タロシア公爵邸、東棟の角部屋。
豪華な家具が並ぶその部屋は、本当なら大事なお客さんをもてなすための客室だ。
でも今、そこはまるで一匹の猛獣の遊び場になっていた。
怪我が治ったエリナ・タロシアは、部屋の真ん中で椅子にふんぞり返っている男を見下ろした。
ラペオ帝国の第三王子、コリンダだ。
彼は行儀悪く足をテーブルに乗せ、カゴから取ったリンゴをかじりながら、ニヤニヤと笑っている。
「……おい。なんだその顔は」
エリナは低い声でうなった。
手には、練習用の木剣を握っている。
コリンダはリンゴをごくりと飲み込むと、鼻で笑った。
「いやなに。……剣の達人気取りの公爵令嬢様も、ずいぶん腕がなまったなと思ってね」
彼はエリナの構えをアゴで指した。
「腰が浮いてるぜ。……妹の心配ばっかりして、肝心の剣の練習をサボってたんじゃないか?」
「なっ……!」
エリナのこめかみにピキッと青筋が浮かんだ。
図星だったのだ。
リリスのこと、お父様のこと、それにこの男との「契約」のことで頭がいっぱいで、剣の練習をする時間はすっかり減っていた。
コリンダは面白そうに目を細め、さらにチクチクと嫌味を言った。
「どうせ、女としての幸せを捨てて剣に生きていくつもりだろうけど。……その剣すらダメになったら、お前には何が残るんだ?」
彼は立ち上がってエリナの目の前まで歩み寄ると、わざと挑発するようにささやいた。
「ただの、行き遅れの筋肉ダルマか?」
プツン、と何かが切れる音がした。
エリナの中で、我慢の糸がブチッと切れたのだ。
「……上等だよ」
彼女はそうつぶやくと、握りしめていた木剣を床にポイッと放り投げた。
カラン、と乾いた音が響く。
コリンダは目を丸くした。
剣士が剣を捨てるなんて、思ってもみないことだったからだ。
「あ?」
「筋肉ダルマだと? ……だったら、その筋肉の恐ろしさを教えてやるよ!」
エリナは叫ぶと、ケモノみたいに吠えながら地面を蹴った。
剣の技も、貴族のマナーも、お嬢様らしさも、全部かなぐり捨てた体当たりだ。
それはまるで、獲物に突進するイノシシのようだった。
「おい、まっ……!?」
コリンダが身構えるヒマもなかった。
エリナの肩が、彼のみぞおちにズドンと突き刺さる。
「ぐふっ!?」
コリンダの口から息が漏れ、二人はもつれ合って床に倒れ込んだ。
高価なじゅうたんの上をゴロゴロと転がり、テーブルの脚にぶつかって止まった。
「この野郎! 離せ!」
「離すもんか! お前が泣いて謝るまで、絞め落としてやる!」
エリナはコリンダの上に馬乗りになって、胸ぐらをつかんで激しく揺さぶった。
コリンダも負けじとエリナの腕をつかみ、ひっくり返そうとバタバタ暴れる。
それは立派な戦いなんかじゃなくて、ただの子供のケンカか、野良犬同士のじゃれ合いみたいだった。
でも、エリナの力は普通の人よりずっと強い。
彼女は暴れるコリンダを力ずくで押さえ込むと、自分の頭を大きく振りかぶった。
「星でも見てな!」
ゴチンッ!!
鈍くて重い音が、部屋中に響き渡った。
エリナの全力の頭突きが、コリンダの鼻にモロにぶつかった瞬間だった。
「ぎゃあっ!!」
コリンダは悲鳴を上げて、両手で顔を押さえながらのたうち回る。
エリナもまた、自分のおでこを押さえてうずくまった。
「い、いったぁ……! 硬すぎだろ、お前の頭!」
「お前の石頭が……凶器なんだよ……ッ!」
コリンダは涙目でエリナをにらみつけたけど、その鼻からはツツーッと血が流れている。
エリナのおでこも赤く腫れ上がって、まるでツノが生えたみたいになっていた。
二人はお互いのみっともない顔を見合わせて、数秒黙った後、どちらからともなく吹き出した。
「ぶっ……あはははは! なんだその顔! 鼻血出てるぞ、王子様!」
「うるせえ! お前こそ、お岩さんみたいに腫れてんぞ!」
コリンダもお腹を抱えて笑い出した。
「くくっ……ははは! まさか剣を捨てて頭突きしてくるとはな。……とんだお姫様だ」
「うるさい。……勝てばいいんだよ、勝てば」
エリナは笑い涙を拭いて、床に大の字に寝転がって天井を見上げた。
胸のモヤモヤがすっかり晴れたみたいに、心が軽い。
隣ではコリンダも同じように大の字になって、息を整えていた。
「……悪くないな」
コリンダがポツリとつぶやいた。
「お前みたいな女、国にもいなかったぜ。……退屈しなさそうだ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
エリナはニカッと笑って、ズキズキ痛むおでこを撫でた。
部屋には、二人のバカバカしい笑い声だけが、いつまでも響いていた。
豪華な家具が並ぶその部屋は、本当なら大事なお客さんをもてなすための客室だ。
でも今、そこはまるで一匹の猛獣の遊び場になっていた。
怪我が治ったエリナ・タロシアは、部屋の真ん中で椅子にふんぞり返っている男を見下ろした。
ラペオ帝国の第三王子、コリンダだ。
彼は行儀悪く足をテーブルに乗せ、カゴから取ったリンゴをかじりながら、ニヤニヤと笑っている。
「……おい。なんだその顔は」
エリナは低い声でうなった。
手には、練習用の木剣を握っている。
コリンダはリンゴをごくりと飲み込むと、鼻で笑った。
「いやなに。……剣の達人気取りの公爵令嬢様も、ずいぶん腕がなまったなと思ってね」
彼はエリナの構えをアゴで指した。
「腰が浮いてるぜ。……妹の心配ばっかりして、肝心の剣の練習をサボってたんじゃないか?」
「なっ……!」
エリナのこめかみにピキッと青筋が浮かんだ。
図星だったのだ。
リリスのこと、お父様のこと、それにこの男との「契約」のことで頭がいっぱいで、剣の練習をする時間はすっかり減っていた。
コリンダは面白そうに目を細め、さらにチクチクと嫌味を言った。
「どうせ、女としての幸せを捨てて剣に生きていくつもりだろうけど。……その剣すらダメになったら、お前には何が残るんだ?」
彼は立ち上がってエリナの目の前まで歩み寄ると、わざと挑発するようにささやいた。
「ただの、行き遅れの筋肉ダルマか?」
プツン、と何かが切れる音がした。
エリナの中で、我慢の糸がブチッと切れたのだ。
「……上等だよ」
彼女はそうつぶやくと、握りしめていた木剣を床にポイッと放り投げた。
カラン、と乾いた音が響く。
コリンダは目を丸くした。
剣士が剣を捨てるなんて、思ってもみないことだったからだ。
「あ?」
「筋肉ダルマだと? ……だったら、その筋肉の恐ろしさを教えてやるよ!」
エリナは叫ぶと、ケモノみたいに吠えながら地面を蹴った。
剣の技も、貴族のマナーも、お嬢様らしさも、全部かなぐり捨てた体当たりだ。
それはまるで、獲物に突進するイノシシのようだった。
「おい、まっ……!?」
コリンダが身構えるヒマもなかった。
エリナの肩が、彼のみぞおちにズドンと突き刺さる。
「ぐふっ!?」
コリンダの口から息が漏れ、二人はもつれ合って床に倒れ込んだ。
高価なじゅうたんの上をゴロゴロと転がり、テーブルの脚にぶつかって止まった。
「この野郎! 離せ!」
「離すもんか! お前が泣いて謝るまで、絞め落としてやる!」
エリナはコリンダの上に馬乗りになって、胸ぐらをつかんで激しく揺さぶった。
コリンダも負けじとエリナの腕をつかみ、ひっくり返そうとバタバタ暴れる。
それは立派な戦いなんかじゃなくて、ただの子供のケンカか、野良犬同士のじゃれ合いみたいだった。
でも、エリナの力は普通の人よりずっと強い。
彼女は暴れるコリンダを力ずくで押さえ込むと、自分の頭を大きく振りかぶった。
「星でも見てな!」
ゴチンッ!!
鈍くて重い音が、部屋中に響き渡った。
エリナの全力の頭突きが、コリンダの鼻にモロにぶつかった瞬間だった。
「ぎゃあっ!!」
コリンダは悲鳴を上げて、両手で顔を押さえながらのたうち回る。
エリナもまた、自分のおでこを押さえてうずくまった。
「い、いったぁ……! 硬すぎだろ、お前の頭!」
「お前の石頭が……凶器なんだよ……ッ!」
コリンダは涙目でエリナをにらみつけたけど、その鼻からはツツーッと血が流れている。
エリナのおでこも赤く腫れ上がって、まるでツノが生えたみたいになっていた。
二人はお互いのみっともない顔を見合わせて、数秒黙った後、どちらからともなく吹き出した。
「ぶっ……あはははは! なんだその顔! 鼻血出てるぞ、王子様!」
「うるせえ! お前こそ、お岩さんみたいに腫れてんぞ!」
コリンダもお腹を抱えて笑い出した。
「くくっ……ははは! まさか剣を捨てて頭突きしてくるとはな。……とんだお姫様だ」
「うるさい。……勝てばいいんだよ、勝てば」
エリナは笑い涙を拭いて、床に大の字に寝転がって天井を見上げた。
胸のモヤモヤがすっかり晴れたみたいに、心が軽い。
隣ではコリンダも同じように大の字になって、息を整えていた。
「……悪くないな」
コリンダがポツリとつぶやいた。
「お前みたいな女、国にもいなかったぜ。……退屈しなさそうだ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
エリナはニカッと笑って、ズキズキ痛むおでこを撫でた。
部屋には、二人のバカバカしい笑い声だけが、いつまでも響いていた。
