記憶の中のあなたと、記憶喪失のあなた

 気色ばんだまま体育を受ける。
 授業の内容は陸上だ。
 短距離なのは、たぶん運動会を念頭に入れてのことだろう。
 柔軟をしてから記録に臨む。

「1回目は本気で走るな。(もも)を上げることを意識して、7割くらいの力で流せ」

 教師の説明が耳から抜けていく。
 さっき男子に言われた言葉のせいで、気が散ってしょうがない。わたしは全然競技に集中できなかった。

 最初から全力。
 フライング気味に走りだす。
 自分でも足が空回りしているような感覚があった。
 まずいなとは思ったんだけれど、気がついたときには手遅れだった。

「あっ!」

 体が前につんのめる。
 自重を支えられなくて、わたしは手からグラウンドに突っこんでいた。

()たたた……」

 ドサっとか、ズサっといった盛大な効果音が鳴った気がしたが、手の怪我(けが)はそうでもない。
 血はほとんど出ていないので、傷口を洗って砂を取り出すという、あの悲惨な作業をしなくてもよさそうだった。

「うっちゃん! 大丈夫?」

 すぐに友達の女生徒が駆けつけてくれる。

「あっ、うん。平気」

 立ちあがろうとして足に力を入れたとき、体中を鈍痛がめぐった。
 ズキンズキン。
 左足をくじいたのだ。
 中途半端な姿勢のまま、わたしは硬直していた。
 これはやっちゃったかもしれない。
 不自然さはすぐに友人にも伝わった。視線を上げずとも、右往左往している気配を感じる。

「えっと、どうしたらいいんだろう。とりあえず、保健室に行こうよ。先生!」

 呼びかければ、ようやく教師もわたしが転んだことを理解したらしい。

「女子の保健委員……は江幡(えばた)か。男子の――」
「俺が行きますよ。元、保健委員なんで」

 言いおえるよりも早く、わたしに肩を貸してくれる人がいた。
 海斗(かいと)くんだった。

御園生(みそのう)か、任せたぞ」

 海斗(かいと)くんがうなずいたのがわかる。
 背中に回した手に力を入れて、わたしは片足で起きた。

「あ、ありがとう」

 昔は立場が逆だった。
 保健委員なのに、一番多く怪我(けが)をするのが海斗(かいと)くんで、よく笑いながら彼を保健室に連れていったものだ。

「気にしないで。俺も以前はよく派手に転んでいたらしいから」

 海斗(かいと)くんが平然と話す。
 思わず視線を上げれば、きりっとした横顔が見えた。
 その表情があまりにも真剣で、わたしは何も言えなくなってしまう。ふざけた様子なんてどこにもない。本当にわたしのことを心配しているのだと、いやでも理解してしまった。

 今の海斗(かいと)くんは、海斗(かいと)くんだけど海斗(かいと)くんじゃない。
 わかっているのに、心臓が痛いくらいに脈打った。