嘘と欲求

 吐き気に苛まれる翔真は、一人蹲って悶絶していた。自由になったはずなのに、まだ首を絞められている感覚が残っている。
 おえ、と汚い声が漏れた。目が滲んだ。口内に胃液が溢れた。吐かないように飲み込んだ。またすぐに込み上げてきた。呻き声と共に出そうになった。
 喉が熱かった。頭が痛かった。視界が明滅していた。眩暈がするほどの気分の悪さにも吐きそうになった。
 息が苦しい。胸が苦しい。周りの音が聞こえない。静寂に包まれた暗闇の中で、たった一人だけ取り残されているみたいに、自分以外の人間の出す音が一切聞こえない。悲鳴を上げる自分の身体の、死に物狂いで不調を訴える激しい音しか聞こえない。
 ただ、心臓は確かに動いている。生きている。生きた心地はしないが、生きている。生きているから、嘔吐きそうになる。喉が蠕動し、吐瀉物をぶちまけそうになる。何度目か知れない波が、押し寄せてくる。脂汗がだらだらと、流れ落ちる。
 どのくらい悶え続け、嘔気と格闘していたのか分からなかった。ようやっと落ち着きを取り戻した翔真の額が冷たく濡れている。拭って、息を吐く。迫り上がってきていたものは、翔真の口から出るのを諦めたみたいに引いている。まだ少し喘いでしまいながらも、翔真は緩慢な動作で蹲っていた身体を起こした。
 脱力する翔真は、ぼんやりと視線を彷徨わせた。ここは伊織の部屋。漠然としていた現実の輪郭が、徐々に色を濃くしていく。首を絞められた事実が、不思議と遠い昔のように感じた。
 手の届く距離にあるテーブルに、一台のスマホが置かれているのを目にした。翔真のものだった。盗られていたスマホを一目しただけで、立ち込めていた暗雲が跡形もなく霧散した。どんな薬よりも休息よりも効果があった。
 翔真はスマホに吸い寄せられた。スマホから目が離せなかった。スマホ以外見えていなかった。あれは誰のものでもない自分のスマホだ。
 嬉々として回収しようとして、寸前で何者かに手首を掴まれた。ギョッとした。晴れ渡っていた視界が、またすぐに暗くて重い不安を煽る色に変化した。
 空高く羽ばたきそうになっていた翔真を、片手であっさりと叩き落としたのは伊織だった。伊織が目の前にいて、一挙手一投足を凝視されていたのに翔真は全く気づかなかった。
「大好きなんだね、スマホが」
「あ、いや……」
「好物の餌を前にした犬みたいな飛びつき方だったよ」
 伊織は翔真の行動を制したまま、翔真の眼前でスマホを引き寄せた。目と鼻の先にあったものが、触れる直前で横から奪われたような絶望感。まんまと餌に引き寄せられ、檻の中に囚われたような閉塞感。翔真は堪らず声を震わせた。
「い、いつになったら、返してくれるんだよ」
「もう返すよ。でもその前に、提案というか、助言がある」
 翔真から手を離した伊織がスマホを見せびらかした。話を聞かせる手段の一つとしてスマホを利用されている。渡せば自分の言葉など耳に入らないとでも思っているのかもしれない。
 それくらいスマホに依存していると思われているのだろうか。決めつけられているようで不服だったが、スマホを見て発作的に飛びついた手前、否定はできなかった。解放された手を引っ込めた翔真は、歪む唇を開く。
「じょ、助言、って、なんだよ」
「SNS、アカウントごとさっさと削除するのが賢明だよ」
「……は、え? さ、削除?」
「このままやり続けたって得はないよね。時間の無駄になるだけ」
 容赦のない言葉で淡々と片付けられ、吃る言葉すら出なくなる。衝撃的な出来事を前に呆然と立ち尽くしてしまうように、何もできず何も出てこなくなる。
 削除する選択肢など、端から頭になかった。炎上をどう処理するかに一生懸命で、先の展開を考えられていなかった。
 いつか炎上が鎮火したら、自分は平然と何事かを呟くつもりでいたのか。呟けるのか。嘘吐き盗撮魔と指を差され、その上から犯罪者予備軍の烙印すら押されたにも拘らず。
 失くした信用を取り戻すのは容易ではない。燃え上がっているカケルは既に死にかけている。翔真自身がカケルを自覚もなく追い詰めた。自分で自分の首を絞めるとはこのことではないか。
 嘘を吐いてまでいいねを渇望した自分は、数字で人気の有無が決まるSNSなど向いていなかったのかもしれない。今になって翔真は自覚した。遅すぎだった。
 潔く消す。思い切ってやめる。伊織の言われた通りに削除してしまうのが正解なのだろうか。でも、今、消したら。
「……逃げた、って、思われる。え、炎上、してる、このタイミングで、消したら、逃げた、って、もっと、煽られる」
「だとして、それが何って話だよ。どれだけ挑発されて馬鹿にされようが、削除して一切見なければ、そんな侮辱なんかこっちには届いてないのと一緒だよね」
「いや、でも、に、逃げたと、思われるだけじゃ、なくて、じ、自分の、知らないところで、特定でも、されたら、た、大変、だろ……?」
「ネットなんて、熱しやすくて冷めやすい場所だよ。有名人でもない一般人の炎上なんか、そのうち飽きられて忘れ去られるだけ」
 言い返しても言い返しても、速攻で言い負かされた。遠慮のないストレートな言葉がグサグサと突き刺さる。
 でも、伊織の言っていることは間違っていない。SNSを見なければ、消してしまえば、どのような罵声を浴びせられているかも知らずに済む。他人と自分を比較して落ち込まずに済む。いいねに一喜一憂せずに済む。情報量の多さに疲れずに済む。
 削除しないメリットよりも、削除するメリットの方が簡単に浮かび上がった。SNSを続ける理由を見出せなくなってしまった翔真は、静かに口を噤む。ぐうの音も出なくなっていた。どう頑張っても、口では伊織に勝てない。
「周りの反応一つで不安定になる西原は、絶望的に向いてないよ、SNS」
 最後に一言で止めを刺した伊織が、後は翔真の判断に委ねるかの如くスマホを差し出してきた。話は終わりのようである。
 項垂れていた翔真は、視界に入ったスマホを考えるよりも先に受け取っていた。伊織は二度も翔真の手を止めはしなかった。
 手に馴染む確かな感触に安心してしまう翔真は、まるで息をするように、操られたように、SNSを開いていた。スマホを触ったらまずSNSを閲覧するのがルーティン化している。助言として削除を勧めた伊織が目の前にいても、一時的に盗られたスマホを返されたばかりであっても、変わらなかった。変えられなかった。
 スマホの画面を注視すると、周りの景色が見えなくなる。聞こえていた音も遠くなる。伊織の存在すら、あっという間に希薄になる。翔真の眼前が、意識が、世界が、リアルからネットに、一瞬で切り替わる。
【学校名が特定されてる。犯罪者予備軍育成学校じゃん】
【投稿を見る限りではカケルも同校のはずだから、個人は結構絞れそう。カケルが本名かは分かんないけど】
【カケルよりも雨宮伊織の方が個人的にヤバそう。盗撮か殺人か、だったら、命を奪う殺人の方が最悪なイメージだし】
【学校もこんな問題児を入れるなんて見る目なくない?】
【雨宮伊織はガチの顔だけの人に見えてきた。顔は本当にイケメンなのにもったいなさすぎ】
【もし犯罪者予備軍から予備軍がなくなったら大変だからさ、あの時こうしていればよかったって後悔しないように、今のうちに殺人鬼の芽と盗撮魔の芽は潰しておきたくない?】
【イケメンの方を探して生で顔面を見てみたいけど、出会しちゃったら殺されそうでなんか怖い】
【特定された高校も、まさか生徒に犯罪者予備軍がいるなんて思わなかっただろうね。見る角度を変えれば被害者かも】
【何回考えてみても、親友じゃない人を親友にしてたカケルが気持ち悪くて仕方ない。そこまでしていいねが欲しかったの? 承認欲求の度が過ぎるって】
 殴られ蹴られ横臥し、息も絶え絶えになっているカケルの姿が見えた。翔真と瓜二つだった。翔真の分身だった。
 カケルにはもう気力がなかった。涙も流さず、怒りも見せず、無残に捨てられた粗大ゴミのように機械的に転がっているだけ。表情はなく、目を開けたまま死んでいるかのようだった。
 見つめる先にいるカケルが、ゆっくりと瞬きをした。まだ生きていた。いや、生かされていた。誰に。きっと、翔真に。
 カケルの光のない黒目が、徐にこちらを向いた。自分を作り出した翔真を、無感情に見つめる。薄らと開かれた唇が、何事かを呟くように動き始める。翔真は耳をそばだてた。微かな音は聞こえるが、言葉としては聞き取れない。
 一歩、二歩、カケルに近づいた。カケルの唇が再び動く。まだ聞き取れない。更に歩みを進めた翔真は屈み込み、カケルの唇に耳を近づけた。息が、かかった。自分と同じ声が、聞こえた。
 気づけば翔真は、カケルに馬乗りになり、カケルの首を絞めていた。そうしないといけなかった。いつまでもカケルを生かしておくのはいけなかった。いけないことだと思った。
 楽にさせるために。楽になるために。形だけでも終わらせるために。使いこなせなかったSNSをやめるために。もう絶対に見ないようにするために。見えないようにするために。暴走して引き起こした、自分のみならず他人まで巻き込んだ過ちを、自戒の念を込めて記憶に留めておくために。
 翔真はカケルを、自らの意思で、自らの手で、始末した。不純な理由で始めた物語に、無理やりにでも終止符を打った。
 夢から醒めるように我に返ると、スマホのホーム画面が目に入った。見慣れたアプリがなくなっていた。あれ、と首を傾げてしまいそうになった。数秒前の記憶が曖昧で、そこだけぐちゃぐちゃに塗り潰されたみたいに混濁していた。
 息が苦しくなり、翔真は思い出したように呼吸を再開した。足りなくなっていた酸素を急いで全身に行き渡らせようと、懸命に働き始める心臓の鼓動が耳元にまで響いてきた。
 頭が急激に熱くなる。霧が晴れるように、狭まっていた視界が開けていく。ドクンと一際大きく心音が轟いた。翔真はようやく現実に帰ってきた。発作的に起こした自分の行動の結果が、SNSアプリの消滅したホーム画面にあった。
「西原」
 唐突に、上から声が降ってきた。顔を上げると、テーブルを挟んで対面にいたはずの伊織が傍で翔真を見下ろしていた。目を白黒させた。いつからそこにいたのだろう。全く気配を感じなかった。自分は伊織が動いたのに気づかないほど、強烈な幻覚に飲まれていたのだろうか。
 ボロボロになった、自分と同じ顔をしたカケルの首を絞めて殺す幻覚。リアルではないのに、両手には奇妙な感触が残っていた。耳にもカケルの囁きがこびりついていた。
 カケルは消え入りそうな声で翔真に言った。殺して、と。耳にした瞬間、翔真は取り憑かれたようにカケルを殺していた。カケルはもうどこにもいなかった。
 名前を呼ばれたのに、翔真は返事もできないまま伊織を見上げ続けた。伊織の手が動く。白い紙を差し出される。翔真の脳裏に疑問符が浮かんだ。伊織がマイペースに喋り出した。
「これ、俺の連絡先」
「……え、れ、れんらく、さき?」
「俺と金輪際関わりたくなかったら、処分していいよ」
 胸に押し付けられ、強制的に受け取らされた。紙の質感を指先に感じる。目を落とす。十一桁の番号が流麗な筆跡で記されている。紛れもなく、スマホの番号だ。これが伊織の連絡先。
「スマホは返したし、俺はもう話すことないし、西原もないんだったら帰っていいよ」
 いきなり連絡先の書いたメモを渡され、当惑する翔真を置いて話を進める伊織。柔らかい語尾でありながらも冷たく突き放すような口調に押し負け、なぜ連絡先を教えてくれたのかという疑問は口にできなかった。
 頭がごちゃごちゃしている。糸が絡まったみたいになっている。一人で落ち着いて、今日あった出来事を整理した方がいい。翔真はメモ用紙とスマホをまとめてポケットに押し込んだ。
 大人しく帰る旨を伝えると、伊織に玄関先まで見送られた。お邪魔しました、と敷居を跨いだ時と同様に、一応の礼儀を払って伊織の家を後にする。名残惜しさの欠片もない淡白な別れだった。
 伊織の家に背を向け、自宅を目指して歩みを進める。ポケットに手を突っ込んだ。メモ用紙を引っ張り出すと、皺が寄ってしまっていた。それでも伊織の筆跡は負けておらず、存在感を失っていない。
 伊織と遠く離れていても連絡が取れる大きな窓口を前に、翔真は深く思い悩んだ。伊織が自身の連絡先を、大事な個人情報の一つを、仲良くなったり気が合ったりしたわけでもない翔真に教えた理由。
 伊織は自分と親しくなりたいと思っているのだろうか。考えて、苦笑が漏れた。親しくなりたいと思っている相手の首を平然と絞める人がどこにいるのだ。
 何か裏があるに違いない。伊織の中で計画があるに違いない。もしかしたら、伊織は自分を試しているのかもしれない。メモ用紙を処分して関わらないようにするか、しないか。
 互いの関係をどうするか、どのような形にするか、伊織は翔真に選ばせている。暴露された性癖をあっさりと認め、首を絞めて欲求を満たし、自身の隠してきた異常性を曝け出した上で、翔真に選ばせているのだ。
 どちらを選択するのが正解か。相手には暗い衝動がある。部分的に見れば、今すぐ破り捨てるのが賢明だ。翔真はメモ用紙を両手の指先で摘んだ。伊織と関わり続けると更に酷い目に遭うかもしれない。指先に力を込めた。破れ。捨てろ。これ以上関わるべきではない。
 言い聞かせるも、なかなか思い切れず、紙に薄らと皺が増えただけだった。なぜだろう。いつか本当に人を殺すかもしれない人なのに。なぜ切り捨てられないのだろう。自分はどうしたいのだろう。伊織とどうなりたいのだろう。
 すぐに結論が出せないまま、気づけば家に辿り着いていた。部屋へ直行し、回転椅子に腰掛けてからも長考する。決められない。どちらを選べば自分にプラスに働くのか分からない。
 紙に書かれた番号を、徐に指先でなぞった。僅かな凹凸を感じ、間接的に伊織に触れているような妙な気分になった。触発されたかのように、都合の良い妄想が脳内を埋め尽くし始める。
 伊織と連絡を取り合って、遊ぶ約束をする。ある日は、互いの行きたいところに行って、したいことをして、食事を摂って、雑談をして、手を振って別れる。
 またある日は、書店に寄ってそれぞれ本を購入し、どちらかの家で共に読む時間を設けて、休憩がてらどこかに食べに行って、伊織の好きな本の話などをして、たまに笑い合って、楽しく穏やかな充実した時間を過ごす。未だ嘗て経験したことのない青春。壮大な妄想。
 失った信頼を取り戻すように地道に距離を縮められれば、感情を表に出さない伊織が喜怒哀楽を見せてくれるようになるかもしれない。多くのクラスメートが誰かと当たり前に結んでいる関係性に、いつかなれるかもしれない。初めて、友達と呼べる人ができてしまうかもしれない。
 期待に胸が膨らんでいく。全て友達がいないが故の翔真の願望だった。きらきらした眩しい装飾を施し、尚且つ都合の良い部分だけをピックアップした綺麗な物語を作っているに過ぎなくとも、妄想するのは自由だ。
 口を噤んでさえいれば、嘲笑されない。引かれない。気持ち悪がられない。嘘の関係性と嘘の出来事をSNSに投稿し、共感を得ようとする馬鹿な真似は、もうしない。
 抱いた願望を現実に近づけるためには、連絡先の追加が必須だった。これ以上懊悩する理由がどこにあるのだろう。破れない。捨てられない。既に答えは出ている。
 翔真は決意が揺らがないうちにスマホを引っ張り出し、メッセージアプリを開いた。邪念に侵食される前に素早い指捌きで番号を打ち込み、連絡先を追加する。止まらなかった。止まらないようにした。途中でブレーキを踏むと、再び逡巡の波に飲み込まれて終わりだ。
 心臓が早鐘を打っていた。指先が小刻みに震えていた。家族の名前しかなかった寂しいリストに、家族でも何でもない伊織の名前が追加されている。
 熱に浮かされたような感覚に陥った。伊織と繋がりを持った。ここから、本物になれるかもしれない。嘘が本当になるかもしれない。良くも悪くも正直に、何でも言い合えるような親密な仲に。唯一無二の、親友に。
 伊織にメッセージを送ろうと、翔真はトーク画面を開いた。文字を打とうとするが、突然見えない壁にぶち当たったみたいに指が不自然に止まってしまった。
 何と送ればいいのだろう。難しく考えず、よろしく、とでも送ればいいのだろうか。指を滑らせるが、いや、そんな馴れ馴れしい距離の詰め方はできない。翔真は打ったばかりの文字を慌てて消した。
 たった一言を送るのにうんうんと唸る時間が長く続いた。連絡先を追加して発生した熱が徐々に冷めていく。
 やっと追加する選択を取れたと思ったら、今度は何とメッセージを送るかで懊悩してしまう。どんどん自分が情けない人間に思えてくる。悩めば悩むほど自己嫌悪に陥り、卑屈な部分に拍車がかかるようだった。
 しっくりくる言葉が見つからないまま、思考だけがぐるぐると回転する。変に考えすぎているせいか、頭痛がし始めた。
 何でもいいから送ればいい。分かっている。何を送ろうと相手は気にしない。分かっている。悩んでいる時間が無駄でしかない。分かっている。分かっているのに、上手く言葉が出てこない。
 対面でも口下手で、画面上でも口下手など、コミュ力が絶望的になさすぎて涙が出そうになった。
 挫けてしまった翔真は、メッセージを送るのを中止した。静かにスマホを閉じる。背凭れに体重を預け、盛大な溜息を吐く。メモ用紙と目が合う。伊織の連絡先。追加した今、もう必要はなかったが、なぜか捨てる気はしなかった。
 翔真は伊織の丁寧な文字を指でなぞってから、メモを引き出しにしまった。考えることを放棄し、意味もなく机の一点を見つめたりゆっくりと瞳を動かしたりして時間を潰す。
 一冊の本が目に入った。書店のカバーが付けられている。表紙は見えないが、何を買ったかは覚えていた。ただ、一ページも読めていない。
 気晴らしに本に触れようと手を伸ばした時、滅多に鳴らないスマホが鳴った。親からだろうか、と無警戒なまま画面を覗き込んで、心臓がドンッと特大な音を打ち鳴らした。目が離せなくなる。瞬きすらも忘れてしまう。
【言い忘れていたことがある】
 追加した翔真よりも先に届いた伊織からのメッセージは、部屋での会話の続きのような温度感があった。翔真が連絡先を追加すると確信していたみたいな言葉選びでもあった。
 立て続けにスマホが通知を知らせた。挨拶もなしに伊織は続ける。文字だけなのに、直接話しかけられているのではないかと思うほどの臨場感を覚える。伊織の手のひらの上で転がされている。踊らされている。
【また今度、西原の首、絞めさせて】
 ああ、と翔真は力なく呻吟した。妄想は、現実にはならない。伊織と、親友にはなれない。初めから明確だった。殺人鬼とストーカーの犯罪者予備軍など、親友よりも仲間の方が正しい。伊織もそう言っていたではないか。仲間だと。仲間は、親友を優に超えている。
 伊織との縁を切れずに結んだ糸が、何重にも首に巻きつけられた。引き裂けず、翔真は一人嘔吐きそうになった。細い糸のはずなのに、分厚い鎖のように重たく頑丈で、全く歯が立たない。
 縁という名の糸で、翔真の首を絞めているのは伊織だった。翔真を認めて、伊織は首を絞めている。誰にも認められなかった翔真を、伊織だけは認めている。犯罪者予備軍仲間だろうが何だろうが、伊織だけが。
 自分には、伊織がいる。同じ犯罪者予備軍である伊織がいる。仲間だと認めてくれた伊織がいる。取り柄のないどうしようもない自分を、伊織は仲間だと認めてくれた。いいねを貰うよりも遥かに気持ち良かった。途方もない承認欲求が満たされていった。
 何も面白くないのに、翔真の口角が微かに持ち上がった。自分には伊織しかいない。伊織だけだ。伊織だけが、自分を認めてくれるのだ。
 伊織に仲間意識を持たせるべきではなかったと一度した後悔が、どろどろと跡形もなく溶けていく。密かに感じていた孤独が、みるみるうちに埋まっていく。伊織を親友に選んでつけ回していなければ、今でも空いたままだった穴。
 歪な笑みを浮かべる翔真は、読めずに放置してしまっていた『殺戮にいたる病』を手繰り寄せた。仲間である伊織が読んだ本。伊織が面白いと評価していた本。
 翔真は躊躇なく表紙を開いた。自分を認めてくれた伊織が見た世界を、今すぐにでも知りたくなった。伊織に関連する事柄の全てを、今までよりも強烈に、知りたくなった。何度も首を絞められ、死の間際を彷徨う羽目になろうとも。


END