二日ぶりにやってきた佐々木は、顔が煤けていて制服もひどく汚れていた。
「いったい何してきたんだよ? 大丈夫か?」
「大丈夫。大丈夫だけど、ちょっと洗面所借りてもいいか? うがいしたくて」
自宅へ招き入れると、佐々木は拝むポーズを取って洗面所に向かって行った。脇を掠めてゆく佐々木の制服から、ひどいにおいがして思わず顔をしかめる。産廃処理場のような、雑多なものが入り混じった悪臭がした。
「ありがとう。少しマシになった」
洗面所から戻ると、佐々木は一息ついたというように脱帽して髪をかきあげた。その頭髪からも、まだ少し焦げ臭いにおいがする。
「どこに行ってたんだ? ちょっとにおうぞ、お前」
申し訳ないと思いつつ鼻を押さえて訊くと、佐々木が眉を下げた。
「清水のじいさんがさ、何度も注意してんだけど、庭の焼却炉でゴミを焼くのよ。で、そのたびに煙とにおいがひどいって、近隣から通報がくるんだ」
「焼却炉? 家にあるのか?」
「こう、ブロック塀を積んで組んだお手製のやつ。家庭用の焼却炉は十年以上も前から禁止されてんのに『うちは昔からこの方法でゴミを処理してる』の一点張りでさ……。焼却炉のそばで押し問答してたら、喉がイガイガしてきて参ったよ。助かった」
頑固な高齢者を辛抱強く諭している佐々木の姿を思うと、思わず肩をさすってやりたくなった。ドラマや映画の中では華々しいイメージのある警察官だが、現実の仕事は、こういった地味でストレスフルなものの連続なのだろう。
「清水さんって、毎回焼却炉でゴミ焼いてんのか? それはさすがに近所迷惑だろ」
「いつもは普通に集積所に出しているらしいんだ。どうやら年末の大掃除で出た粗大ゴミを焼きたかったらしい。処理料金を出したくないんだって」
あまりにも身勝手な理由に言葉も出ない。
「……お前も大変だな」
「はは……。清水さん、悪いひとではないんだけどな」
寛大な佐々木は、ただ眉を下げるばかりだ。
悪いひとではないとしても、ルールには従ってほしいものだ。職業柄とは言え寛大過ぎる佐々木を、尊敬半分、呆れ半分の気持ちで見やる。
「でも清水さんと言ったら、この前火事になった落合さんの家の隣じゃないか。まさか落合さんとこの火事の原因も、その焼却炉なんじゃ」
「それはない。落合さんの出火原因は、居間で使っていた暖房器具だってはっきりしてるんだ。それに清水さんが粗大ゴミを焼こうとしたのもここ最近のことで、火事があった後だし」
「……それにしても危ないだろ」
清水家は自宅でゴミを燃やし、隣の落合家は火事跡を放置。付近に住む人間はたまったものではない。
玄関から「お邪魔します」と司の声が聞こえてきて、隣で佐々木があからさまに居住まいを正した。
「あ、佐々木くんだ。こんにちは。……」
挨拶をしたきり、司が黙り込んだ。妙な間の沈黙が流れ佐々木が情けなく眉を下げる。
「司ちゃん、臭いって思ったんだろ?」
「ごめん、少し思った」
「俺が普段から臭いわけじゃないからね」
ふふふ、と司が小首を傾げて笑う。「わかってるよ」
――なんだ、その笑い方は。佐々木の前でそんなふうに笑うな、と身勝手な苛立ちが湧いている。そんなふうに愛想を振りまくから、佐々木みたいな鼻の下を伸ばす連中が後を絶たないのだ。
「そんな所に突っ立ってないでこっちに座れ」
崇文は自分の背後に座布団を敷き、司を佐々木から隠すようにして座らせた。
……別に司は悪くない。兄を気取って司の人付き合いをコントロールしようとする、自分に問題がある。崇文は自己嫌悪に陥り、むっつりと黙り込んだ。
「なんか焦げ臭い……もしかして、ようやく落合さんちの火事跡の片付け?」
司が眉をひそめて言うと、違うんだ、と佐々木が首を振る。
「落合さん――の、隣りの、清水さん宅でちょっとね」
清水家でのひと悶着を話して聞かせると、司も佐々木と同じ感想を口にした。
「清水のおじいちゃん、悪いひとではないんだけどね」
清水家はもともと夫婦で工務店を営んでおり、若い職人が複数住み込みをしている、小さいが活気のある会社だった。
しかし不景気のあおりを受けて経営が悪化、十年ほど前に会社を畳んでいる。三年前には奥方が病気で亡くなり、清水の主人は、今も一人で工具や資材が残されたままの工務店兼自宅で暮らしている。妻の死と生業をやめたことですっかり元気をなくし、日がな一日自宅に籠っているらしい。
職人気質で頑固な性格もあって、今やすっかり周囲から孤立している。
「寂しいんだと思う。ときどき、中でお茶でも飲まないかって声をかけられるもん」
司はそう言うが、崇文はお茶に誘われたことなど一度もなかった。奥方の眠る墓は長栄寺で世話しているというのに。
「けど、いつも配達中に声かけられるから一回もお邪魔したことないんだ」
今度うちのコーヒーを持って行こうかな、と独り言ち、それから何か思い出したように顔を上げた。
「ねえ。隣の落合さんの火事跡に幽霊が出るって噂になってるの、知ってる?」
「誰がそんな噂してるんだ」
呆れて訊くと、司が苦笑した。
「お店に来た女子高生」
「なんで幽霊が出るなんて話になるんだ。誰も死んでないってのに」
「おい住職。言い方」
佐々木に窘められ、崇文は咳払いをして言い改めた。
「亡くなったり怪我したひともいないのに、なんで幽霊が出るなんて話になるんだ」
「焼け跡が放置されてたから変な噂たっちゃったみたい。片付けようとすると祟りが起こるとか、解体業者に死人が出たとか、中から変な物音が聞こえるとか」
「まだ解体業者が入ってもいないのに、どっから死人が出るっていうんだよ。みんな好きだよなぁ、祟りとか呪いとか」
そんなもの、あるわけないのに、と胸中で吐き捨てる。
「でも、焼け焦げた家がそのままなのは、ちょっと気味悪いよ」
事情を知る佐々木が、「こっちでも困っているんだよ」と溜息を吐いた。
「家の相続人の息子さんと連絡がつかないんだ。落合さんは撤去費用が出せないって言っているし」
自治体が勝手に片付けることもできず、落合さん宅の火事跡は二週間たった今もそのまま放置されている。
「オカルト系のユーチューバーが撮影に来たりしているんだって。女子高生たちが動画見たって盛り上がってた」
「幽霊も何も出ない焼け跡録ってどうすんだ。そんなの誰が見るんだ?」
「結構閲覧数伸びてるらしいよ。私は見てないけど」
「何が面白いんだよ、俺には全然わからん」
心からの疑問を口にすると、司が揶揄うように目を細めた。
「わー、おじさんっぽい発言。面白いやつは面白いよ」
ね、と司が同意を求めると、佐々木が気色の悪い猫なで声で「ねー」と応えた。崇文は、お前も俺と同い年だろうがと、佐々木に冷たい視線を投げかける。
「まあ若者にとっちゃ、真っ黒こげの火事跡なんか見る機会ないからそれだけで不気味なんだろう」
したり顔で佐々木がその場をまとめた。若者ぶったり、年長者ぶったり……。お前は変幻自在だな、と再び冷たい視線を向けるが佐々木は気づきもしない。
数日後、思いもよらない経緯で落合さん宅の火事跡は片付けられることになる。
「いったい何してきたんだよ? 大丈夫か?」
「大丈夫。大丈夫だけど、ちょっと洗面所借りてもいいか? うがいしたくて」
自宅へ招き入れると、佐々木は拝むポーズを取って洗面所に向かって行った。脇を掠めてゆく佐々木の制服から、ひどいにおいがして思わず顔をしかめる。産廃処理場のような、雑多なものが入り混じった悪臭がした。
「ありがとう。少しマシになった」
洗面所から戻ると、佐々木は一息ついたというように脱帽して髪をかきあげた。その頭髪からも、まだ少し焦げ臭いにおいがする。
「どこに行ってたんだ? ちょっとにおうぞ、お前」
申し訳ないと思いつつ鼻を押さえて訊くと、佐々木が眉を下げた。
「清水のじいさんがさ、何度も注意してんだけど、庭の焼却炉でゴミを焼くのよ。で、そのたびに煙とにおいがひどいって、近隣から通報がくるんだ」
「焼却炉? 家にあるのか?」
「こう、ブロック塀を積んで組んだお手製のやつ。家庭用の焼却炉は十年以上も前から禁止されてんのに『うちは昔からこの方法でゴミを処理してる』の一点張りでさ……。焼却炉のそばで押し問答してたら、喉がイガイガしてきて参ったよ。助かった」
頑固な高齢者を辛抱強く諭している佐々木の姿を思うと、思わず肩をさすってやりたくなった。ドラマや映画の中では華々しいイメージのある警察官だが、現実の仕事は、こういった地味でストレスフルなものの連続なのだろう。
「清水さんって、毎回焼却炉でゴミ焼いてんのか? それはさすがに近所迷惑だろ」
「いつもは普通に集積所に出しているらしいんだ。どうやら年末の大掃除で出た粗大ゴミを焼きたかったらしい。処理料金を出したくないんだって」
あまりにも身勝手な理由に言葉も出ない。
「……お前も大変だな」
「はは……。清水さん、悪いひとではないんだけどな」
寛大な佐々木は、ただ眉を下げるばかりだ。
悪いひとではないとしても、ルールには従ってほしいものだ。職業柄とは言え寛大過ぎる佐々木を、尊敬半分、呆れ半分の気持ちで見やる。
「でも清水さんと言ったら、この前火事になった落合さんの家の隣じゃないか。まさか落合さんとこの火事の原因も、その焼却炉なんじゃ」
「それはない。落合さんの出火原因は、居間で使っていた暖房器具だってはっきりしてるんだ。それに清水さんが粗大ゴミを焼こうとしたのもここ最近のことで、火事があった後だし」
「……それにしても危ないだろ」
清水家は自宅でゴミを燃やし、隣の落合家は火事跡を放置。付近に住む人間はたまったものではない。
玄関から「お邪魔します」と司の声が聞こえてきて、隣で佐々木があからさまに居住まいを正した。
「あ、佐々木くんだ。こんにちは。……」
挨拶をしたきり、司が黙り込んだ。妙な間の沈黙が流れ佐々木が情けなく眉を下げる。
「司ちゃん、臭いって思ったんだろ?」
「ごめん、少し思った」
「俺が普段から臭いわけじゃないからね」
ふふふ、と司が小首を傾げて笑う。「わかってるよ」
――なんだ、その笑い方は。佐々木の前でそんなふうに笑うな、と身勝手な苛立ちが湧いている。そんなふうに愛想を振りまくから、佐々木みたいな鼻の下を伸ばす連中が後を絶たないのだ。
「そんな所に突っ立ってないでこっちに座れ」
崇文は自分の背後に座布団を敷き、司を佐々木から隠すようにして座らせた。
……別に司は悪くない。兄を気取って司の人付き合いをコントロールしようとする、自分に問題がある。崇文は自己嫌悪に陥り、むっつりと黙り込んだ。
「なんか焦げ臭い……もしかして、ようやく落合さんちの火事跡の片付け?」
司が眉をひそめて言うと、違うんだ、と佐々木が首を振る。
「落合さん――の、隣りの、清水さん宅でちょっとね」
清水家でのひと悶着を話して聞かせると、司も佐々木と同じ感想を口にした。
「清水のおじいちゃん、悪いひとではないんだけどね」
清水家はもともと夫婦で工務店を営んでおり、若い職人が複数住み込みをしている、小さいが活気のある会社だった。
しかし不景気のあおりを受けて経営が悪化、十年ほど前に会社を畳んでいる。三年前には奥方が病気で亡くなり、清水の主人は、今も一人で工具や資材が残されたままの工務店兼自宅で暮らしている。妻の死と生業をやめたことですっかり元気をなくし、日がな一日自宅に籠っているらしい。
職人気質で頑固な性格もあって、今やすっかり周囲から孤立している。
「寂しいんだと思う。ときどき、中でお茶でも飲まないかって声をかけられるもん」
司はそう言うが、崇文はお茶に誘われたことなど一度もなかった。奥方の眠る墓は長栄寺で世話しているというのに。
「けど、いつも配達中に声かけられるから一回もお邪魔したことないんだ」
今度うちのコーヒーを持って行こうかな、と独り言ち、それから何か思い出したように顔を上げた。
「ねえ。隣の落合さんの火事跡に幽霊が出るって噂になってるの、知ってる?」
「誰がそんな噂してるんだ」
呆れて訊くと、司が苦笑した。
「お店に来た女子高生」
「なんで幽霊が出るなんて話になるんだ。誰も死んでないってのに」
「おい住職。言い方」
佐々木に窘められ、崇文は咳払いをして言い改めた。
「亡くなったり怪我したひともいないのに、なんで幽霊が出るなんて話になるんだ」
「焼け跡が放置されてたから変な噂たっちゃったみたい。片付けようとすると祟りが起こるとか、解体業者に死人が出たとか、中から変な物音が聞こえるとか」
「まだ解体業者が入ってもいないのに、どっから死人が出るっていうんだよ。みんな好きだよなぁ、祟りとか呪いとか」
そんなもの、あるわけないのに、と胸中で吐き捨てる。
「でも、焼け焦げた家がそのままなのは、ちょっと気味悪いよ」
事情を知る佐々木が、「こっちでも困っているんだよ」と溜息を吐いた。
「家の相続人の息子さんと連絡がつかないんだ。落合さんは撤去費用が出せないって言っているし」
自治体が勝手に片付けることもできず、落合さん宅の火事跡は二週間たった今もそのまま放置されている。
「オカルト系のユーチューバーが撮影に来たりしているんだって。女子高生たちが動画見たって盛り上がってた」
「幽霊も何も出ない焼け跡録ってどうすんだ。そんなの誰が見るんだ?」
「結構閲覧数伸びてるらしいよ。私は見てないけど」
「何が面白いんだよ、俺には全然わからん」
心からの疑問を口にすると、司が揶揄うように目を細めた。
「わー、おじさんっぽい発言。面白いやつは面白いよ」
ね、と司が同意を求めると、佐々木が気色の悪い猫なで声で「ねー」と応えた。崇文は、お前も俺と同い年だろうがと、佐々木に冷たい視線を投げかける。
「まあ若者にとっちゃ、真っ黒こげの火事跡なんか見る機会ないからそれだけで不気味なんだろう」
したり顔で佐々木がその場をまとめた。若者ぶったり、年長者ぶったり……。お前は変幻自在だな、と再び冷たい視線を向けるが佐々木は気づきもしない。
数日後、思いもよらない経緯で落合さん宅の火事跡は片付けられることになる。

