不器用な彼女

真っ白な天井、鼻につく薬の匂い。
ここは⋯?とふと自分の体を見ると右足が吊るされている。
骨折したのだろうか、ギプスが巻かれている。
じわじわと身体が熱くなっていくのを感じる。
熱さが痛みへと変わる。痛い。全身が痛い。
自分の体を見渡すと、骨折したのは足だけなのだろうか、
ギプスはそれ以外には巻かれていなかった。
その代わり左足にも両腕にも包帯が巻かれていた。
頭にも鈍痛が走る。頭を押さえると、そこにも包帯の感覚があった。
ここは、病院か。僕は確か⋯
そうだ。彼女の家に行こうとしてたんだ。周りも見えずに何も聞こえずに
一心不乱に彼女の家へと足を動かしていたはずだ。
意識を取り戻す前の記憶を必死に思い出そうとする。
頭がずきずきと痛むのを必死にこらえ、思い出そうとする。
すると、部屋の中にいた看護師が僕の事を見てツカツカと近づいてくる。
僕が寝ているベットの枕脇に置いてあるナースコールを鳴らし、
「石田先生お願いします。意識戻りました」と短く伝え、ナースコールをまた僕の
枕脇に戻した。
「もろもろ先生から話聞いてね。体痛む?」
「ああ、えっと、かなり痛みます」
「だよね。それも先生に報告しよっか。ちょっと待っててね」
その数分後、眼鏡をかけたボサボサ頭、白衣を着崩したひと言で言えば
だらしない男性が僕のもとに歩いてきた。
「意識戻ったね。バイタルも安定している。ここがどこかわかるかい?」
「病院⋯ですよね?」喋ると胸が痛くなる、
「そのとおり。君はなんでここにいるか分かるかい?」
「いえ、僕、行かなきゃいけないとこがあって、そしたら⋯」
「災難だったね。信号無視の車にひかれたんだよ」
どうやら黄色信号から赤信号に変わったにも関わらず、
アクセルを踏み込んで無理矢理渡ろうとした矢先、車の向こうに
ぼーっとした僕がいたらしい。信号なんて全く見てなかった。
ドライバーが信号無視をしたのは明白だが、僕ももしかしたら
青になる前に道路に出ていたのかもしれない。
そんなことすら気にならないくらいあの時の僕の意識は
彼女にしか向いていなかった。
僕は車にはねられてからその勢いのまま地面に体を擦り付けたらしい。
右足の骨折は車とぶつかった時に、全身の包帯は
その後地面に体を擦り付けた際にできた擦り傷らしい、
地面にこすった際に頭も打っているらしく、意識を失っていたんだそうだ。
「君が救急搬送された後、ご両親が来てくれたんだが、命に別状はなかったし、
一度帰宅してもらってるよ。十時から面会時間になるから、すぐ来てくれると思うよ。」
「⋯わかりました」
徐々に身体の感覚が戻ってくる。動かしても動かさなくても痛いものは痛いが、
なんとか状態を起こす。
ふと周りを見渡すと僕と同じ部屋には他に五人の患者が入院しているようだ。
僕は入り口からは一番遠い窓際のベットに横になっていた。
ちょうど朝食の時間なのだろうか、僕以外の五人はプレートに置かれた朝食を
ある人は一切興味を示さず、ある人は夢中で食べ、またある人は新聞を読みながら
各々朝食の時間を過ごしていた。
僕には朝食はなかった。なぜなら痛過ぎで食べれてもんではないからだ。
この歳になって恥ずかしいが、誰かに介助してもらえないと食べれないくらい
腕が痛かった。家族が来たら家族に介助してもらいましょうと言われ、
朝食はお預けとなった。
ふと横を見ると、設置されているサイドテーブルに僕の所持品が置かれている、
はずだったが、そこにはスマホと紙切れしか置かれていなかった。
紙切れには母の字で十時頃面会に行くね。それだけだった。
この程度のことならスマホにでも送ればいいのにと思ったが、
母がわざわざメモを残したのには理由があった。
メモの横にある僕のスマホをみてみると、画面が暗くても見て取れるほど
画面がバキバキに割れてしまっていた。
電源をつけてみたが、バックライトが光っているのだけはわかるが、
画面は何も表示しない。
ため息をつきながらスマホをサイドテーブルに置くと、
やることもないので、とりあえず寝ようかなと再び枕に頭を預ける。
隣を見ると綺麗な白髪が丁寧にパーマされている顔はシワだらけだがどこか愛嬌のある
お婆さんがこちらを見てニコニコしていた。まるで孫を見ているかのような顔をして
隣のお婆さんが僕に声をかけてきた。
「聞いたよ。交通事故だって?」
「あはは⋯そうみたいです。」
「あらら痛そうね〜。
僕の足を見つめながら苦笑いをしている。
隣のお婆さんは血液がよくないだとか、腰が悪いだとか、
様々な症状を話してくれたが、結局何が原因で入院しているのかは
わからなかった。
その他にも、名前は斎藤であること。歳は八十を超えていること
あの看護師さんは口うるさいだとか、あの人は最近異動してきた人など、
病院内における人事事情まで教えてくれた。
口をひらけばマシンガントーク、日頃よほど話し相手がいないのであろうか。
そうこうしている間に面会時間がきた。
「裕太、大丈夫?」母親が病室に入ってきた。
「ああ、まあ、なんとか」
「まったくもう。あんたぼーっとしてたんじゃないの?」
「あんまり覚えてないよ。」
「これ、着替えとか持ってきたから。」大きめの紙袋には僕の寝巻などが入っていた。
「渡辺と申します。うちのバカ息子がお世話になります。」と斎藤さんに
会釈をする。
「こちらこそお話相手ができて嬉しいわ」シワだらけの顔がより一層クシャッとする。
斎藤さんは笑うと目が目視できなくなるくらいクシャッと笑う。
僕が病院に運ばれた後、警察からの連絡で僕が病院に運ばれたことを知った母親は
パートを切り上げてすぐに病院へ来てくれたらしい。その後、仕事を早退した父親と
合流し、意識を失っている僕の横にずっといてくれたそうだ。
面会は五時までと決まっていたが、特例として八時くらいまでは居てくれたらしい。
治療時に邪魔だった僕の制服は、医療用のハサミで綺麗に刻まれたらしく、
無惨な姿となった制服や、かばんなどは昨日のうちに両親が家に運んでくれたそうだ。
その後病室に担当の先生が入ってきた。
母親とともに病状や今後のことなど説明を受けた。
車にはねられた後、僕はすぐに意識を失った。
その後は付近にいた人たちの迅速な行動のおかげで
十分後には救急車に乗っていたらしい、頭を打っていたので
精密検査も行ったが、今のところ問題はないそうだ。
全身の打撲、擦り傷と足の骨折。全治は一ヶ月程だが、
松葉杖を使えば普通の生活はできるとのことだった。
母親とも話し合い、入院は二週間し、退院後は通院で足を治すことにした。
スマホはしばらく使えないのでと、病院内のコンビニに売っていた小説を
母が何冊か買ってきてくれた。
怪我の事はとりあえず安心する。
だが、それと同時に心のモヤモヤが再び僕を襲ってきた。
僕はもう一度話したいと思い、無理矢理彼女に会おうとした。
きっと神様とやらが僕に天罰を与えたんだろう。
多分昨日の情緒であのまま彼女に会いに行っていたら
僕は彼女に対して、思ってないことすらも言ってしまっていたかもしれない。
入院の二週間は丁度いい。ひとまず冷静になる時間が必要だった。
心はモヤモヤしたままだが、それは仕方ない。受け入れよう。
学校で会える日を待とう。それで、冷静に話すんだ。

病院は思ったより暇だ⋯。
毎日のように斎藤さんが話しかけてはくれるが、
こうも毎日話していると話題が尽きてしまうの。それならまだいいが、
斎藤さんは前に話してくれた事をあたかも初めて喋るかのように話してくるから
いちいちリアクションに困ってしまう。同室の他の患者さんとは挨拶を済ませた程度で
それ以外に関わることはなかった。僕が人見知りっていうのが原因だが、
そもそも他の患者さんは他人とあまり関わろうとはしていなかった。
各々やりたいことに夢中になっているといった様子だった。
入院生活も残りわずかとなり、擦り傷のかさぶたもそろそろ剥がしてよい頃になった。
足は相変わらずギプスで固定されたままだが、体中に巻かれていた包帯はすでに取れ、
頭の傷も今では目立たないほどになっていた。トイレなどの移動も、最初こそ
看護師にフォローをしてもらいながら歩かなければならなかったが、
今では松葉杖さえあればどこにでも行けるほどに回復はした。
母親が買ってきてくれた小説は、一度も開かれることもなくサイドテーブルに鎮座している。
そもそも普段から小説を読まない僕が読むわけないだろ。
少しページをぱらぱらはしたが、一ページも読むことなく挫折してしまった。
スマホがあれば⋯。と何度思ったことか。
スマホは修理に出すようで母親が持ち帰ってしまった。
まるで社会から疎外された気分になる。いかに自分がスマホに依存していたかを
失ってから気づいていた。
そんなある日、斎藤さんといつものように色々と話していたが、
検査があるようで三十分ほど前に看護師にどこかへ連れて行かれたままだった。
じっとしていても暇だが、歩いたところで病院内で行きたいところなんてなかった
天井を見つめることを強制されている気分だ。
窓からは夕日が差し込んでいて、僕のベットはオレンジ色に照らされていた。
「よお、生きてるか?」聞き覚えのあるローファーのカツカツ音。
顔を見あげると一弥がいた。
「え?どうして?」
「お前の母ちゃんに聞いたぜ。さっき家に行ったんだ。」
「事故の事知ってるの?」
「最初は知らんよ。風邪かなんかだろうって思って。ただほら、お前なんか
思い詰めてたし、嫌な予感したからさ。」
「予感が外れて良かったね」
「よくはねーよ、ギプス落書きしていーい?」
「でもまあ、暇だったから助かったよ。スマホもバキバキでさ。」
ギプスについてはスルーをして話を進める。
「あーね。だからメッセージ既読もつかなかったのか」
「そゆこと、嫌いになったわけじゃないよ」
「まあ、その可能性は考えなかったけど、んで、大丈夫なん?」
事故の事、病状や退院時期などを話した。
五時になると面会時間が終了となる。終了五分前にアナウンスが流れた。
「じゃあそろそろお暇するわ。スマホ代替機もらえるんだろ?
復活したらまたメッセージくれよな。」
「あー。そうか。修理に出したら代替機借りれるのか」
「そゆこと。じゃーなー」
手をひらひらさせながら病室を出ようとすると、
丁度斎藤さんが検査から戻ってきた。
「あら、あんたとはよく会うねー」
「婆さんまだいたのか。」
「生憎まだくたばってないよ」
「そうか。元気でな。」
この二人は知り合いなのか?と思いつつ、一弥に手を振った。
カツカツ音をならしながら一弥の姿が見えなくなった。
看護師につれられて斎藤さんが隣のベットに横になる。
「知り合いなんですか?」
「名前は知らないよ。ただこないだまでそこのベットにあなたと同じくらいの歳の
女の子が入院しててね。その子のお見舞いに女の子と一緒によく来ててね。」
天井を見ながら思い出すように話しだした。
「その子は心臓に病気があってね。亡くなってしまったよ。
こんな寂しいばあちゃんの話をたくさん聞いてくれてね。優しい子だったよ。」
ん?一弥にそんな知り合いがいたのか?
一弥とはこれでも親しくさせてもらっている。と僕は思っている。
亡くなってしまった知り合いなんているのかな?
しかも僕と同じくらい、高校生だろうか?
違和感を感じた。
一弥が女の子のお見舞いを?女の子と一緒に?
一弥からはそんな話を聞いたことがない。
嫌な予感がした。今の僕はナイーブなんだ、なんでも悪い方向に考えてしまう⋯
一弥と一緒にいたこがもしかしたら細川さんでは?
一弥と細川さんがお見舞いに来ていた相手が理沙なのでは?
でも、理沙は心臓に病気なんて⋯
お婆さんの方へバッと頭を動かし尋ねる。
「その子って、どんな子ですか?」
「そうねー。りさちゃんって言ったかしら。昔から心臓が弱かったらしくて⋯」
お婆さんはまだ何かを話している。
僕には何も聞こえてこなくなった。
理沙が⋯死んだ⋯?
額にじわりじわりと汗を感じる。
理沙がメッセージを返信しない理由。
学校に来ない理由。
細川さんが何も話さない理由。
そして、別れた理由⋯。
理沙が死んだとしたら、死ぬことがわかっていたのだとしたら
全て辻褄が合う。合ってしまう。
「ありがとうございます」
まだ何かを話している斎藤さんにお礼を言って話を遮った。
「大丈夫かい?」
「ええ⋯。」
斎藤さんに背を向けて横になった。
心のモヤモヤがより一層大きくなり、今にも口から出そうな感覚に陥る。
もう一つ、心臓というワードだ。
ダブルデートをした時、電車のなかで一弥がスマホをいじっていた。
僕が覗き込むと一弥はすぐにスマホを伏せた。
その時はなんとも思わなかったが、彼のスマホの検索欄には
「心不全 対処」の文字が刻まれていた。
一弥は知っていたんだ。理沙が心臓に病気を抱えていることを、
そのうえでダブルデートに参加をしたんだ。
何かあった時のために対処法をあらかじめ予習しておいたんだ。
ダブルデートの集合場所で三人が言い合っていたのも
おそらくそのことだろう。
つまり、細川さんまでもが知っていたということだ⋯。
「僕だけ⋯何も⋯知らなかったのか⋯」
突きつけられた現実。身体が小刻みに震えた。
病室の誰にも聞かれないように静かに涙を流した。
そんなことあっていい訳がない。
一晩中涙を流したのに、一つもスッキリせずに朝を迎えてしまった。
退院まで残りわずか、スマホは手元にはない。
一弥に話を聞かなければ、細川さんでもいい。
何も知らないわけはない。このまま何も知らないわけにもいかない。
彼女が死ぬ前も、そして死んだ後の今ですら、
何もできない自分が嫌で仕方なくなる。