つくもの師

「半端者!」
 石を投げつける子供は、いつも当人からは遠く離れた場所から野次を飛ばし、蔑んだ。
「怖いのか」
 石は師走に当たることなく、乾いた音を立てて目の前に転がっていた。
 目で石を追った後、夕陽を受けて、いびつな影を落とす小石から視線を外し、師走は伸び放題の灰色の髪を撫でつけ、灰色の瞳を隠すように前髪をかき集めて目元に垂らした。
 村にたわわになった柿の実を拾って夕餉にしようと思っていたが、気が失せて、もと来た道を草履のすり足で戻っていった。
 住処は橋の下である。
 師走、という名前は、役立たずをからかって忙しいという意味で面白半分に誰かが名付けたものらしい。
 なぜ髪や瞳が他人と違うのかは分からないが、親兄弟もおらず、物心ついたときには村に自然とできた果物や野草、時に分け与えられる野菜でもって、捨てられた家財道具を使い調理した。
 物の良し悪しは腹を下すことで学んだ。
 見た目が派手なだけで特に変わったところは無いが、不当に扱われる事もいつしか当然に思うようになった。
 しかし、村人の迫害は日を追うごとに過激になった。
 ある日、住処が火で焼かれ、師走はさすがに命の危険を感じた。
「もう、限界だ」
 師走は村を背に駆け出した。
 村を抜け、森を突き切り、砂利道にで足に無数の擦り傷を作りながら、走った。
 そうして、気が付けば山向こうにある荒れた神社の本堂に駆け込んでいた。
 格子戸を見上げると、空は暗くなり、虫の音だけが喧しい真夜中になっていた。
 師走は半開きになっていた扉を閉めるなり、その場に突っ伏した。
 やがて、静寂に響く雨の音と、疲れに引き込まれるようにそのまま眠り込んでしまった。
 気が付くと、まだ真夜中であった。
 ここが何処か薄っすら思い出すと同時に、激しい痛みが右足を貫いた。
 師走は苦痛を噛み締め、歯の間から呼気を逃がし、両腕を床板に突っ張って上体を起こした。
 首を巡らせて見た堂内は、屋根や壁の木板が欠けて隙間風と雨が染み、湿気で匂いもひどい場所だった。
 村の誰かが、湿気で胸をやられて息が出来なくなり死んだという話も聞いたことを思い出した。
「とにかく、外に出よう」
 師走は更に体を起こし、引きずりながら本堂の扉を開けようと取っ手らしき窪みに指をかけて力を込めた。
 しかし、びくともしない。
「あれ」
 師走は無事な方の足の膝をついて改めて全身を使ってこじ開けようとしたが、やはり微動だにしなかった。
 どんなに力を加えても、角度を変えても、拳で叩いても隙間さえ広がらず、外に出るのは到底無理であることが分かってきた。
 最初こそ焦りで必死になっていたが、次第に痩せこけた腕には力が入らなくなり、足の熱と痛みが腿まで這い上がってきて、力は穴の開いた桶のように失われていった。
 遂に諦めた師走は、床に倒れると大の字になって、荒い呼吸をゆっくり繰り返した。
「死んでしまう」
 恐れつぶやいた後、すぐに静かな感情が波のように寄せてきた。
「みんな、私が嫌いなのだ。死んでしまえ」
 黒い髪に黒い瞳の子供や大人の村人。
 ただ見た目が子供の姿をした年寄りなために、化け物だと思われ、いつしか触れれば祟られるという根も葉もない噂が広まっていた。
「化け物の村に生まれればよかったな」
 同じ、灰色の髪と瞳を持った人間の村ならば、蔑まれることはないのではないか。
 そう言って、師走は意識を手放しかけた。
 と、その時。
 どこからか硬いものが床に落ちて、転がる音がした。
 師走は閉じかけたまぶたを薄く開いた。
 顔だけ横に向けると、塗りのはがれた鈴が転がっていた。
 目で観察していると、鈴は今度は元居た暗がりまで転がり戻っていき、そこから床を飛ぶようにして跳ねながら師走の目の先に戻ってきた。
 しばらくそれが繰り返され、師走は呆けながらも目が離せないでいた。
 物が動いていること自体は、大した問題ではなかった。
「どうして、転がってるんだ」
 意図が見えないことを疑問に思ってつぶやくも返事は無い。
 また観察を続けていると、ふと、鈴が鳴らないことに気が付いて、師走は漏らした。
「お前、壊れてるのか」
 鈴は暗がりから月明りに飛び出しながら、鈍い音を立てて床板に着地すると、小さくもう一度床板を跳ねて答えた。


 幾日が過ぎたろうか。
 師走は日に日に体力がなくなり、終いには起き上がれなくなった。
 しかし憂鬱ではなかった。
 初めて抱いた疑問の答えは自ずと分かった。
 様々な古いものたちが色々なことをして、師走を楽しませようとしていたのである。
 最初の鈴や家具、日用品は本堂に投げ込まれた捨てられたもの達であり、本堂はゴミ溜めになっていた。
 人の声も久しく聞こえないということは、もう忘れられた場所なのかもしれない。
 やがて、師走は物の声のようなものが聞こえるようになった。
 言葉でなく、感情のようなものを感じ取れたりもした。
 それら古いものたちには生まれてからここに捨てられるまでに様々な物語があり、師走は声が出なくなってもずっと耳を傾けていた。
 愛情と無情、そして必ず出会いと別れがあった。
 人も物もたいして変わりがないのだと師走は思った。
 ただ、もしこの本堂を出られたら、少しでもかれらが幸せに過ごせるようにしたいと漠然と思った。
 物たちは、優しいように思えた。

「あらよ。今日は暑いな」
 ある日、旅人が腰を休めに本堂の縁側に腰掛けた。
 すると、程なくして、あれほど開かなかった扉が勢いよく外側に開いた。
 驚いた旅人は地面に転がり落ちた。
 恐々堂内を覗くと、虫の息の師走が目に入った。
「おい!娘っ子!いけねぇ、医者、医者」
 こうして、旅人によって担がれた師走は久しぶりに本堂から出た。
 眩しさに目を瞬かせながら、ぼやけた視界で辺りを見回すと思わず息をのんだ。
 大木が幾本もなぎ倒され重なり合い、草花の葉や花弁が石混じりの砂地に無残にまき散らばり、何処にあったのか籠や傘が引きちぎられたような姿で転がっている。
 師走は声を出そうと乾いた喉から息を押し出した。
 喘ぐような高い音を必死に出す肩の上の娘に、旅人は一度歩みを止めて木陰に下ろした。
「どうした。今、ちと遠いが医者の所に連れて行ってやるからな。大丈夫だ、すぐに楽になる」
 ひび割れた唇に旅人が水の飲み口をゆっくり傾けると、師走は咳き込みながら喉を潤した。
「さぁ、これで」
「い…つ…」
「なんだ?」
 師走は旅人の袖を力の限り握り引っ張り、ようやく出た声で問いかけた。
「あらし…いつ…」
「あぁ、これか。十二日程前に突然きたのさ。ここらの住民は皆逃げたって聞くな。お前、それを知らねぇってことは、上手くあそこに逃げ込んだんだな。荒れちゃいるが、神社であることに違いねぇみたいだ。何して来たかは知らねぇが、よかったな」
 言い終えた旅人は再び師走を抱えて医者がいる場所まで移動を始めた。
 揺れる腕の中、師走は首を巡らせて本堂を穴が開くほど見つめ続けた。
「ごめんよ、助けてくれたんだね。恨み言を言ってごめんよ」
 目元に名もつけられない感情から湧く涙をにじませながら、師走は掠れた声で繰り返し独り言のようにつぶやき続けた。

 境内から離れた村の医者に運ばれた師走は、絶命は免れたものの、足は片方折れて化膿し、栄養状態も悪いため、しばらく療養所で治療することになった。
 旅人は心配しながらも、行く先があるため名残惜しそうに師走の元を去っていった。
 寝床から起き上がれるようになると、白い髭を蓄えた医者が腰の曲がった老婆を連れてきた。
「娘さんや、この人が君の治療代を払ってくれたんだよ」
「ようやく起きたね、娘。名前、何てんだい」
「師走…」
 皺をこさえた小柄な老婆は大儀そうに腰を下ろすと、世間話でもするような口ぶりで聞いて来た。
「あの」
「ん?」
「なんで、助けたの」
 お婆は瞠目してから、膝を叩いて大笑いした。
 反射的に体をびくつかせた師走に対しても、意に介していない。
「”ありがとう”とか感謝が先だろうに。それとも死にたかったかい。そりゃ無理な話さ。この先生
、人が良すぎるからねぇ。子供を見殺しにゃぁできないさね」
「そ、そうじゃなくて。変なやつだから、わたし」
「髪やら眼のことか。そんなもん、婆だって白いわ。苦労でもして早めに黒いのが出なくなっちまったんだろ。世の中そんなやつがいてもおかしかないよ」
 違うと言おうとして、師走は否定する気が消えていくのを感じた。
 覚えている限り生まれつきこの姿であるが、目の前の老婆は気にしていないようだ。
 少なくとも師走を蔑んだりはしていない。
 下からじろじろ観察するように老婆を見ていると、老婆は途端に不機嫌にため息をついて、師走の前髪を撫であげた。
「しゃんとおし。それじゃ相手が嫌な気分になるよ。真っすぐ目を見るんだ」
 師走は息を止めて言われたとおりにすると、老婆は深くうなずいて納得したようだった。
「さて、お前さん。帰るところはあるのかい」
「ない」
 師走は力強く答えた。
「ふん。なら、大人の話をしようじゃないか」
 老婆は師走の頭のてっぺんを何度か悪戯に叩いた。
「お前さん、何か仕事はできるかい。得意な事とか」
 師走はしばし逡巡した。
「物の、声が分かる」
 ほぉ、と言った老婆は特に気味悪がることもなく、首をひねった。
「で、何か出来るようになりたいことはあるかい。どっかに弟子入りして少しずつお代を返してもらえればと思ってるんだが」
「じゃあ、何でもいいから、物を直せる仕事がしたい」
 身を乗り出して訴えた師走に、老婆を口端を大きく左右に引き上げた。
「ん、あい分かった」

 体力が戻ってくると、師走は度々療養所を抜け出して、本堂に忍び込み、直せそうなものはないか探した。
 そうして、凹んだものは木槌で平にし、神具の古くなった紐は新品に付け替えたり結んだ。しかし木の欠けや鉄の金具が壊れたものは簡単な道具や知識では直せないとわかると、体力が戻ってすぐお婆に相談し、いい修繕の職人たちがいる自分の町に来いと言われ、その通りにした。
 師走は一度どこかに居つくと、水を得た魚のように修繕の技術を学び易々と兄弟子を越して親方一人前にの版を押されて追い出されてしまった。
 師走は、その度様々な職人に弟子入りし次々と修繕の技を得ていった。
 真面目に取り組む一方、本堂への思いはひとしおだった。
 ひとつ技術を身につければ、その度に本堂に通い、下手なりに直したり、持ち帰って必要な部品を足したりを繰り返した。
 こうして、捨てられた古い物たちは本来の用途を取り戻した。
 抜け出したのを途中お婆に見破られたが、お婆は一喝するにとどめて、いい品であれば売ってくれるようになった。

「あ」
 ある日、小間物を作る職人の弟子になってしばらくのこと。
 師走は例の鈴を持ち帰って古くなった中身を替えて、いつものように直そうとした。
 しかし、ふとした弾みで手元が狂い、木槌の打ちつけを誤って潰してしまった。
 躍起になって直そうとする師走は、鈴の声を聴いた。
「もういい?なんで、ちゃんと直せる」
 鈴は、師走の手元から転がり落ちると、床の上で跳ねて、鉄らしからぬ木が叩かれて響くような音をだした。
 つぶれた鈴の形は、黒い木魚のようであった。
 師走は笑い泣きした。
 鈴がもう鳴ることに疲れているのだと分かったからである。
 跳ねては師走をたしなめる鈴を、師走は掌に包み込んで胸に抱いた。
 その鈴は独り立ちした今なお、失敗の戒めや思い出として財布に紐で縛って持ち歩いている。
 
 幾年か過ぎると、師走は無人の境内に小屋を建てて暮らし始めた。
 家具や日用品はもとは境内のものが多い。
 修繕屋として独り立ちできるようになった師走は、己で修繕をする以外にも、見て自分の腕では扱いきれないものや、難しい依頼はそれなりの職人に頼むようにしていた。
 借金はとうの昔に返し終わっていた。

 ある日、町から離れて暮らしていた師走のもとに、前触れもなくお婆が訪ねてきた。
「依頼かい」
「いいや。ちょっと様子を見にね。しかし相変わらず時化たとこだ」
「暮らすには問題ない」
 お婆は玄関戸の前で立ち尽くし、師走が洗濯物を無心で畳んでいる姿を見つめた。
 まるでからくりのように右から左へ布を持っては畳んで、片付けていく。
 お婆は不意に口を開いた。
「師走よ、自分が嫌いか。人が嫌いか」
「うん」
 手元を動かしながら師走は迷いのない答えを返した。
 お婆は近くにあった財布を持ち上げた。
 鳴らない鈴がついた薄い布切れを持つお婆へ、師走の視線の目が向いた。
 気を向かせたことに満足して、お婆は腰を下ろし、しばらく鈴を指先で愛でると、師走のひざ元に置いた。
「死にたいか」
 その言葉に師走の表情から感情が抜ける。
 お婆は続けた。
「お前は愛情や温かい感情とは無縁だと思っておるようだ。だがね、”愛しい”と感じるこころが、ほれ、残っておるではないか。愛情が空になるには、お前さん、まだまだ人なのじゃ。生きてみい、そうすれば物以外にも何か感じることがあるかもしれん」
 師走は格子戸から注ぐ朝日を横顔に受けて、緊張のとれた顔を上げつぶやいた。
「年寄りみたいな考え方だ」
「死んでもいいような目しとるお前さんはそれくれらいで十分じゃ」
「お婆はお爺が愛しいのか」
「やれやれ、質問の多いガキじゃ」
「一つしか聞いてないよ」

 それから。
 師走は程なくして怪異を起こすつくも物を扱うようになった。
 初めての依頼主はお婆だった。
 後に世間が師走を知るようになるのも、お婆の一策があったからであったが、師走はそれを知らない。