そしてあっという間に一週間が過ぎ、大会当日を迎えた。
少し肌寒い朝。
集合時間より少し早く球場へ着くと、すでに野球部員たちは準備を始めていた。
荷物を運んだり、ストレッチをしたり、それぞれが自分の役割をこなし、試合に向けて動き出している。
「みんな朝から元気だねー」
紬が感心したように言う。
「試合当日だし、元気出していかないと」
「そうだね!」
紬と話しながらも私は、野球部員たちの動きを目で追っていた。
父の影響で、小さい頃から野球はよく見てきた。
それに父は、試合前のアップから見るのが好きだから、試合だけじゃなく、試合前の雰囲気も少しだけ知っている。
この少し張り詰めた空気も。
仲間同士で交わす何気ない声掛けも。
「小宮さんたち、ちょっといい?」
先生に呼ばれ、私は受付の方へ向かう。
今日の仕事は、チケット販売と球場の案内。
夏にも経験した仕事だったから、やり方は分かっている。
「よし、頑張ろう」
そう小さく呟き持ち場についた私は、この日が特別な一日になるなんて、まだ知らなかった。
受付が始まると、次々と観客が球場を訪れた。
「おはようございます」
「チケット一枚お願いします」
「ありがとうございます」
夏に一度経験したこともあり、仕事は順調に進んでいった。
しばらくすると、観客席は少しずつ埋まっていく。
地元のお年寄りや、父親に手を引かれた小さな子供たち。
学校の生徒や野球部員のお母さんやお父さん。
色々な人がそれぞれの思いを胸に球場へ足を運んでいるんだろう。
「花奈、こっちお願い!」
陽菜に呼ばれ、私は入り口付近の案内を手伝う。
仕事に追われているうちに、気づけば試合開始まであと数十分ほどになっていた。
「少し落ち着いたね」
陽菜が伸びをしながら言う。
「うん。もうそろそろ試合開始だもんね」
私はそう答えながら、何気なくグラウンドへ目を向けた。
選手たちがシートノックを始めていて、乾いた打球音が球場に響いている。
父と野球を見にいくたび、私はこの時間が好きだった。
試合前の緊張感。
選手たちの真剣な表情。
試合はまだ始まっていないのに、その空気だけで胸が高鳴る。
「花奈って、やっぱり野球好きだよね」
隣にいた真帆が笑う。
「うん。お父さんと何度も試合を見に行っているうちに、気づいたら好きになってた」
そんな話をしていると、場内アナウンスが流れた。
「まもなく試合を開始いたします」
選手たちがベンチに戻っていく。
その中で、一人だけ目を引く選手がいた。
グラウンドに響く大きな声。
仲間一人一人とグータッチを交わし、笑顔で声をかけている。
そんな彼には、自然と周りに人が集まってくるような、そんな不思議な存在感があった。
「あの人が藤原くんだよ」
隣で千尋が小さく言う。
私はまた、彼に視線を向けた。
ーーあの人が。
名前しか知らなかった同級生。
試合前だというのに、彼だけはどこか余裕のある笑顔を浮かべている。
それでいて、グラウンドへ足を踏み入れた瞬間、その表情は一変した。
さっきまでの笑顔が消え、真っ直ぐ前だけを見つめる真剣な眼差し。
その切り替えの速さに、私は思わず息を呑んだ。
「かっこいい…」
気づけば私は、小さくそう呟いていた。
「でしょ?」
千尋がどこか嬉しそうに笑う。
「藤原くんって、プレーもすごいんだよ。守備も打撃もチームの中心って感じ」
「そうなんだ…」
返事はしたものの、私の視線はずっと藤原くんに向いたままだった。
周りの選手たちと笑い合っていたかと思えば、監督の話が始まると誰よりも真剣な表情になる。
その横顔からは、さっきまでの柔らかい雰囲気は消えていた。
「花奈、もうすぐ始まるよ」
紬の声で我に帰る。
気づけば選手たちが整列し挨拶が終わったところだった。
「あ、ごめん」
試合が始まれば暇になるので、試合を見てていいと先生から言われたため、私たち五人は空いていた席に腰を下ろす。
その時ちょうど、後攻である私たちの学校の選手たちが守備につき、選手紹介のアナウンスが始まった。
順番に一人ずつ呼ばれていく。
「背番号三番、ファースト、藤原くん」
その名前が読み上げられると、観客席から一際大きな拍手が起こった。
ファースト。
守備が上手いのかな。
そんなことを思った瞬間、プレイボールのサイレンが球場に響いた。
初回。
相手打線を三者凡退に抑え、私たちの高校である蒼陵学院の攻撃が始まる。
一番打者はアウトになってしまったものの、二番、三番が続けて塁に出ると、球場の雰囲気が一気に変わった気がした。
次に打席に立つのは、藤原くん。
四番。
期待されてるんだ。
「藤原いけー!」
ベンチから大きな声が飛ぶ。
観客席からも自然と拍手が起こる。
打席へ向かう藤原くんは、さっきまで仲間と笑い合っていた人とは別人のようだった。
ゆっくりとバッターボックスへ入り、バットを構える。
無駄な動きが一つもない。
お父さんと何度も野球を見てきた私は、構えを見ただけでなんとなく感じた。
ーーこの人、きっと打つ。
バットの構えに迷いがない。
お父さんが「打てる選手は構えを見れば分かることがある」と言っていた。
初球。
鋭いスイングとともに、乾いた金属音が球場中に響き渡る。
打球は三遊間をあっという間に抜けて行った。
「行け行け!」
ベンチからの声に背中を押されるように、一塁ランナーと二塁ランナーが次々とホームへ生還する。
藤原くん自身も迷うことなく二塁へ滑り込み、判定はセーフ。
一打で二点。
球場は大きな歓声に包まれた。
それでも藤原くんは大きく喜ぶことなく、小さく拳を握ると、すぐに五番打者へ視線を向ける。
その姿が、不思議なくらいかっこよく見えた。
続く五番打者の送りバント成功で藤原くんは三塁へ。
次の六番打者がセンター前へ打球を運ぶと、三塁からスタートを切った藤原くんは軽快な走りでホームベースを踏んだ。
蒼陵学院に三点目が入り、ベンチに戻ってくる藤原くんを、仲間たちが笑顔で迎える。
仲間たちとハイタッチを交わしている藤原くんの表情は、さっきとは比べ物にならないくらい明るくて、生き生きとしていた。
それでも、すぐにベンチの最前列へと向かう藤原くん。
次の打者へ視線を向け、手を叩きながら声援を送っている。
自分の打席が終わった後も、もう次のプレーのことしか考えていない。
そんな姿に、私はまた目を奪われる。
仲間と喜び合う姿も、次の打者を誰よりも大きな声で応援する姿も、その一つ一つが、私の目には眩しく映った。
そしてその後も試合は、蒼陵学院のペースで進んでいった。
先発投手は安定した投球を続け、野手陣の守備も安定している。
攻撃では打線がつながり、追加点を重ねていった。
藤原くんも二打席目、三打席目と安定して出塁し、何度もチャンスを広げている。
派手にホームランを打つわけではない。
それでも、チームの流れを掴む場面には、いつだって藤原くんがいた。
「やっぱりすごいね、藤原くん」
思わず口にすると、
「そーなんだよ」
隣で千尋が得意そうに笑う。
「一年生の頃から試合に出てるしね。
今年のチームの中心は、絶対藤原くんだよ」
私は小さく頷いた。
ただ打つだけじゃない。
守備でも、走塁でも、仲間への声掛けでも。
一つ一つのプレーに、一切無駄がない。
いつの間にか私は、ずっと藤原くんを見つめていた。
「花奈?」
「え?
どうしたの?」
「いや、さっきから藤原くんばっかり見てるからさ笑」
紬にそう言われ、思わず肩が跳ねる。
「そ、そんなことないよ」
慌てて否定したものの、自分でも分かっていた。
何度も目で追ってしまっていることを。
試合はそのまま蒼陵学院が点差を広げ、十一対0のコールドで勝利を収めた。
最後の打者を打ち取り、ゲームセットの瞬間。
選手たちの笑顔が溢れ、勝利した喜びを分かち合っている。
その輪の中心には、やっぱり藤原くんがいた。
私はその光景を、ただ静かに見つめていた。
少し肌寒い朝。
集合時間より少し早く球場へ着くと、すでに野球部員たちは準備を始めていた。
荷物を運んだり、ストレッチをしたり、それぞれが自分の役割をこなし、試合に向けて動き出している。
「みんな朝から元気だねー」
紬が感心したように言う。
「試合当日だし、元気出していかないと」
「そうだね!」
紬と話しながらも私は、野球部員たちの動きを目で追っていた。
父の影響で、小さい頃から野球はよく見てきた。
それに父は、試合前のアップから見るのが好きだから、試合だけじゃなく、試合前の雰囲気も少しだけ知っている。
この少し張り詰めた空気も。
仲間同士で交わす何気ない声掛けも。
「小宮さんたち、ちょっといい?」
先生に呼ばれ、私は受付の方へ向かう。
今日の仕事は、チケット販売と球場の案内。
夏にも経験した仕事だったから、やり方は分かっている。
「よし、頑張ろう」
そう小さく呟き持ち場についた私は、この日が特別な一日になるなんて、まだ知らなかった。
受付が始まると、次々と観客が球場を訪れた。
「おはようございます」
「チケット一枚お願いします」
「ありがとうございます」
夏に一度経験したこともあり、仕事は順調に進んでいった。
しばらくすると、観客席は少しずつ埋まっていく。
地元のお年寄りや、父親に手を引かれた小さな子供たち。
学校の生徒や野球部員のお母さんやお父さん。
色々な人がそれぞれの思いを胸に球場へ足を運んでいるんだろう。
「花奈、こっちお願い!」
陽菜に呼ばれ、私は入り口付近の案内を手伝う。
仕事に追われているうちに、気づけば試合開始まであと数十分ほどになっていた。
「少し落ち着いたね」
陽菜が伸びをしながら言う。
「うん。もうそろそろ試合開始だもんね」
私はそう答えながら、何気なくグラウンドへ目を向けた。
選手たちがシートノックを始めていて、乾いた打球音が球場に響いている。
父と野球を見にいくたび、私はこの時間が好きだった。
試合前の緊張感。
選手たちの真剣な表情。
試合はまだ始まっていないのに、その空気だけで胸が高鳴る。
「花奈って、やっぱり野球好きだよね」
隣にいた真帆が笑う。
「うん。お父さんと何度も試合を見に行っているうちに、気づいたら好きになってた」
そんな話をしていると、場内アナウンスが流れた。
「まもなく試合を開始いたします」
選手たちがベンチに戻っていく。
その中で、一人だけ目を引く選手がいた。
グラウンドに響く大きな声。
仲間一人一人とグータッチを交わし、笑顔で声をかけている。
そんな彼には、自然と周りに人が集まってくるような、そんな不思議な存在感があった。
「あの人が藤原くんだよ」
隣で千尋が小さく言う。
私はまた、彼に視線を向けた。
ーーあの人が。
名前しか知らなかった同級生。
試合前だというのに、彼だけはどこか余裕のある笑顔を浮かべている。
それでいて、グラウンドへ足を踏み入れた瞬間、その表情は一変した。
さっきまでの笑顔が消え、真っ直ぐ前だけを見つめる真剣な眼差し。
その切り替えの速さに、私は思わず息を呑んだ。
「かっこいい…」
気づけば私は、小さくそう呟いていた。
「でしょ?」
千尋がどこか嬉しそうに笑う。
「藤原くんって、プレーもすごいんだよ。守備も打撃もチームの中心って感じ」
「そうなんだ…」
返事はしたものの、私の視線はずっと藤原くんに向いたままだった。
周りの選手たちと笑い合っていたかと思えば、監督の話が始まると誰よりも真剣な表情になる。
その横顔からは、さっきまでの柔らかい雰囲気は消えていた。
「花奈、もうすぐ始まるよ」
紬の声で我に帰る。
気づけば選手たちが整列し挨拶が終わったところだった。
「あ、ごめん」
試合が始まれば暇になるので、試合を見てていいと先生から言われたため、私たち五人は空いていた席に腰を下ろす。
その時ちょうど、後攻である私たちの学校の選手たちが守備につき、選手紹介のアナウンスが始まった。
順番に一人ずつ呼ばれていく。
「背番号三番、ファースト、藤原くん」
その名前が読み上げられると、観客席から一際大きな拍手が起こった。
ファースト。
守備が上手いのかな。
そんなことを思った瞬間、プレイボールのサイレンが球場に響いた。
初回。
相手打線を三者凡退に抑え、私たちの高校である蒼陵学院の攻撃が始まる。
一番打者はアウトになってしまったものの、二番、三番が続けて塁に出ると、球場の雰囲気が一気に変わった気がした。
次に打席に立つのは、藤原くん。
四番。
期待されてるんだ。
「藤原いけー!」
ベンチから大きな声が飛ぶ。
観客席からも自然と拍手が起こる。
打席へ向かう藤原くんは、さっきまで仲間と笑い合っていた人とは別人のようだった。
ゆっくりとバッターボックスへ入り、バットを構える。
無駄な動きが一つもない。
お父さんと何度も野球を見てきた私は、構えを見ただけでなんとなく感じた。
ーーこの人、きっと打つ。
バットの構えに迷いがない。
お父さんが「打てる選手は構えを見れば分かることがある」と言っていた。
初球。
鋭いスイングとともに、乾いた金属音が球場中に響き渡る。
打球は三遊間をあっという間に抜けて行った。
「行け行け!」
ベンチからの声に背中を押されるように、一塁ランナーと二塁ランナーが次々とホームへ生還する。
藤原くん自身も迷うことなく二塁へ滑り込み、判定はセーフ。
一打で二点。
球場は大きな歓声に包まれた。
それでも藤原くんは大きく喜ぶことなく、小さく拳を握ると、すぐに五番打者へ視線を向ける。
その姿が、不思議なくらいかっこよく見えた。
続く五番打者の送りバント成功で藤原くんは三塁へ。
次の六番打者がセンター前へ打球を運ぶと、三塁からスタートを切った藤原くんは軽快な走りでホームベースを踏んだ。
蒼陵学院に三点目が入り、ベンチに戻ってくる藤原くんを、仲間たちが笑顔で迎える。
仲間たちとハイタッチを交わしている藤原くんの表情は、さっきとは比べ物にならないくらい明るくて、生き生きとしていた。
それでも、すぐにベンチの最前列へと向かう藤原くん。
次の打者へ視線を向け、手を叩きながら声援を送っている。
自分の打席が終わった後も、もう次のプレーのことしか考えていない。
そんな姿に、私はまた目を奪われる。
仲間と喜び合う姿も、次の打者を誰よりも大きな声で応援する姿も、その一つ一つが、私の目には眩しく映った。
そしてその後も試合は、蒼陵学院のペースで進んでいった。
先発投手は安定した投球を続け、野手陣の守備も安定している。
攻撃では打線がつながり、追加点を重ねていった。
藤原くんも二打席目、三打席目と安定して出塁し、何度もチャンスを広げている。
派手にホームランを打つわけではない。
それでも、チームの流れを掴む場面には、いつだって藤原くんがいた。
「やっぱりすごいね、藤原くん」
思わず口にすると、
「そーなんだよ」
隣で千尋が得意そうに笑う。
「一年生の頃から試合に出てるしね。
今年のチームの中心は、絶対藤原くんだよ」
私は小さく頷いた。
ただ打つだけじゃない。
守備でも、走塁でも、仲間への声掛けでも。
一つ一つのプレーに、一切無駄がない。
いつの間にか私は、ずっと藤原くんを見つめていた。
「花奈?」
「え?
どうしたの?」
「いや、さっきから藤原くんばっかり見てるからさ笑」
紬にそう言われ、思わず肩が跳ねる。
「そ、そんなことないよ」
慌てて否定したものの、自分でも分かっていた。
何度も目で追ってしまっていることを。
試合はそのまま蒼陵学院が点差を広げ、十一対0のコールドで勝利を収めた。
最後の打者を打ち取り、ゲームセットの瞬間。
選手たちの笑顔が溢れ、勝利した喜びを分かち合っている。
その輪の中心には、やっぱり藤原くんがいた。
私はその光景を、ただ静かに見つめていた。



