罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

リリスの身体がビクッと強張り、ナミスの腕の中で小さく息を呑む音が響いた。

ひんやりとした石造りの部屋に、衣擦れの音が微かに重なる。

ナミスは、薄紫のドレス越しにリリスの細い背中と腰を両腕で力強く抱きすくめ、自分の胸元へと引き寄せたまま離そうとしない。

その力強い腕は、リリスがこれ以上自分を責める言葉を口にするのを、有無を言わさず塞いでいた。

彼はリリスの桜色の髪に視線を落とし、低く、けれど確かな熱を帯びた声で耳元に直接語りかける。

「僕は、ずっと見てきたんです。リリス様がどれほど素晴らしい方なのかを」

その言葉は、冷え切った部屋の空気を震わせた。

リリスは目を丸くし、睫毛に溜まっていた涙がふるふると揺れる。

「どこの誰ともわからない異母姉が突然公爵家にやってきても、リリス様はご自分の気持ちを押し殺して、お父様のために無理にでも受け入れようとされていたじゃないですか」

ナミスの言葉が、彼女が心の奥底に鍵をかけていた過去の記憶を、一つ一つ優しく紐解いていく。

「王家からの援助が理不尽に減らされて、どんなに苦しい状況に追い込まれても、リリス様は決して文句を言わず、この辺境の領地をなんとかしようと必死に頑張っておられたじゃないですか」

ナミスの声に、ぐっと熱がこもる。

彼から伝わってくる高い体温が、薄いドレスの生地をすり抜けて、リリスの冷たい肌へと染み込んでくる。

「貴族たちがみんな、自分のことばかり考えて領地のお金を奪っていくこの世界で。リリス様は自分の身を守るんじゃなく、領民たちの生活を一番に考えて、最後には大切なお母様の形見まで売ろうとされた」

彼はそこで一度言葉を切り、深く息を吸い込んだ。

「こんなにも尊くて、優しい方が、この世界のどこにいるっていうんですか」

リリスの喉の奥が、ひくっと引き攣る。

薬の鮮やかな魔法が解け、残酷な現実と自己嫌悪に押し潰されそうになっていた頭の中に、ナミスの言葉が強烈な光となって打ち込まれる。

「それは……」

言い返そうと開いた唇からは、かすれた息の音しか出ない。

でも、ナミスはそんな隙さえ与えなかった。

彼女の背中を抱きしめる腕の力を、もう一段階ぎゅっと強める。

「誰が何を言おうと。王都の貴族たちがどう思おうと」

ナミスの声には、一点の迷いもなかった。

「僕は、一生、リリス様の味方です」

彼の吐息が、リリスの首筋に優しく触れる。

「だから、ご自分のことを、悪い女だなんて絶対に言わないでください」

彼の声が少しだけ低くなり、苦しそうな響きを帯びた。

「そんな言葉を聞くのは……僕が、悲しいんです」

その真っ直ぐな肯定が、リリスの胸の奥でカチカチに固まっていた絶望の塊を、ゆっくりと溶かしていく。

彼女はナミスの肩に顔を押し当てたまま、何度も瞬きをした。

言い返す気力も、自分を卑下する理屈も、彼の熱の前ではどうでもよくなっていた。

冷たい石の部屋の中で、二人だけの静寂が落ちる。

ナミスの硬い胸当ての感触と、そこから伝わってくるトクトクという心臓の音、そして包み込まれるような体温だけを、ただただ感じていた。

冷え切った身体に注がれるその熱は、意識がとろけてしまいそうなくらい、心地いい。

薬がもたらすあの暴力的で偽物の幸せとは違う、静かで、確かな安心感が、指先から胸の奥へと広がっていく。

数分が経ち、ナミスが少しだけ身じろぎした。

抱きしめていた腕の力を、そっと緩めようとする。

その瞬間。

リリスの指先が、無意識にナミスの背中のマントをきつく握りしめていた。

布がぎりっと引き攣れる音がする。

リリス自身も、自分の指先がこんなにも強い力で彼を引き留めようとしていることに、一瞬ハッとした。

でも、その指を離すことはできない。

今、この身体を包み込んでくれている確かな温もりがなくなって、またあの冷たい空気と静けさの中に一人きりで取り残されたら、薬の切れた心は今度こそ粉々に砕け散ってしまう。

暗闇に戻ることへの強烈な恐怖が、彼女の理性をあっさりと吹き飛ばした。

ナミスは腕を緩めるのをやめ、そのまま彼女を抱き留め続ける。

リリスは彼の胸当てに額をこすりつけるようにして、浅い呼吸を何度か繰り返した。

唇をかすかに震わせ、静けさの中に細い声を落とす。

「……ねえ、ナミス」

声は、弱く、震えていた。

「今夜だけでいいの」

瞳からまた一滴の涙がこぼれ落ちて、ナミスの肩口を濡らす。

「もう少し……一緒にいてもいい?」

これは、リリスからの三度目の告白。

すべてを失くした私が縋り付く、みっともない、けれど純粋な願いだった。