さよなら、バスタブの夫と子どもたち。

 帰り道で、誰も周囲にいないのを確認して、手紙を読んだ。
 だって気になって気になってしかたがなかったから。
 下校のときにある大きな大きな桜の下。
 もうだいぶ散っている桜を背に、わたしはそっと手紙を開ける。
 
 手紙ありがとうございました。
 気持ちはうれしいのですが、今はぼくは勉強を頑張りたいです。
 ですから神崎さんの気持ちには答えられません。

 便箋一枚に、そんな内容が丁寧な字で書かれてあった。
 一生懸命に言葉を選んでくれて書いてくれたんだろう。
 桜田くんのやさしさが伝わってくるからこそ、この言葉が悲しい。

 わたしは桜田くんと付き合いたいなんて贅沢はいわない。
 もう少し仲良くなれたらって思ってた。
 中学で仲良くなって、高校で付き合うぐらいまで発展したら……。
 でも、それもぜんぶなくなった。
 わたしひとりで浮かれていただけだった。

 便箋一枚が、異様に重く感じる。
 桜の花びらが舞う。
 わたしの涙のように。

 お風呂に入って、せめて妄想の中だけで桜田くんと幸せな家庭を想像しよう。
 そう思って妄想する。
 だけど、今日もらったお断りの手紙を思い出す。
 途端に妄想の家族は消えてしまう。
 名前も決めていなかった息子と娘は、春の幻のようだった。


「ねーねー。桜田くんとはどうなったの?」

 日曜日に美香ちゃんの家で遊んでいたら、そんなことを聞かれた。

「え、ああ、どうって……」

 わたしはなにもいえなかった。
 フラれたことをいったら、泣いてしまいそうだ。
 せっかく今は楽しい気分でおしゃべりしているのに、泣いて台無しにしたくない。
 わたしはそう思って、にっこり笑う。

「なにもないよ」
「そっかあ。まあ、同じクラスでも用がなきゃ男子としゃべんないよね」
「そうそう。本当そう」

 わたしはそういって、お菓子を口に入れる。
 味なんかしなかった。
 思い出すのは、桜田くんからもらったお断りの手紙のことばかり。


 結局、わたしはそれ以降、桜田くんとは口を利いていない。
 気まずいということもあるけど、美香ちゃんがいったようにやっぱり用事がないと男女が気軽に話すことはないから。

 失恋の春が終わり、夏休みが過ぎ、運動会の秋のあと、冬になった。
 二月。せめてバレンタインチョコを渡したい。
 そう意気込んで、初めて男の子に渡すチョコを買った。

 チョコをかばんに忍ばせ、緊張しながら学校へ。
 だけどその日の午前中に、わたしは体調不良で保健室へ行くことになった。
 朝はなんともなかったのに、学校へ行ったら体調が悪くなったのだ。

 そのまま早退して病院へ行ったら肺炎で十日の入院。

 結局、チョコはカバンに眠ったままとなった。
 さすがにいまさら渡せない。
 退院後にチョコを食べた。
 味がしないのは、肺炎の影響か、それそとも失恋の傷が癒えていないのか。
 わたしは半分を食べ終えたところで、涙が止まらなくなった。

 失恋したのにチョコを渡して、わたしは何を期待していたんだろう?
 きっとまた桜田くんを困らせるに決まっている。
 わたしはチョコは渡さなくてよかったのかも、と思うことにした。

 そして、そのままクラス替えで、二年生も、それから三年生も桜田くんとはクラスが離れた。

 中学三年生の始業式の日。
 ひとりで階段を上がっていたら、上からは男子が降りてくる。

 桜田くんだ。

 周囲には誰もいない。
 気まずい……とても気まずい。
 もう恋心は過去のもの。
 今は体育の先生にあこがれている。既婚者だけど。あこがれるだけならいい。
 つまり、わたしは完全に桜田くんのことはあきらめることができた。
 だけど、やっぱ気まずい。
 あれから一度も話していないから別に無視したほうがいいのかなあ。
 こっちから声かけても、迷惑かもしれないし……。
 そう思っていると、桜田くんはわたしを見ていう。

「お久しぶりです」

 それだけいって会釈だけして、わたしの隣を通り過ぎる。
 わたしはうれしくなって元気でいう。

「久しぶりだね!」

 チラッと見えた桜田くんの横顔が赤い気がした。
 うん、照れくさいよね。わたしも恥ずかしい!
 だけど、挨拶返してくれてよかった。
 わたしはなんだか心が軽くなって、鼻歌交じりに階段を上がった。

 桜田くんと話したのは、それきりだ。

 もうお風呂で、あの妄想の家族は出てこない。
 だけど大丈夫。けっこう楽しくやっているから。

 終