罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

殿下の視線は、虚空を彷徨い続けていた。

焦点の定まらない瞳は、目前の光景ではなく、どこか遠い過去か、あるいは悪夢の残滓を映しているかのようだった。

組まれた指先が微かに震え、時折痙攣するように強く絡み合う。

私は窓の外へと視線を逃がし、流れる街並みを目に焼き付けながら、これからの舞台で演じるべき台詞を反芻していた。

馬車が停車し、扉が開かれる。

「カシリア・メニア王子殿下、リリス・タロシア嬢、ご入場!」

衛兵の朗々とした声音が高らかに宣言された。

シャンデリアの光が溢れるガヴァンリ伯爵邸のエントランス。

足を踏み入れた瞬間、会場を満たしていた談笑のさざ波が、驚愕の沈黙へと変わり、次いで大きなうねりとなって押し寄せた。

「え……王子殿下が、なぜここに?」

「まさか、このような私的な宴に顔を出されるとは」

「やはり、リリス様が来ているからでは?」

囁き交わされる推測、好奇の視線、そして羨望の溜息。

それらはスポットライトのように私たちを照らし出し、望まぬ主役の座へと押し上げる。

人々の推測は、半分だけ正しく、そして致命的に間違っていた。

本来、殿下がこの場に姿を見せる予定など存在しなかった。

王太子という公的な存在が、一介の伯爵令嬢の祝いの席に顔を出すことは、政治的な意味を持ちすぎる。

それでも今回、殿下がこの場にいるのは、ファティーナが学生会副会長に就任したという名目が、辛うじて体裁を保っていたからに過ぎない。

そして何より――彼自身が、私という「壊れかけた人形」を一人にすることを恐れた結果なのだ。

「殿下、リリス様。ようこそお越しくださいました」

本日の主役、ファティーナが蝶のように軽やかに駆け寄ってくる。

真新しいドレスに身を包み、頬を紅潮させた彼女は、純粋な歓喜そのものだった。

「お二人をお迎えできて、本当に光栄ですわ」

その視線は一瞬だけ殿下に向けられ、すぐに私の顔に留まった。

瞳の奥で輝くのは、「仲睦まじい二人」を見守る友愛の色。

……どうやら、盛大な誤解をしているらしい。

私が殿下に守られているのではなく、愛されているのだと。

「殿下も、ファティーナ様が副会長に就任されたことを大変喜んでいらっしゃるのです。それで本日、多忙な公務の合間を縫って、わざわざ足を運ばれたのですよ。……ね、殿下?」

私は扇子で口元を隠し、首を傾げて殿下に話を振った。

その動作は計算され尽くしたものであり、声色は甘く、親密さを演出するのに十分な湿度を含んでいた。

殿下は、ハッとしたように瞬きをした。

虚ろだった瞳に、微かな理性の光が戻る。

彼は私の意図を即座に汲み取り、王太子としての仮面を被り直した。

「……ああ、そうだ。副会長就任、おめでとう。これから共に学院をより良くしていこう」

滑らかな声。

けれど、その表情筋はどこか強張っており、笑顔は薄氷のように脆い。

殿下は背後の侍従に合図を送り、ベルベットの小箱を受け取った。

「これはオレからだ。ささやかだが、祝いの品として受け取ってほしい」

差し出されたのは、王都でも指折りの宝飾店の刻印が入った小箱。

きっと、私を待たせていた間に、侍従に命じて急いで用意させたのだろう。

その手回しの良さが、今は酷く痛々しい。

「まあ!ありがとうございます、殿下!家宝にいたします!」

ファティーナは感激し、大袈裟なほど深く一礼した。

続いて私も、用意していた贈り物を渡す。

「私からはこちらを。……雪の結晶を模したものですわ」

「素敵!リリス様、ありがとうございます!」

歓声が上がり、周囲の令嬢たちが集まってくる。

「さすがリリス様、センスが素晴らしいですわ」

「殿下とお揃いでいらっしゃるなんて、まるで物語のようです」

口々に浴びせられる称賛。

流行のドレスの色、次期学生会の活動予定、最近のオペラの評判。

中身のない、けれど華やかで無害な言葉たちが、シャンパンの泡のように浮かんでは消えていく。

私は微笑み、頷き、適度な相槌を打つ。

心臓が腐り落ちていようとも、私の身体は完璧に「公爵令嬢」としての機能を果たしていた。

一方で、殿下は高位貴族たちに囲まれていた。

「殿下、例の国境警備の件ですが……」

「来月の予算委員会について、少々お耳に入れたいことが……」

ハイエナのような貴族たちが、王太子の時間を奪い合っている。

殿下は彼らに囲まれながら、機械的に頷いていたが、その横顔には隠しきれない疲労と、魂の不在が滲んでいた。

「リリス様……少し、よろしいですか?」

不意に、ファティーナが私の腕に触れ、声を潜めた。

扇子で口元を隠し、そっと耳元へ顔を寄せてくる。

「今日の殿下、どこか様子がおかしくありません?……なんだか、ひどく気落ちしているように見えて」