罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

夜のタロシア公爵邸。

重厚な玄関の扉が開き、カストとミカレンが疲れ切った足取りで入ってきた。

二人は一日中、タロシア家の親戚筋の貴族たちからの文句や突き上げに対応していたのだ。

けれど、玄関ホールで待っていた私の姿を見ると、二人の顔からすっと疲れが消え去った。

「リリス。無事に帰ってきたんだね」

カストは目を赤くし、ミカレンもまた口元を手で覆ってその場に泣き崩れた。

その後、私たちは大食堂へと移動した。

私、カシリア殿下、カスト、ミカレン、エリナお姉様、そしてコリンダ王子の六人で、大きな長いテーブルを囲む。

テーブルには温かいスープと焼き立てのパン、そして柔らかい肉料理が並べられた。

誰かが声を荒らげることも、冷たい視線をぶつけ合うこともない。

ただ、温かい料理の美味しそうな香りと、静かな息遣いだけが部屋を満たしている。

それは、私が前世からずっと憧れていた、穏やかでごく普通の、家族の夕食の風景だった。

食事が一段落した頃、ミカレンが静かに席を立った。

彼女の顔には、深い後悔と申し訳なさが浮かんでいた。

「リリス様……。今日は、お話ししなければならないことがあるんです」

ミカレンは私の目を真っ直ぐに見つめ、深く頭を下げた。

「カスト様と話し合いました。親戚の方々からの反発も強くて……やはり、エリナにタロシア公爵の座を継がせるという話は、なかったことにします」

彼女の声は、小さく震えていた。

「私たちは、ただこのお屋敷の片隅で、普通に暮らしていければそれで十分なんです。私の浅はかな行いで、リリス様にどれだけ辛い思いをさせてしまったか……。本当に、申し訳ありませんでした」

ミカレンの謝罪を聞いて、エリナお姉様も静かに頷いた。

公爵という莫大な権力や利益を手放すことへの未練は、二人の顔には少しもなかった。

「いいえ」

私はミカレンの言葉を優しく遮った。

「お姉様こそ、タロシア公爵の座にふさわしいと、私は思っていますよ」

私の言葉に、ミカレンとエリナお姉様が同時に驚いて目を見開いた。

「私は、王太子妃として王室に入ります。そうなれば、このタロシア邸へ戻ってこられる時間は、すごく少なくなってしまいますから」

私はカシリア殿下の顔を一度見つめてから、再びミカレンへと視線を戻した。

「ですから、お母様。お父様のことは、どうかよろしくお願いしますね」

「……お、母様……?」

ミカレンの口から、掠れた声がこぼれる。

ミカレンの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

彼女は両手で顔を覆い、肩を震わせて泣きじゃくった。

私が初めて正式的に彼女を「お母様」と呼んだこと。

そのことが、彼女の心にあった重い罪悪感を優しく溶かしていったのだ。

「リリス……ありがとう。本当に……」

カストもまた、目頭を押さえて言葉を詰まらせていた。

「お母様、泣かないでください。せっかくの美味しいお料理が冷めてしまいますよ」

私が微笑みかけると、ミカレンはハンカチで涙を拭い、なんとか笑顔を作ってくれた。

「ええ……。そうですね。リリス様、このスープ、もう少し召し上がりますか?」

「はい、いただきます。とっても美味しいです」

温かいスープが、冷えていた私の胃の奥をじんわりと温めてくれる。

「リリス。その……本当に、私が公爵を継いでもいいのか?」

エリナお姉様が、まだ信じられないといった顔で聞いてきた。

「ええ、お姉様。お姉様の真っ直ぐな強さこそ、これからのタロシア家には必要なものですよ」

「でも、私は政治とか、そういう難しいことは全然分からなくて……」

「安心してください。優秀な補佐を付ければ大丈夫ですし、必要な時は私が王宮からサポートしますから」

私の言葉に、エリナお姉様の顔がパッと明るくなった。

「本当か! リリスが手伝ってくれるなら、百人力だな」

「ええ。いつでも頼ってくださいね、お姉様」

「おい、リリス。俺のことも頼むぜ」

コリンダ王子が、お肉を頬張りながら口を挟んできた。

「お前が王室に入るなら、俺とエリナの結婚のことも、王家にうまく口利きしてくれよな」

「コリンダ王子。それは、お姉様への誠意次第ですね」

私が少し意地悪く微笑むと、コリンダ王子は軽く肩をすくめた。

「任せろ。俺は手に入れた獲物は、絶対に大事にする主義だからな」

「コリンダ! リリスの前で変なことを言うな!」

エリナお姉様が顔を真っ赤にして、コリンダ王子の腕をバシッと叩く。

その賑やかなやり取りを見て、みんなの間に楽しげな笑い声が弾けた。

「カシリア殿下。リリスのことを、どうかよろしくお願いいたします」

カストが、カシリア殿下に向かって深く頭を下げた。

「ああ。リリスのことは、オレの命に代えても守り抜くよ。タロシア家のことは心配しなくていい」

カシリア殿下は静かに、けれど力強くそう答えてくれた。

「もったいないお言葉です。リリスは、私たちにとってかけがえのない娘ですから……」

ミカレンが、とても優しい眼差しを私に向けてくれた。

その視線には、もう遠慮も怖れも少しもなかった。

「リリス様。今度、一緒に街へお買い物に行きませんか?」

ミカレンが、少し恥ずかしそうにそう提案してくれた。

「お買い物、ですか?」

「はい。王太子妃になられる前に、もっと色々なものを見て、楽しんでいただきたいんです」

「それはいいな。私も行くぞ!」

エリナお姉様も身を乗り出してきた。

「ふふっ……。はい。三人でお出かけしましょう。とっても楽しそうです」

家族みんなで街を歩く。

そんな当たり前のような未来が、今の私にはとてもキラキラと眩しく感じられた。

夜が少しずつ更けていく。

暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てながら、部屋を赤く暖かく照らしている。

「今日は、本当に良い日だなぁ」

カストがワイングラスを傾けながら、しみじみと息を吐いた。

「ええ、お父様」

私はカシリア殿下と目を合わせて、静かに微笑んだ。

かつては憎しみ合い、血を流し合った人たちが、今こうして一つの食卓を囲んで笑い合っている。

過去の傷が、完全に消えるわけじゃない。

けれど、こうして前を向いて、新しい絆を築いていくことはできるのだ。

温かい紅茶のホッとする香りが、私の中に残っていた最後の冷たさを、すっかり溶かし去っていった。