幾星霜の呪いの子 ―下町駆け込み寺の怪異譚―

 翌日、かつて松永家があった沿岸部の地域に向かった。
 仙台駅から仙石線(せんせきせん)に乗り、松島方面へ。下車した駅からバスに乗り換え、堤防と竹林しかない寂れた土地に降り立った。仙台市若葉区菖蒲地区(しょうぶちく)。地図上では海に近い場所なのだが、降り立った場所からは海の気配はまったく感じられない。
 住宅らしき建物がぽつりぽつりと点在しているが、竹の生い茂った空き地が目立った。バスの中で、この先に漁港があり、そちらは海産物の加工所や市場があって活気があるとアナウンスされていた。
 素人なのでわからないが、海の近くというのは味噌づくりに適していたのだろうか。
 司と並んで、ひと気のない道路を歩く。
「なにもないところだね。のどか」
「のどか……と言うか、寂れてるな。昼間だってのに誰ともすれ違わない」
「このへんに住んでるひとたちは、買い物はどうしてるんだろう」
「一家に一台じゃなくて一人に一台、車があるんじゃないか? 福島に住んでる友達が言ってたよ。四人家族だと家に車が四台あるんだって」
「自宅に四台も車があるの? へぇー」
 昨夜さんざん泣きはらした司は、今度こそ憑き物をすべて落としたようにさっぱりとした顔をしていた。
 知らない土地のにおいがする、と司が深呼吸をした。崇文もそれに倣った。午前の澄んだ空気の中、かすかに潮のにおいが感じられるような気がした。
 十分程歩くと、先に竹垣に囲まれた一画が見えてくる。崇文はそこを目指して歩いた。
 数年前に一人でここに訪れたときは、松永家跡地には何も残っていなかった。通りからの目隠しの竹垣が残るだけで、かつてあっただろう家屋や味噌蔵はすべて撤去されていた。敷地内は更地になり、学校の校庭のようなだだっ広い空き地になっていた。その広さから、当時の松永家の豊かさが窺えた。もう四年ほど前になるだろうか。
 あの頃の面影は枯れた竹垣の一部だけで、松永家跡地はすっかり様変わりしていた。敷地内はコンクリートで整備され、奥のほうに同じような形をした軽量鉄骨造のアパートが三棟たっていた。
 アパートの住人のためのものだろう、そばにはシルバーの大きなゴミ収集庫が置かれている。住人のマナーが悪いのか、集積所のいたるところに、ゴミの分別を徹底するようにとの派手な彩色の注意書きが貼られていた。
「ここ?」
 あたりを見回し、司が呆然と呟いた。
「ここだ」と頷くと、へえ、と気の抜けた相槌を返してよこした。
 無理もない。かつて味噌づくりの商家があったとは思えない、雑然とした風景だった。
「ここに、『松永味噌醸造』があったの?」
「そう。もう何年も前だけどな」
 正太郎の死後、長男、次男と相次いで亡くなり、四代目として代替わりしたのは末っ子の芳子だった。十九で入り婿を迎え、夫婦二人三脚で松永味噌醸造を切り盛りしていた。
 敷地内での人死(ひとじ)にが噂になったり、続々と従業員が抜けていく中、芳子はなんとか松永味噌醸造を立て直そうと奮闘した。だが愛息の死、夫の自殺と不幸が相次ぎ、ついに芳子は幼い香苗を連れてこの忌まわしい地を出ることを決めた。
 そうして松永味噌醸造は落日を迎える。
 長い年月がたち、土地はすっかり様相を変えた。
 ねえ、と司が間延びした声を出した。振り向くと、決まりが悪そうに頬を搔いている。
「あのさ、言いにくいんだけど……」
「なに」
「なにか感じる?」
「……」
禍々(まがまが)しい空気とか、(いにしえ)からの呪いとか、どこからともなく漂って来る不気味な気配とか……。ちなみに私はなんにも感じない」
「……」
「若干、遠くから磯臭い風が吹いてくるなぁってだけ。崇文は? なにか感じる?」
「……うん。いや」
 正直に述べていいものか迷っていると、「正直に言え」とドスの利いた声で迫られた。
「……なんも感じない」
「だよね」
「このアパートの家賃、いくらくらいなのかな、とか考えてた」
「私も思った。駅からかなり離れてるから格安だと思う」
「うん」
 それきり、話題が途切れた。わざわざ仙台に来て、呪いが生まれた土地にまで来て話すことがこれかと、力が抜ける。
「家賃を気にしている場合じゃないんだよ」
 思わず笑いながら言うと、司も笑い出した。
「だって! それくらいしか感じることなくない?」
 だってここ、なんにもない! と司が両手を広げ、その場でくるりと一回転する。松永家跡地は、アパートが立ち並ぶごくありふれた住宅地の一部になっていた。
 どう足掻いても、過去に因縁のあった呪われた地とは思えない。自分たちが霊感ゼロの、感覚の鈍い二人だというのを差し引いても、オカルト的な空気は皆無だった。
 ひとしきり笑って、途方に暮れていると、隣家の敷地から小柄な老人が出てきた。
「こんにちは」
 ニットの帽子をかぶった、にこやかな顔をした好々爺だ。日課の散歩にでも出るところだったのか、手には何も持っていない。いかにも話好きそうな顔をしていて、恰好の話相手を見つけたとでも言うように勇んでこちらに近づいてきた。
「こんにちはー」
 司が愛想よく挨拶を返すと、しめたとばかりに話しかけてきた。
「どっから来たの? 菊島(きくしま)漁港さ行くんなら、あっちさ漁港行きのバス亭があるよ」
「あ、いえ。ちょっとこのへんを散策してました」
 崇文は老人をやり過ごすように素っ気なく応えた。都会育ちのせいか見ず知らずの人間に突然話しかけられるのが苦手だ。だが司は、まるで昔馴染みと話すように気負いなく会話をし始めた。
「東京から来たんです」
「東京?」
 老人はすぐに司を気に入り、隣に並んで話し出した。
「何しにきたの? ここらにはなんにもないよ」
「ちょっと昔の知り合いを訪ねに」
  旅の目的を聞かれ、司は笑顔で返事を濁す。
 ぼうっと司の笑顔に見惚れた後、老人はアパートの前のだだっ広い空き地に目を向けた。
「今はなんにもないけど、昔ここさ、大っきなお屋敷があったんだよ」
 かつての松永家を知る人物だとわかり、思わず息をのむ。
「部屋がいくつもある豪邸。味噌屋さんでね、ほら、そこのアパートがたってっとこさ、家とは別に蔵があったんだよ。蔵ってわかる? 味噌を作るところ」
「おじいちゃん、知ってるの?」
 司が食いつくと、老人は得意げに頷いた。
「知ってるさ。しょっちゅう遊びに来てたもの」
「遊びに? おじいちゃん、松永味噌に入ったことあるの⁉」
 さらに司が追及すると、老人は顔を上げて、あらためてこちらの顔を代わる代わる見た。
「あれ、もしかして味噌蔵の見学さ来たの? 松永さんとこは、もうずっと前に商売やめちゃったんだよ」
 残念だったねえ、と老人が眉を下げる。
「ううん、違うの。ねえ、おじいちゃん、松永味噌醸造のこと、どれくらい知ってる?」
「どれくらいって、なんでも知ってるよ。生まれたときから、お隣さ住んでるもの」 
 老人は、なんでも聞いてくれと言わんばかりに、得意げに頷いた。
「おれの親父がここで働いていたしね」
「すみません!」
 思わず二人の間に割って入ると、老人は目を丸くして崇文を見上げた。目つきのきつい大男が割り込んできて、老人はすっかり怯えた表情に変わってしまった。逸る気持ちを押さえ、崇文はなんとか冷静な声を出した。
「すみません、お話を聞かせてもらえませんか? 俺たち、松永味噌醸造のことを調べにきたんです」
「なにさ調べるの」と、司を相手にしていたときよりもだいぶ小声で老人が訊いてくる。
「なんでもいいんです。松永家のことならなんでも。どうか教えてください」
 崇文が丁寧に頭を下げると、老人は訝しみながらも「ここじゃなんだから」と自宅に招いてくれた。