記憶の中のあなたと、記憶喪失のあなた

「ごめんなさいね、江幡(えばた)さん」
「いえ、好きで選んだので」

 委員の仕事はなんでもない。配布するプリントを預かることと、運動会の練習をするにあたっての注意事項の確認だった。

 波中(なみちゅう)の運動会は6月の初めにある。
 もうそんなに時間は残っていないので、そろそろ練習がはじまるころだろう。
 チャイムが鳴る。
 最初のは予鈴なので問題ない。わたしは余裕を持って着席した。
 ホームルームの時間に保健だよりを配ると、担任の先生が神妙な顔でわたしたちに向きあった。

「喜べ、君たち。今日は転校生を紹介するぞ」

 注目を集めるような言い方をしなくてもいいのに……。
 わたしは不満を覚えたんだけれど、あとになってから、これは先生なりの気づかいであると理解した。だって、わたしたちからすれば昔のクラスメイトが戻って来るようなものだったから。

 扉が開く。

「えっ!? 海斗(かいと)じゃん! マジかよ!」

 クラスでもひときわ大きな声を出す男子が騒いだ。
 笑いながらも注意して、先生は紹介をつづけた。

「ほら、そこ! 大人しくしていろ。一木(いつき)小学校の生徒なら知っているな? 御園生(みそのう)くんだ。県外の中学校に通っていたんだが、頭の大けがをしてしまって、ちょっと記憶を失くしている部分が多い」

 説明が進むにしたがって、クラスの喧騒があからさまに弱くなっていく。
 気まずい空気になる前に口を挟んだのは、やっぱり最初に声を出した男子だった。

「マジで!? 俺のことも覚えてねえの?」

 さらっとこういうことをやってのける点だけは、わたしもこいつを尊敬していた。あとはうるさいだけで、海斗(かいと)くんとは全然違う。

 あいまいにうなずく海斗(かいと)くんを見て、男子は大げさに頭を抱えた。表情に悲しさは一切見られないので、実際にショックを受けているわけじゃない。あんなふうにわたしも能天気に残念がれたら、どれほど楽だっただろうか。

「不便なこともあるだろうから、みんなも助けてやってくれ。もちろん、御園生(みそのう)くんも遠慮せずに先生を含めて、色んな人を頼りなさい。以上だ」

 ホームルームがおわると、一斉に海斗(かいと)くんのもとに人が集まった。わたしはどこか冷ややかな気持ちで、みんなを見つめる。

「住んでいるのって一木(いつき)町?」
「前とそんなに変わっていないらしいよ」
「今度、遊びに行っていいか?」
「落ち着くまで待ってほしいかも」
「何はともあれ、運動会前でよかったな! いっしょに新しい思い出を作ろうぜ」

 心がささくれ立っている。
 男子は本当に楽観的だ。
 海斗(かいと)くんが昔の記憶を取り戻せばいいだけじゃないか。
 そのほうがいいに決まっている。
 わたしがむっとしていれば、男子が気安く声をかけていた。

「うっちゃんもなんかねえの? お前が一番海斗(かいと)と親しかったじゃん」

 うっちゃんはわたしのあだ名だ。

「親しくなんかない!」

 わたしは不機嫌さを隠さなかった。

「あれ……? そうだっけ」

 人の気も知らないで、無遠慮に話を振るこいつが腹立たしかったんだ。
 体育の準備をするため、わたしは怒りながら更衣室へと向かった。