中学二年最後の席替えで、あたしは隣の席の彼に恋をした。
積極的になれないあたしは、いつもただ見ているだけ。
それだけだった。
シャツは第一ボタンまでしっかり止まっていて、きっちりとネクタイが締められている。真面目な印象の彼の姿勢は、背筋が丸くなることを知らないようにいつでもまっすぐに伸びていた。
授業中でも、休み時間でも、友達と話している時だって、彼は真っ直ぐにどんな事にも真剣に向き合っているように見えた。
隣の席のあたしにだって、もちろん同じこと。
あたしが教科書を忘れたことに気がつけば、何も言わないあたしにそっと「どうぞ」と言って見せてくれた。
授業中に先生に当てられて困っていると、ノートの端っこに書いた答えを指さして、なんでもないような顔をして教えてくれた。
彼の度重なる優しさに、あたしはいつもちゃんとお礼も言えずに照れ笑いをするだけだった。
そんなある日、あたしが消しゴムを探していると、すぐに気が付いて「これ、使って良いよ」と貸してくれた。
唯一の共通点を知ったのは、彼がペンケースから取り出した新しい消しゴムを見た瞬間だった。
あたしの大好きなゆるキャラのイラストが描かれている真新しい消しゴム。見た途端に、目が離せなくなった。
彼が笑いながら「もしかして……このキャラ好き?」って気が付く。無言で頷くだけのあたしを見て、初めて笑顔を向けてくれた。
胸の中が弾けるように、ポンっと跳ねて熱くなった。
このことがきっかけで、少しずつ、本当に些細なことだけど、彼とは会話が出来るようになった。
彼はあたしのことを、どう思っているんだろうって、毎日毎日、気になって仕方がなくなる。
席が隣同士で回ってくるのは日直当番。
授業の終わった黒板を、彼は綺麗に消していた。その横で、あたしは先生に提出するノートの山をきちんと揃える。
出し忘れている人がいるかもしれない。ノートの山がいつもよりも低い気がする。みんなが提出しないでそのまま教室を出て行ってしまったら、後から未提出の人に声をかけて提出してもらわなくちゃいけない。
そんな面倒なことは出来ることならしたくないし、あたしにはみんなに声をかける勇気がない。
「眉間に、皺」
「え」
びっくりして横を向くと、黒板消しを持ったままの彼が、あたしを見て一言。
「足りないの?」
ノートへ視線が落ちて、あたしは頷いた。
「数学のノート提出してから帰ってねー! 担任に居残りさせられるよー」
教室に向かって、彼が声を発する。
ざわついていたクラスメイトたちが、一瞬静寂に包まれた。
そして、すぐにあたしの前にはどんどんノートが積み重なっていく。
「全部揃ったでしょ?」
最後に自分のノートを差し出してくれた彼が、自信ありげな表情で悪戯に笑った。
あたしは、嬉しくて何度も頷くしかない。
「半分持つよ」
半分と言いながらも、あたしよりも多めにノートを手に取ると、彼は廊下へと向かう。あたしは慌てて追いかけた。
すぐ後ろまで来て、彼の背中を見つめてから、俯いてしまう。
また、「ありがとう」って言いそびれた。
職員室から出ると、彼は困ったように眉を下げてあたしを見た。
「これからはさ、ちゃんと言いたいこと言った方がいいよ」
引っ込み思案なあたしには、痛いくらいに刺さる言葉。言われなくても、そう出来るならしたい。なんて、心の中で思ってみたって、あたしはただ困ったように笑うことしか出来なかった。
学年が変わる。クラスも変わってしまうかもしれない。隣の席の彼とも、お別れ。
春を感じさせる陽気な風は、もう五月上旬の気温を運んでいるらしい。
季節を先取った桜がもう満開だ。だけど、晴天の澄み渡る青空とは裏腹に、あたしの心は暗雲をつれてくる。
片想い。
せっかく隣の席になれたのに。
もっと話せばよかった。
もっと笑えばよかった。
ちゃんと「ありがとう」って言えたら良かった。
後悔ばかりが沸き起こってくる。
隣にいたのに。
少しだけだけど話せるようになったのに。
あたしは彼の何も知らなかった。
学年が上がるよりもずっと早く、学校自慢の満開の桜を見ないままに、彼は転校して行ってしまった。
こんなに綺麗で儚い桜。風が強く吹くと、咲き誇っていた花びらをひらり、またひらりと舞い踊らせる。
誰もいない春休み中の教室。
二人で並んだ机。そっと椅子を引いて、彼の席に座った。
真っ直ぐに、背筋を伸ばす。彼が見ていた景色を、眺めてみる。
隣に座っていたあたしは、思ったよりも視界には入らなかったのかもしれない。
結局、あたしは彼に何も言えなかった。
いつも一歩踏み出す勇気のないあたしに、声をかけてくれた彼。
好きになって良かった。
気持ちは伝えられなかったけれど、「ありがとう」も言えなかったけど。
立ち上がって、ふと、机の中へ手を入れた。
コツンと指に何かが触れて、取り出す。
消しゴムだ。
一回だけ使った形跡のある角を見て、白い面にはみ出ている黒が気になって、カバーをそっと外した。
ーー頑張れーー
彼の綺麗な字で書かれた一言に、込み上げてくる涙を拭った。
「うん……頑張る……頑張るから」
握りしめた消しゴムを、あたしはずっとずっと大事にしまっておくと決めた。
伝えられなかった気持ちと、最後に勇気を伝えてくれた彼。
真っ直ぐに前を向いて、今度は自分から、ちゃんと言えるように。
前を向いていく。
積極的になれないあたしは、いつもただ見ているだけ。
それだけだった。
シャツは第一ボタンまでしっかり止まっていて、きっちりとネクタイが締められている。真面目な印象の彼の姿勢は、背筋が丸くなることを知らないようにいつでもまっすぐに伸びていた。
授業中でも、休み時間でも、友達と話している時だって、彼は真っ直ぐにどんな事にも真剣に向き合っているように見えた。
隣の席のあたしにだって、もちろん同じこと。
あたしが教科書を忘れたことに気がつけば、何も言わないあたしにそっと「どうぞ」と言って見せてくれた。
授業中に先生に当てられて困っていると、ノートの端っこに書いた答えを指さして、なんでもないような顔をして教えてくれた。
彼の度重なる優しさに、あたしはいつもちゃんとお礼も言えずに照れ笑いをするだけだった。
そんなある日、あたしが消しゴムを探していると、すぐに気が付いて「これ、使って良いよ」と貸してくれた。
唯一の共通点を知ったのは、彼がペンケースから取り出した新しい消しゴムを見た瞬間だった。
あたしの大好きなゆるキャラのイラストが描かれている真新しい消しゴム。見た途端に、目が離せなくなった。
彼が笑いながら「もしかして……このキャラ好き?」って気が付く。無言で頷くだけのあたしを見て、初めて笑顔を向けてくれた。
胸の中が弾けるように、ポンっと跳ねて熱くなった。
このことがきっかけで、少しずつ、本当に些細なことだけど、彼とは会話が出来るようになった。
彼はあたしのことを、どう思っているんだろうって、毎日毎日、気になって仕方がなくなる。
席が隣同士で回ってくるのは日直当番。
授業の終わった黒板を、彼は綺麗に消していた。その横で、あたしは先生に提出するノートの山をきちんと揃える。
出し忘れている人がいるかもしれない。ノートの山がいつもよりも低い気がする。みんなが提出しないでそのまま教室を出て行ってしまったら、後から未提出の人に声をかけて提出してもらわなくちゃいけない。
そんな面倒なことは出来ることならしたくないし、あたしにはみんなに声をかける勇気がない。
「眉間に、皺」
「え」
びっくりして横を向くと、黒板消しを持ったままの彼が、あたしを見て一言。
「足りないの?」
ノートへ視線が落ちて、あたしは頷いた。
「数学のノート提出してから帰ってねー! 担任に居残りさせられるよー」
教室に向かって、彼が声を発する。
ざわついていたクラスメイトたちが、一瞬静寂に包まれた。
そして、すぐにあたしの前にはどんどんノートが積み重なっていく。
「全部揃ったでしょ?」
最後に自分のノートを差し出してくれた彼が、自信ありげな表情で悪戯に笑った。
あたしは、嬉しくて何度も頷くしかない。
「半分持つよ」
半分と言いながらも、あたしよりも多めにノートを手に取ると、彼は廊下へと向かう。あたしは慌てて追いかけた。
すぐ後ろまで来て、彼の背中を見つめてから、俯いてしまう。
また、「ありがとう」って言いそびれた。
職員室から出ると、彼は困ったように眉を下げてあたしを見た。
「これからはさ、ちゃんと言いたいこと言った方がいいよ」
引っ込み思案なあたしには、痛いくらいに刺さる言葉。言われなくても、そう出来るならしたい。なんて、心の中で思ってみたって、あたしはただ困ったように笑うことしか出来なかった。
学年が変わる。クラスも変わってしまうかもしれない。隣の席の彼とも、お別れ。
春を感じさせる陽気な風は、もう五月上旬の気温を運んでいるらしい。
季節を先取った桜がもう満開だ。だけど、晴天の澄み渡る青空とは裏腹に、あたしの心は暗雲をつれてくる。
片想い。
せっかく隣の席になれたのに。
もっと話せばよかった。
もっと笑えばよかった。
ちゃんと「ありがとう」って言えたら良かった。
後悔ばかりが沸き起こってくる。
隣にいたのに。
少しだけだけど話せるようになったのに。
あたしは彼の何も知らなかった。
学年が上がるよりもずっと早く、学校自慢の満開の桜を見ないままに、彼は転校して行ってしまった。
こんなに綺麗で儚い桜。風が強く吹くと、咲き誇っていた花びらをひらり、またひらりと舞い踊らせる。
誰もいない春休み中の教室。
二人で並んだ机。そっと椅子を引いて、彼の席に座った。
真っ直ぐに、背筋を伸ばす。彼が見ていた景色を、眺めてみる。
隣に座っていたあたしは、思ったよりも視界には入らなかったのかもしれない。
結局、あたしは彼に何も言えなかった。
いつも一歩踏み出す勇気のないあたしに、声をかけてくれた彼。
好きになって良かった。
気持ちは伝えられなかったけれど、「ありがとう」も言えなかったけど。
立ち上がって、ふと、机の中へ手を入れた。
コツンと指に何かが触れて、取り出す。
消しゴムだ。
一回だけ使った形跡のある角を見て、白い面にはみ出ている黒が気になって、カバーをそっと外した。
ーー頑張れーー
彼の綺麗な字で書かれた一言に、込み上げてくる涙を拭った。
「うん……頑張る……頑張るから」
握りしめた消しゴムを、あたしはずっとずっと大事にしまっておくと決めた。
伝えられなかった気持ちと、最後に勇気を伝えてくれた彼。
真っ直ぐに前を向いて、今度は自分から、ちゃんと言えるように。
前を向いていく。



