
当時、慧にとって職場は戦場だった。結果を出す、誰にも弱みを見せない。余計な情なんか持ち込むな。それが自分の信条だった……でも。
ある日、ふと見かけた新人の女の子。書類の山に埋もれ、先輩の指示を聞きながらもメモをとって、何度も頷いていた。だが、帰り際のエレベーター前で、その子の目が少し赤かったのを見逃さなかった。
(……泣いてたか)
別に優しくする理由はなかった。ただ、気になった。なぜか、その頑張りすぎる不器用な姿が、妙に引っかかった。
数日後。その子がまた、夜遅くまで残っていた。
「……あの子、また残ってるのか」
そのとき、自分の足が勝手に動いた。コンビニで、なんとなく選んだサンドイッチと甘いドーナツ。気づいたら差し入れを持って、彼女のデスクまで行っていた。
(……なんでこんなことしてんだ、俺)
後から自分で思った。けど……。ありがとうって笑った顔が、まっすぐで。媚びるでもなく、遠慮がちで。
(……やばいな)
その夜、自分の手が無意識にスマホに触れて、彼女の名前を検索していた。
――――『白石莉央』
ただの後輩で……部下のはずのその子の名前を打ち込んでいた自分に気づいて、苦笑する。
(……完全にやられてる)
これまでの人生で女に苦労したことはなかった。どんなに告白されても誰にも揺れなかったこの心が……あの笑顔ひとつで、なぜか……。
――――ずっと、目で追ってしまうようになった。
To be continued

