罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

リリスは殿下の胸に額を押し当てたまま、震える呼吸を繰り返した。

その手は、カシリアの衣服の背中側を強く握りしめている。

温かい。

この温もりに包まれている今だけは、外の世界の冷たい嵐から守られているように感じる。

けれど、理性の片隅で冷徹な計算が走るのを止められない。

今の平穏は、砂上の楼閣に過ぎない。

殿下の庇護、ファティーナの誤解、それらによって一時的にエリナの噂は沈静化するかもしれない。

だが、それは時間の問題だ。

エリナは間もなく、王家学院に編入してくる。

あの太陽のような笑顔を振り撒き、無邪気な言動で周囲を魅了し、そして「タロシア公爵の娘」として正式に社交界デビューを果たすのだ。

その時、私はどうなる。

前世の記憶が蘇る。

あの時は、私にはまだ「正当な婚約者候補」としての立場があり、エリナは「突然現れた不躾な庶子」という攻撃材料があった。

だからこそ、大義名分を持って彼女を排除しようと足掻くことができた。

しかし今回は違う。

私はエリナの存在を認め、殿下もエリナといろいろ噂が広まっている。

周囲は「王太子が選んだ新しい姫君」としてエリナを歓迎し、私を「捨てられた哀れな妹」として嘲笑するだろう。

逃げ場がない。

教室に入れば、ヒソヒソという陰口が聞こえるだろう。

食堂に行けば、好奇の視線に晒されるだろう。

そして何より、エリナが無邪気に駆け寄ってくる姿を、笑顔で受け入れなければならない。

無理だ。

耐えられない。

想像するだけで、胃液が逆流しそうになるほどの嫌悪と恐怖が全身を支配する。

このまま登校を続ければ、私は確実に壊れる。

心を殺して人形になると決めたはずなのに、その人形の殻さえも砕かれ、中身の腐った肉塊を晒すことになる。

顔を上げるのが怖かった。

涙で汚れた顔を見られたくないという羞恥心と、この温もりから離れたくないという幼児のような依存心。

だが、このまま黙っていても、地獄へのカウントダウンは止まらない。

私は殿下の胸元からわずかに顔を離し、潤んだ瞳で彼を見上げた。

殿下の表情は、痛ましいほどに歪んでいた。

罪悪感、後悔、そして私への憐憫。

その目が、私に勇気という名の毒を与える。

この人なら。

私をこんな風に傷つけた責任を感じているこの人なら、私の理不尽な願いを聞いてくれるのではないか。

気まぐれな優しさでもいい。

同情でも、贖罪でも構わない。

今の私には、一本の細い蜘蛛の糸でさえ、命綱に見えるのだ。

「……殿下」

掠れた声が出た。

喉が張り付き、言葉を紡ぐのが苦しい。

「……厚かましい願いであることを、承知で……申し上げます」

カシリアは何も言わず、ただ私の言葉を待っている。

その静寂が、私を急かす。

「わたくし……学生会副会長という、過分な役職をいただきましたが……」

視線を逸らす。

彼の目を見ていられない。

「今のわたくしには……明日から、あそこへ通う自信が……ありません」

言ってしまった。

公爵令嬢として、あるまじき弱音。

責任放棄。

敵前逃亡。

父が聞けば激怒し、世間が知れば嘲笑するだろう言葉。

けれど、もう止まらなかった。

「少しでも……少しの間だけでもいいのです」

私は彼の上着の袖を掴み、縋るように力を込めた。

「学校に行かなくて済むような……誰もが納得する、言い訳を……作っていただけないでしょうか」

逃げたい。

ただ、それだけ。

エリナの笑顔を見たくない。

同情する視線に晒されたくない。

暗い部屋で一人、膝を抱えてうずくまっていたい。

そんな、惨めで後ろ向きな願い。

カシリアの身体が、一瞬硬直した。

拒絶されるかと思った。

「甘えるな」「義務を果たせ」と、正論で殴られるかと思った。

ビクついて身を縮めた私の頭に、大きく温かい手が乗せられた。

「……ああ」

深く、重い吐息と共に、肯定の言葉が降ってくる。

「分かった。……任せてくれ」

顔を上げると、そこには決意に満ちた、けれどどこか悲壮な瞳があった。

彼は理解したのだ。

私が何を恐れ、何から逃げようとしているのかを。

自分が撒いた種――エリナとの噂、そして彼女の入学がもたらすであろう残酷な未来。

それが私を追い詰め、ここまで脆弱にさせたのだという事実を、彼は正確に飲み込んだ。

「君を……これ以上、矢面に立たせるわけにはいかない」

カシリアの声は低く、そして力強かった。

「俺が作った原因だ。……俺が責任を持って、君を守る盾を用意する」

「完璧な言い訳を考える。誰も君を責められない、誰も君を疑わない、鉄壁の理由を」

それは王太子としての権力行使の宣言であり、同時に、私との契約の言葉でもあった。

「……ありがとうございます……」

安堵で、再び涙が溢れそうになる。

これで、少しだけ猶予ができる。

処刑台への階段を上る足を、一時的に止めることができる。

たとえそれが、根本的な解決にはならない、ただの先延ばしであったとしても。

今の私には、それだけが唯一の救いだった。

カシリアは私の涙を親指で拭い、その手を離さなかった。