不器用な彼女

朝起きると全身がなんだか軽かった。不思議な感覚に襲われた。
病院と家とではこんなにも居心地が違うものなのかと感心した。
いや、違うな。きっと一弥と細川さんと話して
心が軽くなったのだろう。いつもはけたたましい目覚まし時計の音で
不愉快に起こされる朝も、今朝はどこか清々しく起きることができた。
苦労して一階まで降りると、いつも通り母親はお弁当をつくり
父親はコーヒーを片手に新聞を読み、優雅な朝を過ごしていた。
「おはよう」自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
わあっとびっくりしながら目を見開き母がこちらに近づいてきた。
「今日は随分と早いのね」
壁に掛けてある時計をみてみると、いつも起きる時間より
一時間も早く起きていたものだから、
母親も父親も驚きを隠せない様子だった。
そういえば目覚まし時計の音は聞いていないし、もちろん止めた記憶もなかった。
せっかく苦労して一階まで降りたものの、朝食の準備がまだ
できていないとのことなので、洗面所へ行き顔を洗い二階へ戻った。
スマホをみてみると、一弥からメッセージが来ていた。
僕のことを心配してくれたらしく、校門から教室までは肩を貸して
あげると提案されたが、松葉杖さえあれば時間はかかるものの
歩くことはできるので丁重に断ったが、
二週間も学校を休んでいたし、その理由が交通事故とあっては
嫌でもクラスメイトから質問攻めをされると思ったので、
隣にはいてくれと気恥ずかしいお願いをしておいた。
制服に袖を通すのも久しぶりだなーと感慨深くなったものの、
まだまだ全身打撲の痛みは引いていないので、
軽い悲鳴をあげながらなんとか制服に着替えることができた。
季節的にまだブレザーがなくてよかったが、少し涼しくなってきたので、
カーディガンだけは羽織っておいた。
一階に降り、母が作ってくれた朝食を、ありがたくいただく。
その後父と一緒にニュースを眺めていると、占いのコーナーに変わった。
そろそろ行かないとなと思ってると、丁度母が
「そろそろ行くわよ」と声をかけてきたので、玄関を出て車に乗り込んだ。
車では三十分程で着くが、担任の先生から少し早く来て職員室へ寄るようにと
言われていたので、今日だけは少し早めに家を出る。
いつも僕が自転車で走る道ではなく、国道の大通りを進んでいく。
朝の通勤通学の時間通り言うこともあり、道はかなり混んでいたおり、
予定より少し遅れて校門の前に車が止まった。
学校に到着すると、校門前には約束通り一弥が待っていてくれた。
「おばさんおはようございます。昨日はごちそうさまでした」
「いいえ、じゃあ後はよろしくね」
母親は僕を一弥に預けるなり、すぐに車で走り去っていった。
母親も朝の忙しい時間に僕の送り迎えなんてするもんだから、
家での家事を途中できり上げてきている。ありがとうと心の中で念じ、体を反転させて
学校を見渡した。どこか懐かしい気分に⋯なるかと思っていたが、特に何も感じなかった。
「じゃあ行くか」
一弥が僕の背中をバシッと叩いた。痛っと一弥に向けて鋭い眼差しを送ったが、
彼はゲラゲラ笑いながら、先を歩いて行ってしまった。
松葉杖での生活は慣れてきたので、普段よりかは遅いものの
格段に早く歩けるようにはなった。流石に階段ではピョンピョンとはねて登らなければ
いけないため、時間はかかるが、それ以外は一弥のペースで隣を歩けた。
昇降口で上履きに履き替えて、まずは職員室を目指す。
昇降口から職員室はそこまで遠くはないが心配をした一弥もついてきてくれた。
ノックをし、職員室に入る。担任の机は入り口のすぐ近くにあるのですぐに担任は見つかった。
「おはようございます」
「おお、渡辺くん。大丈夫かね?」
「体育はできないです。後はとりあえず大丈夫かと思います」
「そんなことは見ればわかる。体育の先生にはもう事情を伝えてあるから
体育の時間は教室で自習をしていなさい。それよりも、事故にあったんだ
精神的には大丈夫か?顔色はいいようだが」
「二週間も入院してたんです。気持ちも落ち着いてます。」
「そうか。何かあればすぐに伝えるように、それとお前が色々面倒見てやってくれ」
担任が一弥の方を向いて話した。
「大丈夫。そうするつもりだからさ」
「はい。じゃあくれぐれも気をつけて教室に行くように」
そこまで言うと、担任は机に向かい書類をペラペラとめくり出す。
失礼しました。と二人で声をかけ職員室を後にする。
先生にも心配かけたんだなと申し訳ない気持ちと
そんなことを言うためにわざわざ職員室に寄らせるなよという
苛立ちがぐちゃぐちゃになりながら、なんとか階段を登り
三階までやってくることができた。
教室の前で深呼吸をし、教室にはいると
「なべ復活しましたー」と一弥が大きな声を教室中に轟かせた。
まるで号令かのようなその掛け声に、既に教室にいたクラスメイトが
一斉に僕のことを見てきた。
なんで目立つようなことするんだよバカ。と心の中でつぶやきながら
「ご心配おかけしました」と一礼すると
僕の復活に、主に固く重い足の装備品であるギプスにクラスメイトの
何人かがニコニコしながら近づいてきた。
いたそーとか、大丈夫かーとか心配の声に対しては丁寧に答えるが
一部の人間は心配そっちのけで、これって落書きしていいの?とか
触ってもいいか?とか、とんでもないことを言ってるやつもいた。
足はお風呂に浸かれてないから、すっごい臭いよ。と警告を出しておいた。
昼休みになると、クラスメイトだけではなく、他のクラスの生徒も
僕の骨折を一目見ようと集まってきた。
予想はしていたが、僕のギプスは寄せ書き状態となってしまった。
ほんとなら一番に理沙が何かを書いていただろうかと
自分で自分をナーバスにさせる想像までしてしまった。
しかし、クラスメイトの愛のあるいじりに精神状態をなんとか
明るくとどめることができた。
放課後になると、母親が迎えに来てくれていた。一弥が色々と気を使って
面倒をみてくれたが、放課後になると、じゃーな〜とそそくさと帰ってしまった。
ありがとうと言いながら車に乗り込むと、
「何よそれ」と悲鳴に近い叫び声が聞こえた。
僕の寄せ書き状態になった足を指さしている。
「いや、抵抗はしたんだけど⋯」
「それ、今度切るのよ?それともずっとつけとく?」
「切ります。不便すぎるし」
さっき悲鳴をあげていたのに、母親はもうゲラゲラと笑っていた。

怪我というのは厄介なもので、僕がいくら努力したところで
早く治るというものでもなかった。
退院してから二週間。ほぼほぼ予定通りに僕の骨は完治した。
病院でギプスを外してもらうときはすごく緊張した。
足にぴったりとくっついたギプスをあろうことか、電動ノコギリで
切断するというのだ。
医療用のノコギリだから肌は傷つけないよと説明は受けたが、
頭はそれを理解してくれない。
大丈夫です。と元気に返事はしたものの、手はわずかに震えていた。
切っている最中は何とも言えない匂いが鼻をくすぐる。
病院特有の匂いではなく、これが石膏の匂いなのだろうかと考えていた。
もちろん切るところは目視していなかった。切断自体はものの一分程で終了し、
明らかに僕の足の匂いだろうという、酸っぱい匂いが部屋に漂った。
僕の足はこんなに臭いのか、いやいや、一ヶ月もお湯にも水にもつけていないんだ
それはそうかと思いながらも医者に看護師、母親と大人が三人もいるなかで
この匂いを充満させているのはかなり恥ずかしかった。
「あら、くっさいわね」母親が笑いながら指摘する。
「骨折なさった方は必ず通る道ですよ」と医者が苦笑いしていたが、
実の母親が笑い話にしてくれたおかげで、部屋に充満していた
気まずさの空気はどこかへ飛んでいってしまった。
「もうお風呂に入っても構いませんが、リハビリは必要なので無理はしないように」
と医者に釘を差された。久々に解放された僕の足はかなり臭いけど、
いつもより何倍も軽く感じた。
人間の退化とは恐ろしいもので、一ヶ月ギプス生活をしていただけで、
僕の足は歩き方を忘れたかのように、まるで力の入れ方がわからなかった。
しばらくはまだ松葉杖が必要かもとそっとため息をついた。
「ギプスのこれはクラスメイトの寄せ書きかな?」
真っ二つに割れたギプスを指さし先生が聞いてきた。
「そうです。止めたんですけど、止まらなくって」
「まあ、学生ですし。治療には関係ないので構いませんよ。これ持ち帰ります?」
「い、いえ、結構です」
寄せ書きと化したギプスの残骸、匂いがなければ部屋にでも飾りたかったが、
さすがに僕の部屋までこの酸っぱい匂いにはしたくなかった。
その後、約二回のリハビリを経て僕の足は完治となった。

けたたましい暑さは過ぎ去り、過ごしやすい季節になってきた。
ワイシャツにネクタイのスタイルだった制服も皆ブレザーを羽織っていた。
懸命なリバビリのおかげで、僕はすっかりいつもの生活を取り戻していた。
その後事故の事は親やら、保険会社やら警察やらの大人に任せっきりにして
結局どうなったのかは僕は知らないが、そんな事は関心すらなかった。
学校では、二年生の後半に差し掛かっているので、徐々に受験モードへと
移行していた。僕も色々考えなきゃなと思っていたものの、
今は受験よりもやらなければいけないことがある。
足は完治したものの、彼女のお墓参りにはまだ行けていなかった。
行けていなかったというよりは、行く勇気がまだわかなかった。
亡くなったことを受け入れることはできたはず、しかし、
お墓を前にして感情がぐちゃぐちゃになるのも目に見えていたので、
中々重い腰が上がらずにいた。
一弥にはもう言ったのか?俺も一緒に行こうか?と心配をされたが、
これは僕一人が抱えている問題だから、一人で行くしかない。
それに、涙でぐちゃぐちゃになった顔を一弥に見られるのも気が引けた。
退院祝い以降、細川さんともよく話すようになった。
廊下ですれ違えば少し話したり、食堂で会えば一弥と三人で
ご飯を食べたりしていた。
そんな細川さんも、僕がいまだにお墓参りにいけていないことに
憤りを感じていて、僕はよく怒られた。
何度目かの説教を受けた時、細川さんは少し涙ぐみながら
「いつまで待たせるつもり?」と言っていた。それも⋯そうだな。
今度こそはとやってきた週末に重い腰を上げた。
お墓の場所は彼女の家の近くにある割と大きめなお寺にあるため、
僕は自転車にまたがってお寺を目指した。
大通り沿いに面したそのお寺に到着した頃には額に薄く汗をかいていた。
大通りに自転車を停めるわけにもいかず、近くのスーパーに停めさせて
貰うことにした。スーパーの中に入り、花や線香などを購入し、
お寺へと入っていった。
具体的なお墓の場所も細川さんのメモにはきちんと記されていたので
迷わず到着することができた。
北川家之墓
墓石はピカピカ掃除も行き届いていて、もしもの為にかばんに潜めていた
ゴミ袋と軍手は使わなくて済みそうだ。
きっと家族が頻繁にここに足を運んでいるのだろう。
墓石の前にしゃがみ込み、線香に火をつける。
手で仰ぎ火種を消すと、線香の心地よい匂いが鼻をふわりとくすぐった。
墓石の前に線香を置き手を合わせる。
「待ってたかはわからないけど、お待たせしました。理沙に会いに来たよ。
君が亡くなったと聞いたときは呼吸ができないくらい混乱したよ」
スーッと息を吸う
「理沙は内緒事がほんとに多いな。僕はまだまだ君の気持ちを理解しきれてないよ
色んな理由とかあったんだろうけど、お葬式に参加できなかったのは、正直
怒ってるよ。何してくれてんだ。でも、こうしてお墓にくることができて
本当に良かったよ」合わせている手にポツポツと温かい水が落ちてくる。
一度溢れ出た涙はこれまでの悔しさ、苦しみを一気に体外へ流そうと
とめどなく僕の瞳からこぼれ落ちる。
事故に合ったこと、細川さんとも仲良くやっていること、受験のこと、
過去に二人で過ごした時間のことなど話したいことをたくさん話した。
いつの間に涙は枯れていた。
どのくらいの時間僕は手を合わせていたんだろうか。お花を飾ろうと
立ち上がろうとしたら、足がしびれて尻もちをついてしまった。
こんなカッコ悪い姿見せたくないな、いや、彼女だったらゲラゲラ
笑ってくれるだろうな、そんなことを思っていると、
誰かが歩く気配を感じた。お墓特有の敷き詰められた石を踏む音
ジャリジャリとした音は僕の後ろで止まった。
「あなた、裕太くん?」
他のお墓に用があるんだろうなと、思っていたから

特に気にも留めていなかったのに。
その足音はどうやら僕と同じお墓に用があるようだ。
後ろを振り向くと、理沙のような大きな目をパチパチとまばたきさせた
綺麗な女性が花を持ちながら立っていた。
なんとなくわかる⋯。母親だろうな。
「はい、渡辺裕太と申します。」コクリと会釈をすると
「そっかあー。君がね。隣失礼するわね」
僕の真隣にしゃがみ込むと、僕と同じく線香に火をつけ火種を消す。
それを墓前に置き、手を合わせる。
懐かしい匂いがした、それもそのはずだ、家族なんだから洗剤とか柔軟剤とか
多分理沙と同じものを使っているだろうし。横顔をチラリにのぞくと、
目尻のシワやほうれい線などは出ているものの、理沙の顔をそのものの
ように感じた。
「理沙ー。裕太くん、残念ながら来ちゃったね」
フフっと笑いながら僕の方に顔を向けた。
「はじめまして。理沙の母親です」
「はじめまして、なんとなくそうかなって思いました⋮」
「似てるでしょ?あの子は私の若い頃そっくりなのよね。
お墓の前に知らない人いるからさ、声かけようかと思ったんだけど
すっごいぶつぶつ言ってるから、なんとなく声かけづらくて待ってた」
「え?全部聞いてたんですか?」
「うん。聞いてたっていうか、聞こえてたよ?」
アッハッハと笑いながら僕の背中をバシバシ叩いてくる。
なんというか、理沙にそっくりだな。いや、理沙がこの人に似てるのか。
「あの⋯残念ながらって?」
そう、母親が放った言葉には確かに残念ながらと言っていた。
なにがだ?
「裕太くんさ、これから時間あるかな?」
「え?あの⋯」
「色々聞きたいんでしょ?時間、あるの?」
「あります」
お寺を後にすると、理沙の母親とは別れた。
ちょっと片付けをしたいからと一時間後くらいに家に来てくれと頼まれた僕は、
自転車を停めたスーパーへと再度入り、手土産になりそうなものを探した。
サービスカウンターに行き、クッキーの詰め合わせを購入し、
スーパーに併設された喫茶店で時間をつぶすことにした。
僕は運がいいのかもしれない。これから何を聞かされるのかは
まったくわからないが、実のところお墓参りをした後に
どのみち理沙の家には行こうと思っていたからだ。
家に入ったこともないし、もちろん理沙の家族とは顔を合わせたことはない
ただ、デート終わりに何度か家の前まで送ったことがあるので、
家の場所は知っていた。アポなしで訪問すれば、それこそストーカーと
間違われても仕方がないと思っていたが、理沙の母親に会えたことで
変な誤解を生まずに済みそうだ。
喫茶店で適当に時間を潰し店を出た。自転車に跨がり理沙の家へとペダルを
漕ぎ始める。