線香花火みたいな恋だった。

アスファルトがゆらゆらと揺れて見える午後だった。
まだ梅雨が明けたばかりだというのに、空はもう遠慮なんて知らないみたいに真っ青で、じりじりと肌を焼いてくる。

校舎の窓は全部開け放たれていて、どこからか風鈴の音が混じってくる。
扇風機は意味があるのかないのか分からないくらい、ただぐるぐると回っていた。
教室の後ろの席では、誰かがうちわでぱたぱたと風を送っていて、そのリズムがやけに眠気を誘う。

遠くで鳴いた蝉の声が、空気を暑くする。
もう季節は夏に入ったのだ。

夏休みを迎える前には中間試験が待っている。
長期休みという楽しみの前に、試験をやるということは中々ひどいと思う。
まぁ休み明けにやるよりはましだけど。

テスト前になると、なぜか自然と一緒に勉強する流れになる。
約束したわけでもないのに、気づけば「今日どうする?」みたいな話になって、どちらかの家に集まっている。

その日も、放課後にそのまま陽菜の部屋に来ていた。

「とりあえず英語やるか」
「一番やりたくないやつ」
「じゃあ最初に終わらせた方がいいだろ」
「それはそう」

机の上に教科書とノートを広げる。
カーテン越しに入る夕方の光が、部屋の中を少しだけオレンジ色に染めていた。
外はまだ明るいのに、部屋の中はどこか落ち着いた空気が流れている。


しばらくは、お互い黙って問題を解いていた。
シャーペンの音と、ページをめくる音だけが静かに響く。
その沈黙が、妙に心地よかった。

「……ねえ」
ふいに、陽菜が声を出す。
「ん?」
「ここ分かんない」

ノートを少し押し出してくる。
「どれ」

体を少し寄せて、覗き込む。
距離が近い。
肩が軽く触れそうになる。

でも、それを避けるほどでもなくて、
そのまま問題に目を落とす。

「これ、ここがこうじゃない?」
ペンで指しながら説明する。
「あー……」

少し考えてから、
「ほんとだ」
と、小さく笑う。
その顔が、すぐ近くにある。

近いな……
そう思った瞬間、少しだけ視線を逸らした。

「ちゃんと勉強してるじゃん」
「失礼だな」
「どうせギリギリでやるタイプでしょ」
「否定はしない」
「でしょ」

くすっと笑う。
その声が、やけに近くに聞こえる。


またしばらく俺たちはペンを動かす。
外から、遠くで誰かが話している声が聞こえる。
夕方特有の、少しだけゆっくりした時間。

ページをめくる手が止まる。
「てかさ」

何気なく口に出した。
「志望校どうすんの」
深い意味はなかった。
ただ、そういう時期だから聞いただけだ。


陽菜は、少しだけペンを止めた。
ほんの一瞬。
それから、また軽く動かしながら言う。

「んー……」
少しだけ間を置いて、
「県外かな」
と、何でもないみたいに言った。

「へえ」
できるだけ軽く返す。
そのつもりだったのに、
なぜかその一言だけ、胸の奥に引っかかった。

「どこ」
「まだちゃんと決めてないけど、関東の方」
「遠いな」
「まあね」

あっさりとした返事。
それ以上、特に深い話にはならなかった。

そしてまた、ペンの音が戻る。
さっきと同じはずの空気。
でも、どこか少しだけ違う気がした。

県外、か……
頭の中で、その言葉だけが残る。


気づけば、外はすっかり暗くなっていた。
部屋の明かりだけが、机の上を照らしている。

「結構やったな」
「ね」
ノートを閉じながら、少しだけ伸びをする。

「そろそろ帰る?」
「もうちょっとやる」
「えら」
「うるさい」

そんなやり取りをしながら、また問題に目を落とす。

お互いに集中していたため、時間あっという間に過ぎていった。
約4時間くらい勉強をして、今日のところは終了した。

「ちゃんと復習しろよ」
「そっちもね」
「俺はする」
「嘘っぽ」
そういって陽菜は軽く笑う。


外に出ると、夜の空気が少しひんやりしていた。
隣の家まで、数歩。
それだけの距離なのに、なぜか少しだけ遠く感じる。


さっきの会話が、まだ頭の中に残っている。
“県外”
その言葉の意味を、ちゃんと考えようとして、やめた。


まだ、考える必要はないと思った。