さよなら、バスタブの夫と子どもたち。

「どうしたの? ボーッとして」

 帰り道で、美香ちゃんにそう聞かれた。
 わたしは笑いながら答える。

「うーん。なんか授業ついていけない」
「あー。まあね。わかるけど」
「それに、わたしがボーッとしてるのは今に始まったことじゃないし」

 わたしが自嘲しながらいうと、美香ちゃんは納得したようにうなずく。

「それもそうか。でもさあ」

 美香ちゃんは、ちょっとだけ考えてから続ける。

「好きな人でもできたのかなーって思っちゃった」

 ドキッとした。
 当たってる……。勘が鋭いな。
 桜田くんのこと、美香ちゃんには打ち明けようかな。
 幼稚園の頃から一緒なんだし。
 わたしは周囲をキョロキョロ見まわしてからいう。
 よし、誰もいない。

「あのね、わたし、クラスでその、気になる男子がいて……」

 めいっぱい声のボリュームをしぼった。
 ニコニコしていた美香ちゃんの目が大きく見開く。
 それから、うれしそうに聞いてくる。

「えー?! だれ? 教えてよー!」

 美香ちゃんは人の秘密をバラような子ではない。
 だけど、桜田くんの名前をいうのは、なんとなく恥ずかしいな。
 キラキラと期待の眼差しでわたしを見る美香ちゃん。
 わたしは、とうとう白状する。

「桜田くん、桜田貴一くんっていうんだけど」
「え、ごめん。知らないや」
「北小出身みたいだし」
「へぇ。そうなんだ。真知ちゃんが恋ねえ」

 美香ちゃんはなんだかうれしそうにそういうと、何かを思いついたような顔をする。

「告白しないの?!
「無理無理!」
「そっかあ。まあ、告白って勇気いるよねえ」
「美香ちゃんに好きな人ができたら、こっそり教えてね」
「うん。真っ先に教えるよ」

 美香ちゃんが笑った。
 春の花のようなきれいな笑顔。
 桜田くんは、どんな女の子が好みなんだろう?
 わたしのような地味女子は、眼中にないのかなあ。
 無意識のうちについつい桜田くんのことを考えてしまう。

 コーヒーの香りが漂う朝の喫茶店。
 日曜日は家族と喫茶店へ行き、モーニングを食べる。
 お父さんは週刊誌をパラパラとめくり、弟は大のドラゴンズファンだからスポーツ新聞をチェックしている。
 わたしと母は、最近の学校のこととかこの間見かけた従姉妹のお母さんの話とか。そういう何気ない話をする。
 いつもより時間がゆっくりと過ぎているようだ。
 わたしがテーブルの角でゆで卵の殻を割ったところで、カランカランというベルの音。
「いらっしゃいませ」という明るい声。
 ふと顔を上げると、桜田くんが歩いてくる。

 え、と思って目をゴシゴシとこすった。
 だけどそれは、よく見れば桜田くんではなかった。

 中高生くらいの男子というだけだ。
 わたしはゆで卵に塩をかけながら思う。
 ダメだ……。ここのところずっと桜田くんのことを考えてしまう。
 そしてとうとう、他の人が桜田くんに見えるようになった。

 これはもう、間違いなく恋。
 恋をしたら、そのあとはどうするんだろう?
 わたしはない知恵をふりしぼる。
 そういえば、少女漫画で読んだな。
 主人公がラブレターを渡していたっけ。

 よし、桜田くんにラブレターを書こう。
 
 便箋えらびに二時間。
 内容を考えるのに三時間。
 書くのに二時間半。
 生まれて初めてのラブレターは、七時間半もかかった超大作だ。
 だけど、愛が重いと思われないように便箋一枚になんとかおさめた。

『この間の掃除の時間に椅子を持ってくれてありがとう。桜田くんの優しいところが好きになりました』

 こんな内容を書いた。
 付き合ってください、と書きかけてやめた。 
 だって付き合うって一体どういうこと? なにをするの? デート?
 わからない……。
 トレンディドラマ観ててもいまいちピンとこない。まあ、わたしが真剣に観てないからかもしれないけど。
 だから、好きですという気持ちだけをぶつけた。
 そのあとのことは、まあ、なんとかなるだろう。

 これを明日、学校で桜田くんに渡そう!
 ああ、ドキドキしてきた……。
 読んでくれるかなあ? 迷惑かなあ。でも、喜んでくれたら嬉しいなあ。