黒瀬部長は部下を溺愛したい



「次にどうするか考えろ」

 それだけ言って慧は会議室を出て行った。
 涙が出そうだった。

 いや、もう出ていた。
 何より、悔しかった。
 自分自身が情けなかった。

『期待していた』

 慧のその言葉が一番刺さった。
 信じてもらっていたのに。
 裏切ってしまった気がした。

 気持ちを切り替えて、前を向かなきゃ。
 そう思うのに、たった一度のミスで受けたダメージは大きい。
 心に大きな穴が開いたようだった。
 
 その夜。
 いつもなら帰宅する時間になっても、莉央は会社を出られなかった。
 資料を見直しても。
 パソコンを開いても。
 何も頭に入ってこない。
 自分は向いていないんじゃないか。
 そんな考えまで浮かんでくる。

「まだいたのか」

 聞き慣れた声が聞こえて顔を上げる。
 慧だった。
 でも、もう部長の顔ではない。
 ネクタイを緩めた、恋人の顔に見えた。

「……お疲れ様です」

 なんとか笑おうとした。
 でも失敗した。
 顔が強張ってしまう。
 慧は何も言わず近づいてくる。
 そして……。

 ぽん、と頭に手を置いた。
 
 その瞬間、張り詰めていたものが切れた。

「っ……」

 涙が溢れる。

「ごめんなさい……」
「うん」
「せっかく任せてもらったのに……」
「うん」
「期待してるって言ってくれたのに……」
 
 情けない声だった。
 それでも慧は黙って聞いていた。
 莉央の震える肩をそっと抱き寄せる。

「莉央」

 優しい声。
 昼間とは全然違う。

「仕事の話をするぞ」
 
 そう言って慧は莉央の頬に触れた。

「今日のミスは許されない」

 厳しい言葉。

「はい……」
 
 でも、当然だと思った。

「だから叱った」

 続く声は甘く温かかった。

「でもそれは、お前が成長できると思ってるからだ」

 莉央は顔を上げる。

「……」
「期待していない部下なら任せない」

 慧は苦笑した。

「そもそも大型案件も任せてない」

 胸が熱くなる。
 
「失敗したら終わりじゃない」
「……はい」
「次に同じことをしなければいい」

 優しく髪を撫でられる。

「分かったか?」

 莉央は小さく頷いた。
 すると、慧はふっと笑った。
 
「よし」

 そのまま抱き寄せられる。

「ここからは恋人の時間だ」
「え?」
「今日はいっぱい落ち込め」

 明るく笑う声。

「その代わり」

 耳元で囁かれる。

「俺が全部甘やかしてやる」

 思わず笑ってしまった。
 さっきまで泣いていたのに。

(ずるいなぁ……)

 本当にずるい人だ。

「慧さん」
「ん?」
「……もう少しだけ、このままでもいいですか」

 そう言うと慧は少し驚いた顔をして。
 それから優しく笑った。

「ああ」

 抱きしめる腕に力が入る。

「好きなだけ甘えろ」

 その胸の温かさに包まれながら。
 莉央はもう一度だけ泣いた。
 今度は悔しさではなく。
 前を向くための涙だった。

To be continued