幾星霜の呪いの子 ―下町駆け込み寺の怪異譚―

 110番しようか逡巡し、迷った末に、とある番号に電話をかけた。
 駆けつけてきたのは、中学・高校のクラスメイトの佐々木だ。佐々木は高校卒業後、警察官採用試験をパスして警察官になり、現在は地元・向町(むかいまち)警察署の地域課に所属している。佐々木は崇文の顔を見るなり「おつかれぃ」と呑気な挨拶をよこしてきた。
「わざわざ悪いな」
「わざわざって。そりゃ事件があったら来ますよ。で、被疑者は?」
 世間話のついでのように問われ、苦笑しながら案内する。
「こっち」
 軽やかな足取りでついてきた佐々木は、居間へ足を踏み入れるなり、入り口でびたりと立ち止まった。
「わ、司ちゃんもいたのか」
 司の姿を見とめ、ぱっと頬を赤らめる。よろしくお願いします、と頭を下げる司に一瞬目じりを下げ、すぐに顔を引き締めた。そばにいた同僚に、先輩風を吹かせて指示を出し始める。
「司ちゃん、怪我はない?」
「私は平気」
「崇文、お前は?」
「おい、随分司と態度が違うな……。俺たちは大丈夫。おそらく彼女も、怪我はしていないと思う」
 崇文が視線で恵を指すと、佐々木は顎を引くようにして頷いた。同僚の警官が、恵を抱えて立ち上がらせているところだった。
 項垂れたまま立ち上がった恵は、まるで崇文たちが見えていないかのように横を過ぎ、警官に連れられて部屋を出て行った。
 佐々木は表情を改めると、手帳を構えて質問を始めた。
「彼女とは知り合いか? どうして刃物なんか持って寺へ?」
「知り合いというか、寺の参拝客だ。初めてきたのは約二週間前で――」
 これまでの経緯を説明すると、佐々木は、時おり短い質問を挟みながら、手帳に細かく書きつけていた。
「少し前に、在平橋の藤田家から、外出時に空き巣に入られたって被害届が出ていたんだ。外から窓を割られて侵入されたようだって」
 藤田家が一日中門扉を閉ざしている理由が腑に落ちた。終始、父親が周りを警戒して落ち着かない様子でいた理由も。
「知らない女性が外をうろついているって通報もあってな。嫁いできたばかりの長男の嫁が、それはそれは怯えて……。しょっちゅう呼び出されていたんだ。家に行く前に取り押さえられてよかったよ。それにしても、なんでここで暴れ出したりしたんだ、被疑者は」
「さあ……」
「――崇文おまえ、被疑者をわざと怒らせたりしてないだろうな?」
 煽ったつもりはないが、藤田家に行く前に核心を突きたかったのは確かだ。少々意地の悪い聞き方をして、彼女をわざと逆上させたと言えなくもない。
「わざと怒らせるつもりはなかったんだけど」
「そういうことは警察に任せろ! 司ちゃんもいるんだから」
 一喝され、ぐうの音も出ず押し黙った。コーヒーをかぶって赤くなった司の手が目に入り、胃がしくしくと痛む。
「私は」と身を乗り出してきた司を制し、悪かった、と佐々木に向かって頭を下げた。
「今度からはすぐに警察を呼ぶ」
 しばらく憮然とこちらを睨んでいた佐々木だが「頼むよ」と息を吐き出した。
「まあ、二人に怪我がなくてよかったよ」
 お調子者のようでいて、佐々木は責任感が強く人情深い。早くから将来は警察官になりたいと口にしていて、それを実現させた。強い地元愛と信念が天に通じたのか、うまいぐあいに遠方への異動を逃れ、生まれ育った町で日々理想の道を邁進している。
「では!」
 と、気取った顔で司に敬礼をしている姿は、すっかり普段の佐々木に戻っていた。
 山門で待つパトカーに向かう途中、佐々木が振り向いた。
「お前らって、本当に付き合ってないの?」
 何言ってんだ、と言いかけ、言葉を飲み込む。
 代わりに司が「何言ってんの」と笑みを含んだ声で言い返した。
「いっつも二人で一緒にいるじゃないか。お互いに恋人がいるのも見たことないし。いっそ結婚しちゃえば?」
 お似合いだよ、と佐々木が曇りのない笑顔を向けてくる。
 否定も肯定もせず、崇文は「いいから早く行け」と、手を振って佐々木を追いやった。
 佐々木が気取った仕草で背中で手を振った。街路樹の落ち葉を巻き上げ、パトカーが走り去ってゆく。
 車が行ってしまうと、さっきまでの喧騒が嘘のようにあたりが静まり返った。
 いつの間にか日が傾き、西日があたりを赤く染めている。まるで火事場の最中(さなか)にいるようにすべてが朱に染まって見える。
 視界のすみに映る司の横顔だけが、やけに白く浮かんで見えた。
「冷えるな。家に入ろう」
「うん。……なんか、長い一日だった」
「今から店に戻るのか?」
「店長に電話したら、今日はもういいって」
「そうか」
 会話が途切れると、嫌でも佐々木に言われた言葉が耳に蘇った。
『いっつも二人で一緒にいるじゃないか。お互いに恋人がいるのも見たことないし』
 事実、二十四歳になる現在まで恋人がいたためしがない。中学三年生の時にクラスの女子に告白されたが、二度ほど一緒に下校しただけでふられてしまった。どうしてふられたのか、理由は未だにわからない。
 司はどうだろう。おそらく、恋人らしき存在はいなかったと思う。
『いっそ結婚しちゃえば?』
 司と結婚しろと、檀家や近所の年寄り連中にもさんざん言われている。
 お前の面倒を見られるのは司くらいだ、などと、訳知り顔で言ってくる奴もいる。
 余計なお世話だ、と思う。
 結婚は自分のタイミングでするし、俺は結婚相手に、自分の面倒を見て欲しいなんて望んでいない。

『どうか、どうか、お願いします。司をここで育てていただけませんか? あの子の家族はみんな死んでしまいました。娘の香苗(かなえ)も……。松永家(まつながけ)の呪いはまだ続いています』
 かつて襖越しに聞いた、司の祖母の声が蘇る。
 なんとか順序立てて話そうと震える声は、かえって切羽詰まった状況にあるのを如実に伝えてきた。
『司は松永家の最後の生き残りです。なんとかあの子だけは生かしてあげたい。お寺の下で、司を守ってやっていただけませんか?』
 繰り返される「松永家の呪い」とはなんなのだろう。
 司の祖母の必死の訴えに、祖父はなんと応えていただろうか。

『もし司を引き取ってもらえるなら、あの子を女として育ててもらえないでしょうか? 松永家の人間でも、女だったら生きながらえる可能性があります。私がそうです。今でもこうして生きています。男はだめ……、男はみんな呪い殺されてしまう……。どうか司を、司を女として育ててください……!』

「結婚すれば、だって」
 居間の掘りごたつに、司がするりと滑り込んだ。寒かったのだろう。擦り合わせた手に息を吹きかけている。
「最近よく言われるよね、結婚」
 崇文もこたつの一画に収まり、一息ついた。
「適齢期ってやつじゃないか、俺たちも」
「早くない? 私まだ二十一歳だよ? 学生だし」
「じじばばの時代はそれくらいで結婚したんだろう」
 おじいさん、おばあさんね、と嗜めてから、司が頬杖をついた。
「結婚なんて、するときゃするし、しないときはしないよ。年齢なんか関係ないのにね」
「俺もそう思う」
「それにさ」さも可笑しげに、司が吹き出した。
「結婚するわけないじゃんね。私たち、男同士なんだから」
 どちらにしろ、司との結婚はありえない。
 司は、本当は、男なのだから。
 笑顔の司を振り返り、軽い気持ちで提案をしてみる。
「――万が一何かあった時のために、同性パートナーシップ制度を申請しておくか。隣の江戸川区が導入してる」
 あっはは、と弾けるように司が笑う。
「万が一の何かって何よ?」
「例えば、どちらかが交通事故に遭って大怪我をする、とか。家族でないと病室に入れない」
「お父さんとお母さんが病院に説明してくれるよ。それに、そのためだけに引っ越すの?」
 両手を天井に向かって突き上げ、伸びをしながら「やだよ、めんどくさ」と司が笑った。