幾星霜の呪いの子 ―下町駆け込み寺の怪異譚―

「――司。ここで黙り込むのはなしだ。俺たちは呪いの決着をつけにここまで来たんだろう? 思っていることがあるならここで言って」
「……」
「――俺は明日、一人で松永家のあった場所に行ってみる。そこで何かないか調べて」
「私は!」
 司が突然大声を上げた。しばらくは口をきかないだろうと諦めていたが、珍しく自分から口火を切った。殻に閉じこもる時間としては最短を記録したかもしれない。
「私は! 呪われているかもしれないって思ったことはある! もしかしたら、本当に松永家の男子は呪われてるんじゃないかって」
「うん」
「お父さんたちが死んだ車の事故、後で聞いたら居眠り運転が原因だったんだって。居眠り運転のトラックがうちの車に突っ込んできたって」
 居眠り運転のワードに背筋が凍る。さっきの運転手も、居眠りだったと白状している。
「お父さんは速度も信号も守って安全運転していた。なんの問題もなかったんだって。それなのに、みんな死んじゃうなんて。お母さんのお兄さん、(みのる)おじさんもそう。なんにも悪いことしてないのに誘拐されて殺された。なんにも、なんにも悪いことしてないのに……。おかしいよね。やっぱり呪いはあるのかな、私自身も呪われてるのかなって思ってきた」
「うん」
「でも、怖いと思ったことはなかった。何かあったら、絶対に崇文が助けてくれると思ってたから」
 涙ぐんだ目で司が見つめてくる。
「うん。もちろん」
 安心させようとすぐに頷いたのに、司の目は、さらに悲しそうに歪んだ。
「事故や事件に巻き込まれたら崇文が助けてくれるって思ってる。もしも急に病気になったら、崇文が治してくれるって思ってる」
「もちろん、助けるよ絶対に」
 病気は治せないが、優秀な医者を見つけてくる覚悟はある。
「小さい子供じゃないのに、馬鹿みたいでしょ」
「馬鹿じゃないよ。俺は司のためだったら、なんだってやる」
 司の両手を取って目線を合わせる。絶対に助けると伝えているのに、司の目はますます歪んで涙の膜が張る。
「たとえ私が本当に呪われてたとしても、崇文が守ってくれるって信じてる。崇文はいつだって、私を優先してくれるって思ってる。現に崇文は、坊さんになんてならないって言ってたのに、得度(とくど)を受けてお寺を継いだ」
 司が呪われた松永家の生き残りだと聞いたあの日、父の跡を継ごうと決意した。仏門に入ることにどれだけ意味があるのかわからなかったが、少しは司を呪いから守れると思った。仏教系の大学に進むと言うと、父も母も喜んだ。
 呪いなんか信じないと口では言いつつ、自ら司の呪いを「肯定」してしまっていた。
「私のせいで崇文の将来が決まっちゃった。崇文は、本当はなにになりたかったの? 将来の夢はなんだったの? 小学校の頃は消防士になりたいって言ってたよね?」
「……司」
 そんな昔の話、よく覚えていたな。俺自身がすっかり忘れていた。
 小学校低学年の頃だろうか。見た目の格好良さから「消防士になりたい」と言っていた気がする。
 ――俺がいつも司を気にしているように、司も俺のことを考えていてくれたんだな。
「消防士になりたいって言ってたじゃない! 坊さんなんて、着物がダサいからやだって!」
 ついに司の目から涙が転げ落ちる。一粒落ちると、あとはとめどなく滝のように流れた。
「いつも崇文に悪いって思ってた。なのに、一方では当たり前のように崇文が助けてくれるって思ってる。お寺を継いで住職になるって聞いたときも、頭のどこかで『やっぱり』って思った」
 私はひどい、と司が泣きじゃくる。
「私の身になにかあったら崇文がなんとかしてくれる、崇文が助けてくれるって疑ったことがない。お父さんやお母さんが、崇文が、私が呪われてるって信じているのと同じように、私も崇文がどうにかしてくれるって信じてる」
「もちろんだ! 信じていいよ。なんで泣くんだ」
「それじゃあ、だめなんだよ!」
 司がシャツにしがみついてくる。
「呪いなんてありもしないものを信じて、私たちはお互いの人生を壊してる。お互いにお互いの行動を縛って……これじゃあ、まるで呪い合ってるようなものだよ!」
「司……」
「これ以上、私に崇文を呪わせないで」
 司が子どものように泣きじゃくる。涙はあとからあとから溢れ、顎を伝って白いニットに消えてゆく。親指で涙を拭い、そのうち垂れてくるだろう鼻の下にティッシュを当ててやると、自分で拭く、と言って奪い取られた。
 ――ずっとそんな風に考えていたのか。
 この前言いかけたのは、このことだったんだな。
 司の自由を奪うのを心苦しく思っているのと同じように、司も、自分のせいで相手の人生を台無しにしていると胸を痛めていたのだ。
 自分たちの関係は、愛情と信頼と、互いを想いやる気持ちが複雑に絡み合い、そばにいるのに何もわかり合えていなかった。
「三峰の家に迷惑をかけてる……崇文の人生を台無しにしてる……。私は大丈夫だから。大丈夫だから、もう放っておいて。崇文も自由に生きて」
「放っておくわけないだろう」
 自由に生きていいと言うのなら、司がずっと健康に楽しく暮らせるよう、そばについている。――大切な妹……弟だから。
「消防士なんて忘れてたよ。よく憶えてたな」
「……」
「それに、消防士は無理だって思ったんだ。夜勤がな……。俺、夜の十二時過ぎると起きていられないの知ってるだろ?」
「……ふ」
 ふはっと司が吹き出し、崇文のシャツに洟だか涎だかが飛んだ。
「医者、看護師、土木作業員。コンビニの店員もだめだな。起きていられる自信がない」
「……崇文、十二時前に眠くなって朝五時に起きちゃうもんね。おじいちゃんだもんね」
「小学校の頃から、朝の鐘突いているんだから仕方ないだろ。習慣だよ」
「ふふふ」
 小首を傾げて笑う、見慣れた笑い方。
 これは司の自然な仕草なのだろうか。それとも母が「女らしくいろ」と厳しく躾けた賜物だろうか。
 本当はどんな風に笑うのだろう。 
 涙や洟水で濡れそぼってもなお、綺麗な顔。見ていると物悲しくなった。命さえあれば良いと、性別まで偽った不憫な子。
 司の呪いがなければ、と願ったことはあるけれど、司と出会わなければと思ったことはない。