REFLECTOR Observation

地上への連絡は、十五分おきに入れるよう指示されていた。
だが、最初の十五分を過ぎても、通信機は沈黙を守った。

俺の名は神谷。
失踪案件を専門に扱う調査官だ。

今回の対象は――《REFLECTOR》と呼ばれる地下研究施設。
一週間前、この場所から一人の研究員が消息を絶った。

名は、ミカ。

事務的な報告書には「勤務中の行方不明」とだけ記されていた。
転落事故でもなく、逃亡の痕跡もなし。

施設の監視網には“何も映っていない”という。
――“何も映っていない”のに、消えた。

そういう類の報告は、経験上ろくな結末を迎えない。

俺は識別カードを掲げ、封鎖ゲートを通過した。
白い光が視界を満たし、無音の世界に変わる。

空気が違う。
密度がある。

肺に入るのに、呼吸した気がしない。
“無菌”という言葉が脳裏に浮かんだ。

廊下の奥に、ひとりの男が立っていた。
白衣、痩せた頬。

その目だけが妙に濡れている。

「高槻主任だな。」

「あなたが調査官の……神谷さん、でしたか。」

声に温度がない。
機械の音声を少しだけ人間に近づけたような抑揚。

「研究員のミカ・ナカハラが行方不明だ。最後の映像を見せてほしい。」

「映像……ですか。」

主任はわずかに首を傾げ、廊下の先を指した。

「彼女は、観察の中にいます。」

「……は?」

「こちらへ。」

エレベーターが開く。
金属の箱が、地下へ沈んでいく。

数値が下がるたび、胸の奥がわずかに軋んだ。
この感覚、前にも――

いや、気のせいだ。
気圧が変わっただけ。

監視室に入った瞬間、
白い光が肌を刺した。

壁一面のモニター。
その中央に、停止したままの映像。

水槽。
ガラスの中に、ひとりの女性が座っている。

「――ミカ?」

声が漏れた。
主任は何も言わず、モニターを見つめている。

「これはいつの記録だ。」

「七十二時間前です。」

「生体反応は?」

「……ありません。」

「死んでいるのか?」

「観察中です。」

その答えに、背筋が粟立った。

「“観察中”って、どういう意味だ。」

「観察とは、生と死の間にある状態を記録する行為です。彼女は今も、“記録されている”。」

主任の瞳孔は、わずかに開いていた。
まるで俺の反応を観察しているかのように。

「久保を呼んでくれ。」

「彼は……もう、話せません。」

「亡くなったのか?」

「“観察”されています。」

会話にならない。
俺は主任を押しのけ、別室へ向かった。

旧棟の端に、簡易隔離室があった。
扉を開けると、ひとりの男が座っていた。

灰色の髪、やつれた顔。

「久保だな。」

返事はない。
目だけがこちらを見ている。

「ミカ・ナカハラの件を聞きたい。」

沈黙。
代わりに、男の口がゆっくりと動いた。

「――長く見るな。」

その声で、喉の奥が凍りついた。

「何を言った?」

久保は、まっすぐ俺を見た。
瞳孔が、わずかに震えている。

「……見た瞬間、もう“見られてる”。あいつが消えた理由も、それだけだ。」

「“あいつ”? ミカか?」

頷き。
それきり、口を閉ざした。

それ以上、言葉は出てこなかった。
彼の耳元から、ノイズのような音が漏れていた。

ザー……00:00:12……ザー……

録音装置が誤作動しているのかと思った。
だが、周囲には機械などない。

音は、空気の中から聞こえていた。

監視室へ戻り、モニターの電源を入れる。
映像記録フォルダを開くと、ひとつだけ赤いアイコンが点滅している。

「LOG#07_Observer_KAMIYA」

……俺の名前?

ファイルを開いた。

再生された映像には、監視室に立つ男の背中が映っていた。

黒いスーツ。
俺だ。

数秒後、その男がゆっくりと振り向く。
モニター越しの視線が、俺に突き刺さる。

顔が完全に見えた。
同じ顔。
俺自身。

映像の俺が、口を開く。

――「お前は、もう観察されている。」

心臓が鳴った。
後ろを振り返る。

誰もいない。
それでも、背中に確かに“視線”があった。

モニターを切ろうと手を伸ばした瞬間、
画面の中の俺が先に動いた。

その指がガラスを叩く。

トン。

音が現実に響いた。

床に落ちたペンが転がる。
拾い上げようとして、手が止まった。

ペンの胴に、黒いインクで何かが書かれていた。

「記録済」

胸の奥が熱くなる。
何かを叫ぼうとしたが、声が出ない。

視界の端で、壁の端末が光った。

――<Log: Reflector-04 / Status: ONLINE>

コード“04”。
……第4の記録。

俺の調査番号だ。

モニターの俺が微笑んだ。
ゆっくりと、唇が動く。

――「観察は、まだ終わらない。」


その後の記憶はない。
報告書には、俺の署名が残っていた。
記入日付は――調査前日。

筆跡は確かに、俺のものだった。
書類の余白に、走り書きがあった。

<Note: “見たものは、必ず見られる。”>

手帳を閉じたとき、井から一滴の水が落ちた。
――ぴちゃん。

音の方向に顔を上げると、そこには鏡のように光るモニターがあった。

俺の顔が映っている。
だが、モニターの“俺”は、少し遅れて笑った。