さよなら、バスタブの夫と子どもたち。

 事件はその日の放課後に起こった。

 ぼんやりしたままで、掃除の時間となった。
 気づけばクラスメイトたちは、机の上に椅子を乗せ、掃除に備えていた。
 それどころか「とっとと終わらせよう」と教室を掃除する班が動き出している。
 のろのろしていたら、クラスの男子に『のろまちこ』なんて変なあだ名をつけられる決まってる!

 わたしは慌てて机の上に椅子を乗せたが、あわてすぎて体がフラついた。
 給食が苦手なレーズンパンだからって、かきたま汁とマカロニサラダと牛乳じゃあ足りなかったかも。力が出ない。新しい顔ならぬ新しい体がほしい。
 そんなことを考えているうちに、机の上に乗せた椅子がぐらりと揺れる。
 あ、まずい、椅子が落ちる。
 そう思った瞬間。
 とつぜん椅子がぴたりと安定した。
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 ふと椅子の足を持つ手があることに気づく。
 その手が落ちそうな椅子を支え、安定させてくれていたのだ。
 手の先を追うと、それは、桜田くんだった。
 彼は、椅子を抑えて落ちるのを阻止し、そのままわたしの席を通り過ぎていった。

 ありがとう。
 それすらいえなかった。
 あまりにも自然すぎて、なにが起こったのかわからなかった。
 だけど、助けてもらったことだけはわかった。
 それなのに、この口は「ありがとう」すらとっさに出てこない。
 それに、わたしは桜田くんの背中から目が離せなかった。

 桜田くんの背中が、輝いて見える。
 かっこいい……。
 とくん、と胸が鳴る。
 桜田くんが、他の男子と楽しそうにおしゃべりをしている。
 その横顔が、すごくかっこいい。
 とくん、とまた胸が鳴る。
 わたしは胸をぎゅっと抑えた。
 好きなのかも。

 これ、初恋かもしれない。