さよなら、バスタブの夫と子どもたち。

 教室にわたしと桜田くんの二人きりになった。
 静かな教室とは正反対に、わたしの頭の中はもう一人の自分がうるさい。
 呼び出しておいてなんだけど、どう切り出せばいいの?
 だけど、呼び出しておいて黙りこんでいるのは失礼では?
 わたしはすうっと息を吸って、それからいう。

「あの、手紙、読んだ?」

 桜田くんは、うなずく。

「はい。読みました」

 そうだよね! 読んだよね!
 だからこうして教室に残ってくれたんだよね!
 桜田くんはうつむいていて、表情がわからない。
 やっぱ迷惑だったのかな。

「ごめんね、急に!」

 わたしはそういってから、なにが「急に」なんだろうと思い直してこういい直す。

「えっと、あの、急にっていうか、突然あんな手紙、迷惑だよね?」

 勢いで聞きたいことがするっと口に出た。
 桜田くんはわたしのほうを見ると、彼は一瞬だけわたしを見た。
 それから、足元に視線を落として続ける。

「いいえ、そんな迷惑とか、ぜんぜん、そんなことないです」
  
 桜田くんはゆっくりと、いつも以上に丁寧にそういった。
 わたしは心からホッとする。
 よかった、迷惑じゃないみたいだ。
 わたしは安心してこういう。

「そっか! それならよかった!」

 そういってにっこり笑った。
 そしてこう続ける。

「それが聞きたかったんだ。ありがとう」
 
 わたしの言葉に桜田くんは顔を上げ、それから肩にカバンをかけ直す。

「あの、ぼく部活がありますので……」
「あ、そうだよね。ごめんね。時間つかわせちゃって」
「いいえ、大丈夫です」

 桜田くんはそういうと、わたしを見てこういった。

「じゃあね。また明日」

 言い終えるが早いか、教室を出て行った。
 教室にひとり残されたわたしは、何が起こったのかわからなかった。

「じゃあね。また明日」

 桜田くんは確かにそういった。
 いつも敬語の桜田くんが……。
 え? 聞き間違い?
 ううん、でも確かにそういった。
 敬語なしの桜田くんもいいな。
 妄想していたよりもずっと、ずっと、耳に心地よい。
 
 迷惑じゃないってわかってよかった。
 それどころか、桜田くん、うれしかったとか?
 だって敬語とれるぐらいだし?
 わたしはあれこれと考えてどんどん浮かれていく。

 その日の帰りに見た下校の景色はいつもとちがっていた。
 古い家ばかりが立ち並ぶ住宅街も、畑ばかりの景色も、なにもかもが輝いて見えた。
 すでに辺りは薄暗くなっていたけど、輝く景色がワクワクする。
 子供の頃に見た夜の遊園地の景色みたいだ。

 きっとわたしの未来も明るい。
 これから何か楽しいことが起こるんだ。
 だって桜田くんと会話しちゃったんだよ!
 敬語もなかったんだよ!
 わたしはふわふわ浮いた気分のままで帰宅。