最終電車のリピート

最終電車は、
街の明かりを一枚ずつ畳んで走る。
窓に映る私は、いつもより薄い。つり革が揺れて、
アナウンスが遠くて、
隣の席だけが、ずっと空いている。そこは、あなたの場所だった。
…って言うと、
まだ隣にいてくれる気がするから、
私は言わないでおく。春の終わり、
あなたは「引っ越す」って言った。
大きな理由みたいな顔で、
小さな声だった。「連絡する」
「うん、する」その“する”の中身が、
どれだけ薄いか知ってるのに、
私は笑ってしまった。笑うしかなかった。
泣いたら、出発になってしまうから。それから、私たちは
“約束の形をした曖昧”を抱えて生きた。返信の遅い夜。
既読にならない昼。
スタンプだけの「ごめん」。
「落ち着いたら」の、行き先のない手紙。ねえ、落ち着くってどこ?
地図にない駅名みたいだよ。最終電車に乗るたび、
私は儀式みたいにスマホを開く。あなたの名前のトーク。
最後の言葉は、私の「おつかれ」。
その下に、ずっと続く空白。空白って、便利だ。
なんでも入れられる。
「忙しい」も
「忘れた」も
「もう終わり」もでも本当は、
空白はひとつしか言ってない。――ここには、誰もいない。停車駅が減っていく。
人も減っていく。
私の勇気も減っていく。それでも私は、
あなたに送れないメッセージを
何百回も打つ。まだ、あなたの声で目が覚める
まだ、あなたの癖で笑ってしまう
まだ、あなたのいない部屋に
ちゃんと「ただいま」って言ってる送信ボタンは、
押すためにあるのに。
押したら最後、
この感情が“現実”になってしまうから。次の駅で、
制服の子が降りた。
誰かの恋が、改札の向こうへ消えた。私は、その背中に
あなたの影を重ねてしまって、
急に息が苦しくなる。恋って、
誰かの人生の都合に
きれいに収まるものじゃない。だから、こぼれる。
だから、残る。最終電車は終点へ向かう。
終点って、やさしくない言葉だ。
行き止まりみたいで。でも私は知ってる。
終点のホームには、
また折り返しの電車が来る。戻れる場所がある人は、
折り返しに乗れる。私みたいに、
戻る場所が“人”だった人は、
折り返しの行き先がない。終点。
ドアが開いて、
冷たい夜が流れ込む。ホームに降りた瞬間、
ポケットの中でスマホが震えた。心臓が、間違えて跳ねる。画面に出た名前は、あなた。
指が震えて、
私はうまく押せない。やっと開いた通知は、短かった。「ごめん。結婚する」世界が音をやめた。
アナウンスも、足音も、
全部、遠い。なのに、
あなたの“おめでとう”だけが
私の喉の奥で詰まってる。言えない。
言ったら、いい人で終わる。
言わなかったら、悪い人で終わる。どっちにしても、
私はあなたの人生の外側だ。私は返信欄に、
短い言葉を打つ。「おめでとう」たった五文字。
たった五文字で、
私の数年が片づいていく。送信。
その瞬間、
胸の中で何かが静かに鳴った。たぶんそれが、
“諦め”の音。改札へ向かう。
駅の外は、
夜の匂いがする。私は歩きながら、
自分に歌詞みたいに言い聞かせる。さよならは、
ちゃんと届いたよ
返信のない日々も
ぜんぶ、返事だったそれでも私は、
しばらく最終電車に乗る
あなたが隣にいないことに
慣れるためにそして明日も、
同じ時間にチャイムみたいな通知が来る。
広告か、天気か、
どうでもいい情報。私はたぶん、
一瞬だけ期待してしまう。あなたの名前が出る夢を、
終電の揺れに預けたまま。でも、もう大丈夫。
大丈夫って言葉が、
大丈夫じゃない日を支えるって
やっと知ったから。