指さした。
「本当だ。すごく美人」
 司が大きく頷いて同意すると、老人は張り切ってページをめくり始めた。
「これが味噌蔵。こっちが松永のお屋敷。ね、大っきいだろ? この、家の前のひろーい庭でよく芳子ちゃんと遊んだんだ」
 アルバムは老人の家のものなのに、松永味噌醸造の仕事風景、季節折々の行事での様子、松永家の団らんなど、隣家の写真ばかりだった。一家そろって、裕福な隣家と繋がりがあることを誇りに思っていたのだろう。
「わ、お餅ついてる! これはお正月?」
 司が指さした写真は、広い庭先で餅つきをしている写真だった。
 杵を振るのはおそらく正太郎。臼を支えているのは、おそらく長男の正男だろう。芳子と、赤子を背にくくった正男の妻らしき女性が、そばで餅を丸めている。離れたところから斜に構えて眺めている細面の青年は清二か。
「そうだよ。こっちは花見」
 こちらも松永家での写真だ。庭先の立派な桜を囲んで、一家と従業員が顔を揃えている。中心に、酒で顔を赤くした正太郎が座り、その周りを家族が取り囲んでいる。たくさんの茣蓙が敷かれ、従業員たちも、おのおの弁当を食べたり酒を飲んだりしていた。
 芳子と老人がままごとに興じる写真、軒先で花火をする写真、豆まきで正太郎が鬼を演じる写真。ほとんどの写真が、中心に正太郎を据え、家族と、一家にお邪魔している老人がそれを取り囲んでいる。
「ねえ」
 アルバムをめくりながら司が首を傾げる。
「お母さん、全然写ってないね? 正太郎さんの奥さん」
 司に言われ、はたと気づく。
 どの写真にも正太郎の妻が写っていない。正太郎とその子どもたち、長男の嫁、まだ乳児の長男の息子。斜に構えた清二ですら何枚かの写真に映っているのに、一家の母である正太郎の妻の姿がまったくない。
「ああ、(しず)さん? 静さんの写真はないんでねえかな」
 老人がけろりと答える。
「どうして? 写真嫌いだったんですか?」
 違う、違うと老人が首を振る。
「本人が嫌っているんじゃない。正太郎さんが、静さんを写真さ写させないんだよ」
「……どうして?」
 おそろしく別嬪さんだったからね、と老人はうっとりと目を細めた。
「一度、若い職人が静さんに入れあげて、一緒に松永家から逃げようって(そそのか)したらしいんだ。それを知った正太郎さんは激怒して、職人をすぐに解雇(くび)にして、静さんを一週間離れの小部屋さ閉じ込めたんだ。それから一週間を過ぎても、静さんを表に出さなくなっちゃったんだよね。家族が揃うような場所にも」
「閉じ込めたって……」
 芳子ら三兄弟の母親で、正太郎の妻――。これまでの調べの中で、ほとんど名前が挙がらなかった人物だ。夫に裏切られ、愛人には最も恨まれていただろう人物。なのに、どうして今まで思い至らなかったのだろう――。
 何度も思い描いた味噌屋の一家に、突然亡霊のような女が湧いて出てきた。  
 背筋が、ぞくりと震える。
「松永静……」