幾星霜の呪いの子 ―下町駆け込み寺の怪異譚―

 
 スケジュール帳を取り出し、後ろの白紙のページを開いた。
 ページの下のほうに「司」と「誠」と書き込む。二人の名を線で結び、その中央から垂直に上へ線を伸ばした。
 その先に、司と誠の両親、高野智也(たかのともや)香苗(かなえ)の名前を書き込んだ。
 母・高野香苗は、智也と結婚するまでは仙台に住んでおり、旧姓を松永といった。結婚前、香苗が暮らしていたのは仙台市中心部のマンションだが、そこに移り住むまでは、沿岸部にある広大な屋敷に住んでいた。
 これが(くだん)松永家(まつながけ)である。
 松永家は『松永味噌醸造(まつながみそじょうぞう)』という味噌屋を営んでいた。大正時代には百人近い従業員を擁する、地元では知らぬ者のいない豪商だった。
 崇文は手帳の余白に「松永味噌醸造」と書き込んだ。
「崇文、なにかお菓子食べる?」
 家系図に没頭していると、司に肩を叩かれた。顔を上げると、目の前に車内販売のワゴンが止まっている。
「……俺はいい。コーヒーだけお願い」
「そう? お腹空かない? ――ホットコーヒーを二つとチップスターをお願いします」
 司は車内販売員から菓子とコーヒーを二つ受け取ると、片方のカップを渡してきた。さっき東京駅で昼食を済ませたばかりだと言うのに、旺盛な食欲を見せている。司は朝から上機嫌で、呪いの真相を探りに行くとは思えない楽し気な様子だった。
 東京駅から東北新幹線に乗り、一路仙台を目指していた。先ほど大宮駅を過ぎ、仙台駅到着まではあと一時間ほどだ。
 司からコーヒーを受け取ると、崇文は再び手帳に視線を落とした。
 以前、一人でこっそりと仙台に行き、松永家について調べたことがある。司のルーツについては両親から聞かされていたのだが、もっと詳しく知りたかった。その頃は今よりももっと「呪い」に対して懐疑的で、司の一族の死が、ただの不幸な事故の連続なのだと確認するつもりで調べに行った。
 司の母・香苗の横並びにラインを伸ばし、香苗の兄・(みのる)の名を書き加える。司から見て、伯父にあたる。
 (みのる)は幼少の頃、松永家の女中頭に殺されていた。
 当時、松永家には複数の使用人が働いており、実・香苗兄妹は、忙しい両親に代わって女中に育てられていた。そんな中、実は女中頭の自宅で遺体となって発見された。女中頭は、実を殺した理由をついぞ明かさなかったらしい。
 幼い息子の突然の死は、両親に大打撃を与えた。父親の宗次郎(そうじろう)は、実が死亡したすぐ後に自死している。――これは呪いのせいなのか、息子の死を苦に精神を病んでしまったかはわからない。宗次郎は他家からきた入り婿だった。
 宗次郎の妻・松永芳子(まつながよしこ)。実と香苗の母親で、司の祖母である。
 芳子は夫の死後、忌まわしき松永の屋敷を出て、仙台市中心部に移り住んだ。その後女手一つで香苗を育て上げている。
 この芳子が、幼い司の手を引いて三峰家にやってきた、その人だ。
 娘一家が交通事故に遭ったのを知り、一人生き残った司を迎えに行った。一人で暮らす仙台のマンションには連れて帰らず、遠縁にあたる長栄寺に預けにきた。仏様の下でなら、司も生き延びるかもしれないと一縷の望みをかけた。
 芳子は、三峰家を訪ねた七年後に死去。享年八十歳。松永一族の中では異例の長生きだと言えるだろう。司を連れて来た時はすでに七十を過ぎていたのかと思うと、驚異的だった。記憶にある芳子は、美しく、ふるまいも矍鑠(かくしゃく)としていた。
 芳子は、三人兄弟の末子だった。
 上には兄が二人。やはり、どちらも若い時分に亡くなっている。
 長兄・正男(まさお)は家業を継いですぐ、流行も下火になっていたコレラに罹患。この時わずか一歳になったばかりの正男の息子も同じく罹患し、二人はほぼ同時に病死している。
 代わって松永味噌醸造を継ぐことになった次男・清二(せいじ)は、家業を継いだその日に馬車に轢かれて死亡していた。
 以前、ここまで調べたところで寒気に襲われたのを覚えている。
 ――呪いは、本当に存在するのではないか……? 
 不審な死の連続に、うまく理由をつけられなくなっていた。
 正男、清二、芳子の三兄弟を繋いだ線を、上へと伸ばす。
 この異常な死の連鎖の原因となったのが、三人の父、松永正太郎(まつながしょうたろう)だ。
 正太郎は、松永味噌醸造の三代目当主である。
 正太郎の代で松永味噌醸造は急拡大しており、正太郎の商売の手腕が優れていたことが窺える。このとき従業員の数が百人近くにも上り、松永味噌醸造の最盛期であった。商品の味噌が天皇家御用達となった時期もあり、地元の史料館には松永家の写真が多く残っていた。松永家は、地域では知らない者がいない、裕福な商家であったようだ。
 数年前単身で仙台入りしたときに、祖父が松永味噌醸造と同業者だったという男から話を聞くことができた。食品加工業を営む男で、男の祖父が、正太郎と面識があったそうだ。
「子どもの頃、祖父が『松永さんとこの正太郎さん』と噂しているのを、何度か聞いたことがあります。祖父の話す正太郎さんは『豪快な人』という印象でしたね」
 松永正太郎は、仕事を終えると従業員を引き連れて朝方まで飲み明かす、豪放磊落な男という印象だったそうだ。飲みに行った先で、店にいる客全員の勘定を払ってやったなどの逸話もあり、気前の良い男と有名だった。
 気前の良さは金払いだけに留まらず、正妻の他に何人もの愛人がいて、夜な夜な他所を泊まり歩いていた。時々、面の皮の厚い愛人が松永家を訪ねてきて、正太郎の寝食代と言ってお金を無心していたという。
 やがて、愛人のうちの一人が、松永味噌醸造の敷地内で自殺する悲惨な事件が起きた。
 女の名は五条千代(ごじょうちよ)。この千代が、松永家に呪いをかけた張本人だ。
 千代は未亡人で、町のはずれで小さな畑を維持して暮らしていた。どういう経緯か正太郎と知り合い、愛人関係となった。二人は細々と関係を続けていたが、正太郎にすげなく縁を切られると、千代は激昂した。もともと気性の激しい女だったのか、(まじな)いでも嗜む女だったのか、一方的な別れの腹いせに、松永家の男子を末代まで呪うと書き残し松永家の味噌蔵で首を吊ってしまった。
 翌日、松永味噌醸造は上へ下への大騒ぎとなった。
 梁からぶら下がる、異様に首が伸びた千代の遺体。遺体の真下には、味噌とも体液とも判らぬ液だまりができていた。蔵中に漂う麹と汚物が入り混じった凄まじい臭気。あまりの光景に、数人の丁稚奉公が泣いて逃げ出したという。
 遺体を運び出す際、千代の指先が欠損しているのを従業員の一人が発見している。見ると、千代の足元にあった味噌桶に血文字で「末代呪」と書かれていたらしい――。
 味噌づくりに菌はご法度で、このとき仕込んでいた味噌はすべて廃棄された。さらに従業員が三分の二まで激減、もともと正太郎に不満を抱いていた者がこの機会に出ていったようだ。
 この一件に関して、厳しい箝口令が敷かれた。世間体ももちろん、衛生面を危ぶまれ、味噌が売れなくなったら大ごとだからだ。
 しかし、崇文が出会った男の祖父は、松永味噌醸造の若い職人からこの事件の仔細を聞いたらしい。
「お喋りな奴ってのは、どこの世界にもいますから」
 この事件をきっかけに、松永味噌醸造は衰退の一途を辿る。
 千代の自殺の数日後、正太郎が味噌蔵で遺体となって発見された。第一発酵の大桶をかき混ぜていたら、底から正太郎の遺体があがってきたのだ。
 味噌づくりに使われる木桶は、高さがおよそ二mもある。作業をするには、桶に立て掛けられた梯子を昇らねばならない。
 当初、正太郎は桶の(ふち)から足を滑らせ落下したのだと考えられていた。だが、いつ正太郎が桶の底に落ちたのか謎だった。就業中は蔵の中には多くの従業員が詰めているし、作業が終われば蔵は施錠される。深夜、わざわざ鍵を開けてまで、正太郎は何をしようとしていたのか。――それに、桶の中身は成人男性の膝下ほどの深さしかなく、溺れ死ぬとは考えにくい。最終的に、落ちた時に頭を強打したのだと、強引に結論づけられた。
 正太郎の死を皮切りに、先述の通り、一族の男子が事故や病気、自死など異様な死に方で命を落としていった。
 ペンを止め、崇文はあらためて司の家系図を眺めてみた。
 司と誠を起点に枝葉のように伸ばされた家系図は、司以外の人間がみな死んでいた。
 もちろん、何代も上の先祖が亡くなっているのは当然なのだが、その下に続く親族の誰もが若くして亡くなっている異常さが際立った。寿命を全うしたと言えるのは司の祖母・芳子一人。中年まで生き伸びたのが司の母・香苗。男子はみな、三十歳を前に不審な死を遂げている。
「……」
 崇文は完成した家系図の外側に「千代」と名前を書き、何度も丸でなぞった。
 千代は今、ちゃんと供養されているのだろうか。長年の代替わりを経て、打ち捨てられているのではないか。千代を弔いさえすれば、呪いの連鎖は止まるのではないだろうか。
「見事にみんな死んじゃってるね」
 はっと顔を上げると、司が手帳を覗き込んでいた。表情の抜け落ちた顔で千代と書かれた部分を凝視している。
「……そりゃあ、家系図ってそんなもんだろう。ご先祖様が全員生きてたら、何歳になるんだ」
「お父さんとお母さんの代くらいまでは、普通、まだ生きているでしょ?」
「――まあ、な」
 ついこの前まで、司の前で「生きる」「死ぬ」という単語を口にするのさえ躊躇われた。けれど恐れているだけでは何も変わらない。自分たちはこれから、呪いの大元に接触しに行くのだ。崇文は自分に言い聞かせるように口を開いた。
「ちゃんと調べよう。俺はまだ、呪いなんてないって信じてるよ」