嘘と欲求

 初めて見た伊織の家は、どこにでもあるような普通の家だった。特別豪邸でもなく、かといって質素でもない一般的な家屋。翔真の家と大きな差異はないように見えた。
 学校では近寄りがたい孤高の存在だが、住んでいる家を見る限りでは親しみやすそうなイメージだ。勉強も運動も何でも卒なくこなす伊織も、蓋を開けてみれば翔真と同じ一般家庭の子供であるのを知った。
 家の玄関を開けた伊織が、入るよう翔真を促した。伊織の住まいを見上げていた翔真は、顎を下げてぎこちなく頷く。黙って伊織の後を追っていたら、まさかずっと知りたかった伊織の家に連れてこられるとは。翔真は身体が強張った。
 眼前には伊織の住処。足を踏み入れたら、そう簡単には出られない。それでも、スマホを返してもらうためには、伊織に従うしかない。元々伊織を見つけて話をするのが目的だった。結果オーライであるとプラスに考え、翔真は一歩踏み出した。
「お邪魔します……」
 猫背になりながら中へ入ると、その家庭特有の匂いが鼻を掠めた。欲求に負けて嗅いでしまった伊織の制服の匂いと同じ匂い。罪悪感が募った。意思などない香りから、お前の罪はまだあると咎められている気分になった。
 恐らく伊織は、脱いだ制服の匂いをこっそり嗅がれたことには気づいていない。翔真の秘密のあらかたを暴かれてしまったとしても、当時の気狂いな変態みたいな行動だけはバレていない。
 このままなかったことにしてしまえばいい。知られていないのだから、わざわざ自供する必要などない。一時的に抜け殻となった服の匂いを嗅いだかどうかは、実際にその様子を見ない限り疑惑を持たれはしないはずだ。
 知られると困る不都合な事実を、伊織の目を盗んで摘み取り懐に収める。何事もなかったように息をする。鼻から空気を吸う度に、ここに来てまだ罪を隠蔽しようとする翔真を責め立てているようなきつい香りが通り過ぎた。
 隠し事を抱える翔真の背後で、伊織が玄関の扉を閉めた。他人の家の床を我先には踏めず、置物のようになる翔真を一瞥した伊織が、落ち着き払った様子で靴を脱ぐ。突っ立っていた翔真は、ようやく動いていい許可が出たかのように伊織に倣って靴を脱いだ。
 伊織は階段を上っていく。翔真は黙ってついていく。二人分の不揃いな足音が二階の廊下を踏む。少し進んだ先にある部屋の扉を開けた伊織が中へ入るのを見て、たじろぎつつ翔真も後に続いた。
 背後でパタンと扉の閉まる音。続け様にガチャと鍵のかかる音、は幻聴である。翔真が巻き添えにした伊織の家に上がっている緊張感と、まだ慣れない伊織の匂いで息を吹き返した罪悪感が、翔真を極限状態に陥らせていた。
 扉の前で挙動不審になる翔真を気に留めない伊織は、部屋の中央に鎮座しているテーブルの上にあった白いリモコンを手に取り、ピッとエアコンをつけた。
 スイッチを入れられ叩き起こされた家電が、唸り声を上げながら面倒臭そうに稼働する。さっさと冷やせばいいんだろと言わんばかりに、吹き出し口から不機嫌そうに風を吹かせ始める。徐々に加速しながら部屋の空気がぐるぐると旋回した。長くなるかもしれないのを悟った。
「座っていいよ」
 リモコンを手放した伊織が、床に足が縫い固められたかのように微動だにしなくなっている翔真を、短い言葉だけで招いた。こちらを見ず、テーブルの前に腰を下ろす伊織。
 視線を彷徨わせる翔真はやっとの思いで床から足を引き離し、そろそろと歩いて伊織の対面に座った。そこしか空いていないように見えた。多分そこが正解だった。
 エアコンのかったるそうな稼働音のみが部屋を満たす。喋らない時間が続いた。息苦しさを覚える気まずい沈黙。自分から切り出した方がいいのだろうか。いや、でも、自宅に連れ込んだのは伊織だ。翔真のスマホを盗ってまで。伊織の言葉通りについてきたのに、まだスマホは返却されそうにない。
 猫背になって小さくなる翔真は、緊迫感から顔を背けようと伊織の部屋に意識を向けた。首はあまり動かさず、目だけで見回す。ベッドやクローゼット、勉強机などの大型家具が、部屋の面積の大半を占めている。中でも最も目立っているのは、クローゼットよりも横幅がありそうな大きな本棚である。
 大量の本が整然と並べられている。読書をする習慣のない翔真は、その量に圧倒され凝視してしまった。遠くにあるものを見るように目を細めてみても、本のタイトルはこの位置からでは読めない。翔真が思い切って買った二冊と同じ本がどこに並んでいるのかも見つけられない。
 自然と顔が険しくなる。タイトルを載せた様々なデザインの背表紙たちが、こちらを見つめ返しているような奇妙な感覚に陥りかける。翔真は本の圧に負けじと、たった二冊のタイトルの、初めの単語を繰り返し思い浮かべた。『殺戮』『成瀬』『殺戮』『成瀬』『殺戮』
「『成瀬』、面白かったんだね」
 ビクッと肩が揺れた。本棚から伊織へ、一瞬にして意識が移動した。声もなく目を見開く翔真を見ても、伊織は表情を変えない。
 心臓が爆音を立てている。自分の思考と伊織の発した言葉が綺麗に重なり、そんなはずもないのに頭の中を覗き見られていたのではないかと焦った。右へ左へ目が泳いでしまった。
 脈絡も気配もなく突然話しかけてきた伊織にどぎまぎしながらも、脳内で伊織の台詞を反芻した。『成瀬』、面白かったんだね。
 確かに、面白かった。読書に親しんでいない翔真でも、飽きずに最後まで読み切れた。読み切れたが、その旨を伊織に話した覚えはない。購入報告も、勧めてくれた伊織本人にした覚えはない。SNSで呟きはしたが、伊織には、とぐるぐると思考が渦を巻き始めたところでハッと閃いた。
 そうだ。SNSだ。翔真は伊織に自身が動かしていたアカウントを見せたばかりだ。炎上した投稿を詳細表示してからスマホを渡したが、操作すれば他の投稿も簡単に閲覧できる。伊織は目にしたのだ。自らが勧めた本に関する翔真の投稿を。
 人のスマホを勝手に操作して勝手に見るなんて、と伊織を咎めてしまいそうになったが、既に勝手な真似をして気づかぬうちに灯油を撒いていた自分にその資格はないと思い直した。反抗するのは諦めた。確認するのもやめにした。翔真が口で勝てるはずもない。
「……うん、まあ、面白かった。俺でも、読めたし、なんか、止まらなくなるくらい。雨宮に、おすすめ、されなかったら、多分一生、読まなかったと思う。本の面白さも、知り得なかったと思う」
「嘘は吐いてないみたいだね。直感で選んだ『成瀬』に賭けた甲斐があったよ」
「え、ん? ちょ、直感? 賭け? え、や、急に、何の話……」
「『成瀬』が面白いかどうかも、読みやすいかどうかも、一か八かの賭けだった話」
 伊織の唐突な告白に、頭に疑問符が飛び交った。伊織は一体、何を言っている。賭け、とは何だ。一か八かの賭け、とは。この本を勧めてよかった、であればまだ分かる。でも、賭けた甲斐があった、とは何だ。
 人に本を勧めるのは賭け事のようなものなのか。実際に読んでみて、面白かったから、読みやすかったから、勧めたのではないのか。読んだことがあるのなら、賭けという不安を煽る言葉は出ないはずだ。それとも、この場合の賭けとは、相手に気に入ってもらえるかどうかの賭けという意味なのか。
 でも、だったら、面白いかも読みやすいかも知らないみたいな言い方は変ではないか。それではまるで、伊織は該当の本を読んでいないみたいではないか。そう思案して、まさか、と唇を歪めた翔真は細く息を吸った。
「な、なんか、あの、雨宮の、その、言い方だと、自分は、『成瀬』を読んでない、みたいに、聞こえるんだけど……」
「読んでないよ」
「……は? え? よ、読んでない? う、嘘だろ? え、じゃ、じゃあ、なんで、読んでないのに、なんで、す、勧めたんだよ」
「西原は、俺の仲間だと思ったから」
 どれもこれも迷いなく即答された。予め準備していた台詞であるかのようにも聞こえた。
 伊織は質問に答えてくれたはずなのに、納得するどころかますますこんがらがってしまう。翔真の理解の範疇を超えている。読んでないのに勧めた。理由は、仲間だと思ったから。意味が分からない。伊織の意図が全く読めない。仲間、とは何だ。
 また新たに浮上した疑問に、翔真は頭を抱えてしまった。前触れもなくいきなり自供のような真似をして、伊織は何を企んでいるのか。自分に何を求めているのか。伊織の告白は、問題提起となっているはずの炎上と何か関係があるのか。
 伊織の中では綺麗に結びついているのだろう点と点は、翔真の中では途中で線が途切れており、全く結びついていなかった。ただはっきりしていることは、伊織は翔真に勧めた本を読んでいないこと。伊織は翔真をなぜか仲間だと思っていること。何度頭を働かせてみても、それらの事実に続く道は真っ暗なままだった。
「ぜ、全然、意味、分かんないって。な、なんだよ、仲間って。俺と、雨宮、ど、どこが、仲間なんだよ。か、勝手に、仲間にして、読んでない本、勧めるとか、り、理解できない、っていうか……」
「人を勝手に親友にするのも理解できないよ」
 不意に切り込まれ、喉が変な音を立てた。視線がうろちょろしてしまう。伊織と目を合わせられなくなる。
 スマホを伊織に見せてから初めてその件に関して咎められ、言い返す言葉が見つからない。伊織を親友にした翔真が、翔真を仲間にした伊織にとやかく物を言ったとて、お前もそうだろとブーメランのように自分に返ってくるのは、少し考えれば分かるオチだった。
 親友と仲間。互いの知らないところで、似ているようで異なる関係にしていた事実を突き付けられる。
 承認欲求を満たすために、顔の整っている伊織を親友にした翔真のように、伊織も何かしらの理由があって、翔真を仲間だと認識した。なぜなのかは皆目見当もつかなかった。伊織との共通点などないに等しいはずなのに、一体自分のどこに、仲間だと思う要素があるのか。
 もう一度熟考しても、それらしい答えは見出せなかった。伊織が分からない。話がどこに着地するのか分からない。分からないことばかりで、自力で解き明かせないことばかりで、徐々に苛立ちが募り始める。自分だけが混乱している。こちらの反応を観察するような伊織の眼差しにも、だんだん腹が立ってくる。
「し、親友にしたのは、申し訳ない、って思ってる。で、でも、今は、そんな話、してないだろ?」
「西原が俺を親友にしたことは、俺が西原を仲間だと思った話に通ずることだよ」
「だ、から、そ、それが、分かんないんだよ。仲間、ってのが、全然」
 発した言葉に、多少のイライラが表れているのが自分でも分かった。意識して、息を吸って、吐く。常に冷静な伊織を前に、自分一人だけが熱くなってしまうのは避けたい。ここで相手の気分すら害する苛立ちを見せたら、まだまだ精神的に未熟であることを証明する羽目になりそうだ。翔真は懸命に、分からないストレスを抑え込んだ。
 身体が熱くなるほどの苛立ちを心に蓄えても、気弱そうな喋り方は悲しいくらいに変わらなかった。伊織にプレッシャーも何も与えられていない。口下手は、喜怒哀楽のどのような感情に陥ろうが、口下手なままなのだ。
 取られている主導権を取り返そうにも、伊織を言い負かす術は翔真にはない。逆転するのは限りなく不可能に近かった。
 結末まで見えているような、あるいは、自分で最後を決められるほどの余裕があるような伊織は、変わらない無の表情で翔真を凝視していた。どのようにして自分の理想とするエンドにするか、翔真の反応を見ながら様々なパターンを想像しているかのようで、まるでゲームブックみたいな感覚で自分と話をしているのではないかと馬鹿なことを思った。
 選択によって結末が変わるゲームブックであれば、次に伊織は何を選択するのだろう。まだ自分に真相を明かしてはくれないのだろうか。もっとイライラさせるために焦らすつもりでいるのだろうか。
 息が詰まりそうなほどに長い沈黙の末、先の先のそのまた先の展開を想像しているようでもあった伊織が、徐に唇を開くのを目にした。どうするのか、結論が出たようだ。
 堂々巡りするばかりで思考を放棄しつつあった翔真は、ようやく、伊織の仲間にされた所以が判明するかもしれないと、少しの期待を込めて伊織を見つめた。抑揚のない声が耳を打った。
「俺を親友にして、付き纏ったり盗撮したり、西原はストーカーみたいだよね」
「……え?」
「その行動を客観的に分析して区別するなら、西原は俺と同類だよ」
「……あ、ま、まさか、な、仲間って、ど、同類って、まさか」
「ネット上の奴らが、声高に罵ってたよね。俺と西原のこと。犯罪者予備軍って」
 金属バットか何かで頭蓋骨を殴られたような強い衝撃を受けた。ネット上に溢れた数々の誹謗中傷の中から、関連するワードが水面からひょっこりと顔を出すように鮮明に頭に浮かぶ。ストーカー。盗撮魔。殺人鬼。犯罪者予備軍。
 翔真はごくりと唾を飲んだ。仲間であり、同類であると断言する伊織の口から出た、犯罪者予備軍という言葉。嘘か真か定かではなかった噂が真実であることを、伊織の言葉と表情が物語っていた。
 伊織は、第三者の暴露した事柄の通り、殺人欲求を秘めている。でなければ、ストーカーみたいな翔真に対して、仲間だとも同類だとも思わないはずだ。
 殺人欲求があるのも、ストーカー気質であるのも、一歩間違えれば完全な犯罪者になり得る要素を持っている犯罪者予備軍だ。だから、仲間であり、同類だと思った。だから、自分と同じ犯罪者予備軍だと言える翔真に、自身の趣味である読書に誘おうとした。本を読まない翔真でも読めそうな本を直感で選び、賭けに出てまで。
 趣味が被れば、親近感を抱きやすい。距離もきっと、縮まりやすい。犯罪者予備軍仲間だと言って近づくよりも、何倍も何十倍も安全で健全な策。
 仲間である翔真を読書の沼に上手く落とせたら、後は丁寧に懐かせるだけ。伊織は野良猫を懐かせている。人を懐かせるのも容易いのではないか。全ては翔真の想像だが、あながち間違いでもないのではないか。
「ここまで言えば、もう理解してくれたよね」
 伊織の声に、いつの間にか俯けていた顔を持ち上げた。暗い瞳が、翔真を見据えていた。
 今目の前にいるのは、危険な殺人欲求を持っている人。まだ伊織の口からそうだと断言されたわけではないが、そうでなければ違和感を覚えることばかりだ。暴露されたことは本当だと思う方が、辻褄は合っている。
「……やっと、分かった」
 そうなのかもしれない、が、そうだ、に変わったのを実感した。それでも、不思議と、嫌悪感や不快感、強い恐怖心などは湧かなかった。殺人欲求を遠回しに認めても、伊織は何でもないことのように普通なのだ。
 暴かれた秘密を自らも打ち明け諦めの境地に陥るでもなく、バレたからと開き直って豹変するでもない。終始顔色に変化が見られない。自分のことを話しているはずなのに他人事みたいな熱のなさは、翔真の知っているクールな伊織でしかないのだった。
 互いの見えない裏側で、何を企み何を考えどんな行動を取っていたのか判明したこの状況で、変化がなさすぎるのはある意味恐ろしいが、伊織であればない話でもないのかもしれないと根拠もなく翔真は思った。
「分かってくれたところで、西原に一つ、お願いがあるんだけど」
「え、お、お願い……?」
 口にしながら、翔真の視線が上へ行った。ゆっくりと立ち上がった伊織を、訳も分からず見上げる。エアコンの稼働音と、伊織が床を踏む微かな音が、なぜか酷く不安を煽るようだった。
 そわそわと落ち着かなくなる。自然と瞬きが多くなる。テーブルの横を通り、翔真の側で足を止めた伊織が膝を折った。目線を合わせられた。なんだよ、と発した声が、思っていた以上に掠れていた。
 伊織は翔真から目を離さない。お願いとやらを喋る気配もない。次第に気まずくなり、翔真は伊織の肩の辺りに目を下げた。
 手を伸ばせば余裕で触れられる距離に伊織がいることに妙な圧迫感を覚え始め、さりげなく尻を引き摺り後退る。開放感のある外とは異なる室内の閉塞感が、圧となって翔真を萎縮させているかのようだった。先程までは、伊織との間にテーブルという名の障害物があったおかげで、居心地の悪さを感じずに済んでいたのかもしれない。
 緊迫した空気が流れていた。身じろぎするのも躊躇ってしまいそうだった。お願いがあると口火を切っておきながら、追い詰めるようなプレッシャーを吹っ掛けてばかりでいつまで経っても話さない伊織。
 だんだん不審に思い始めたところで、見つめる先にある伊織の肩から下がスッと音もなく動いた。動くはずのない銅像が動いたのを目の当たりにしたみたいに心臓が跳ね、息が止まりそうになった。
 決して銅像などではない伊織の両手が、こちらに伸びてきている。え、と声が漏れた。空気が抜けるような息が漏れた。反射的に伊織の腕を掴む寸前で、剥き出しの首を両手で覆われた。
 顔が引き攣った。現実逃避をするように、口元が歪んだ。別に笑いたいわけではないのに、下手くそな笑みがぺたりと張り付いた。
 伊織の腕に自分の指が食い込んだ。熱のない無機質な目をした伊織は手を引かなかった。息をする度に喉が震えるのが分かった。
「な、なん、なんだよ、これ……」
「黙って聞いてくれる?」
 有無を言わせない威圧感。翔真は呆気なく言葉を失った。伊織の親指が喉に圧をかけ、翔真を脅かす。心臓の音が近くで聞こえ、呼吸が乱れる。息ができなくなるほど強く首を絞められているわけではないのに、伊織の意思一つで乱れた呼吸すらも止まるのを想像してしまうと、冷静ではいられなかった。
 まさか自分は殺されてしまうのだろうか。大人しくしていても。動かなくても。同級生の伊織に。殺人欲求を持っている伊織に。特殊な性癖を認めた伊織に。人の首を覆いながら静かに口を開いた伊織に。
「俺は、猫の首を絞めたことがある。でも、人の首はまだ絞めたことがない。西原、さっき、俺を親友にして申し訳ないって言ったよね。許すよ。その代わり、西原の首を、絞めさせてくれる?」
 伊織のお願いを耳にした途端、後悔、の二文字が脳裏にちらついた。伊織は親友にしてはいけない人だった。情報収集にかこつけてストーカーじみた真似をして、同族だと仲間意識を芽生えさせてはいけない人だった。伊織の欲求は、間違いなく本物だ。
 伊織に首を覆われたまま、今になって翔真は理解した。伊織が翔真の付き纏いに気づいていながら、やめさせようとはしなかった理由を。
 SNSでいいねを欲しがり、いいねを貰うために親友を作り、その親友に伊織を選択した時点で、破滅への道を進んでいたのかもしれない。
 ちっぽけな承認欲求を満たす。目先の快楽を味わう。後先も考えずに選んだ道。もう引き返せないところまで来た結果、真っ黒な欲望を胸の内に携え、翔真に手を伸ばしていた伊織に籠絡された。
 どちらにするか、どれにするか、出された選択の全てを間違えていた。伊織に首を絞められようとしているのが、その証左である。
 伊織は感情のままに首を絞めようとはしなかった。冷静で、理性的。熱のこもっていない声。欲求をコントロールできているのが窺えた。猫の首を絞めた時も、この調子だったのだろうか。伊織は猫を、淡々と、絞め殺したのだろうか。
 抵抗せず、怖がらず、我慢して、伊織に首を絞めさせる。伊織を親友にし、伊織に付き纏い、伊織を盗撮し、伊織を炎上させた自分への贖罪になるのなら。今はただ、伊織の好きにさせるのが、正解なのかもしれない。
「あ、雨宮、俺のこと、こ、殺す、つもり……?」
「殺すつもりだったら、もうとっくに西原は死んでるよ」
「……あ、はは、確かに。じゃ、じゃあ、いいよ。本当に、殺すつもりじゃ、ないなら」
「死体の処理は、想像するだけで面倒臭いよね」
 それが殺さない理由か、と伊織の本音を知ると共に首を絞められた。許可を貰った伊織に躊躇はなく、あっという間に空気が喉を通らなくなった。一瞬で息ができなくなる。顔が歪む。赤くなる。殺すつもりではないなど嘘なのではないかと、溺水しているかのような苦痛の中で翔真は思った。
 死を意識せざるを得ない異常事態でパニックに陥りそうになったが、全て自分が蒔いた種だと思うと力が抜けてしまった。悪いのは自分。伊織を親友にした自分。秘めていた殺人欲求を解放させる伊織にきつく首を絞められながら、翔真は消えない自責の念に絡め取られた。