幾星霜の呪いの子 ―下町駆け込み寺の怪異譚―

 自転車を追いかけていると、すぐに彼らの行く先の見当がついた。うっすらと焦げ臭いにおいが漂って来る。案の定、少し先に落合邸の火事跡が見えてきた。
 住宅と住宅の間に、突然焼け焦げた廃屋が現れる。どこもかしこも黒く焦げ、闇に溶け込むように存在していた。何重にも巻かれた立ち入り禁止テープの黄色だけが、鮮やかに浮かび上がっている。だがそれも巻かれてからだいぶ時間が経ち、ところどころ千切れてだらりと垂れ下がっていた。
 四人の男女が、火事跡の前でスマホを構えたり、内部を覗き込んだりしている。
「こら、なにやってんの」
 声をかけると、全員がいっせいに振り返った。男子と女子が二人ずつ、みな制服を着た高校生だ。そばには自転車が停めてあり、それぞれが自宅からここへ集合したようだった。
「動画の撮影?」
「あ、違います。俺たち撮影とか、そんなんじゃないです」
 ひょろりと背の高い男子が、顔の前で大きく手を振る。
「この火事跡から変な音が聞こえるって噂を聞いて、確かめにきただけです」
 な、と長身の男子が仲間を振り返る。友人たちも皆、悪びれもせず大きく頷いている。
 無邪気な少年たちの様子に、思わず力が抜けた。
「肝試し? 撮影じゃないとしても、こんな時間まで外にいたら、家のひとが心配するよ」
「すみません」
 思いのほか素直に頭を下げる様子に、崇文は説教の言葉を飲み込んだ。おそらく近所に住む友人同士で、夜になったら噂の真相を確かめに行こうと盛り上がってしまったのだろう。悪気はないようなので、崇文も厳しい表情を和らげた。
「噂はデマだよ。ここで亡くなったひとはいないんだから」
「それは知ってます」と、高校生たちが声を揃える。
「でも夜になると、焼け跡から物音が聞こえるって」
 丸顔の女子が主張すると、もう一方の女子が「ユーレイじゃない?」と合いの手をいれ、二人ははしゃいだ声をあげた。司が「静かに、静かに」と宥めている。  
 YouTubeで話題になっていたと、みな頷き合っている。
 崇文は抑えた声で、少年たちを諭した。
「ここの住人はちゃんと生きていて今は別のところに住んでるの、みんな知っているよね? ユーレイなんか出ないよ」
「でも……」
 その時、隣の家の玄関が勢いよく開いた。
「何やってる!」
 清水の主人が、サンダル履きで飛び出してきた。着の身着のまま、ものすごい形相でこちらに向かってくる。伸びきった白髪まじりの前髪から、異様にぎらつく眼が覗いていた。
「何を騒いでる!」
 拳を振り上げて喚き散らす姿に、女子たちがきゃあと悲鳴を上げた。高校生たちは団子のように一つに固まり、停めてある自転車の方へと後ずさった。
「お騒がせしてすみません。すぐに帰らせますので」
 崇文が割って入ると、清水はよりいっそう目を吊り上げ、体当たりでもしそうな勢いで詰め寄ってきた。崇文も二、三歩後退る。
「大人が一緒になって何をやっている! 迷惑だ! さっさと帰れ!」
 あまりの剣幕に、思わず言葉を飲む。たしかに数人で喋ってはいたが、みな声のボリュームは抑えていた。隣家の内部にまで聞こえる喧騒だっただろうか。
 釈然としないが、清水の怒りを収めるため、崇文は頭を下げた。
「――申し訳ありません」
「こんな時間にぎゃあぎゃあと!」
 夜になると人通りが少なくなる住宅街とは言え、バイクや車が通り過ぎたりはするだろう。車両の走行音に比べたらほんの些細な喋り声だったのに……。逆によく聞きつけてきたものだ。
 ――まるで、常から隣家を気にしていたようではないか。
「あっ!」
 ぴりつく雰囲気をものともせず、一人の男子が声を上げた。自分たちは火事跡の物音を確かめにきただけだと、はじめに口火を切った少年だ。怒りで顔を赤くする清水さえも手で制し、立てた人差し指を唇に押し付けている。
「しっ! なにか聞こえる」
「いい加減にしないかっ」
「しっ!」
 しんと静まり返った夜気の中、落合邸の中から、ガタ、と物の動く音がした。小雪が静かに舞い落ちてくるばかりで、風はまったく吹いていない。
「なに……?」
 もう一度、ガタ、と音がした。奥の暗がりの、真っ黒く焦げたがれきの下から。
 みな一様に耳を澄ませ、奥の暗がりを凝視した。怒り狂っていた清水さえ、瞬きもせず暗がりを見つめている。
 ――目を凝らすが何も見えない。家の奥は闇に沈み、がれきの輪郭さえはっきりしなかった。
「なんの音?」
「……野良猫だよ」
「猫なら……出られなくなって苦しんでいるのかも。助けないと……」
 次の瞬間、ガリガリガリガリガリ! と、床材を掻く耳障りな音がはっきりと聞こえてきた。がれきの下からだ。
「キャーッ!」
「なにっ⁉ 今のなに⁉」
 高校生たちがパニックになる中、崇文は大声で司に呼びかけた。
「司! 110番して!」
「うん!」
「がれきの下になにかいる! 誰か、下敷きになっているのかもしれない!」
 犬や猫などの小動物のたてる音ではなかった。風で物が動く音でもない。力強く意図的で、あきらかに助けを求めていた。火事跡を探索に来た誰かが奥で出られなくなってしまったとか、小さな子どもが迷い込んでしまったとか、とにかく何者かが奥にいるのは確かだった。
(助け出さないと……!)
 警察が来るのを待っていられず、崇文は立ち入り禁止のテープを引きちぎった。スマホのライトで中を照らしてみる。奥の積み重なるがれきの下、なにか黒いものが動くのが見えた。
「行くなっ!」
 それまで銅像のように固まっていた清水が、突然背中に覆いかぶさってきた。それ以上進ませまいと、四肢を絡みつかせて羽交い絞めにしてくる。
「待て、行くなっ、行くんじゃない!」
「清水さん! さっきの音、聞いたでしょう⁉ 中に誰か、」
「だ、駄目だっ」
 筋張った細い腕が首に絡みついてくる。
「ちょっ、離してくださいっ! 早く助けないと」
 腕をほどこうと振り返ると、清水の顔に、先ほどとはまるで違う、怯えの色が浮かんでいた。
「行っちゃ駄目だっ……!」
「――清水さん?」
 清水に向き直ろうと重心を変えた途端、乾いた音をたてて床が抜け落ちた。足元を照らすと、木製の上がり框を踏み抜いたようだ。咄嗟に手をついた壁も、炭化していてぱらぱらと破片が落ちる。焼け残っている柱や屋根も、今にも崩れ落ちそうなほど脆い状態だった。
「ここは危ない、一旦出ましょう!」
 絡みついてくる清水を抱え上げ、崇文は一旦外に出た。
「……警察が来るまで待つしかないですね」
 家が崩れでもしたら元も子もない。中にいる者も、助け出すことができなくなる。
 テープの外に出ると、清水はもう言葉も発さなかった。まだ襟元にしがみついている指が、痛いほどに鎖骨に食い込んだ。