冷めた紅茶の苦味を噛み締めながら、私は思考を巡らせた。
焦る必要はない。
殿下の愛など、最初から期待していなかったはずだ。
目的はただ一つ。
前世と同じ破滅を避けること。
そして――あの泥棒猫エリナに、甘い汁を吸わせないこと。
エリナが輝いたあの瞬間を、私が奪えばいい。
単純で、残酷な結論。
私は仮面を被り直し、努めて公的な声色を作った。
「殿下。生徒会選挙の後、新入生への剣術指導を導入してはいかがでしょう?」
殿下が顔を上げる。
私は畳み掛けるように続けた。
「殿下の剣技が優れていることは周知の事実ですが、他の生徒があまりに貧弱では、王国の威厳に関わります。それに……昨今の誘拐事件。私自身、身をもって痛感いたしました。自分の身を守る術を知らぬことが、どれほどの恐怖か」
誘拐被害者という立場すら利用する。
浅ましいと笑わば笑え。
「殿下が指導されれば、生徒たちの士気も高まるでしょう。もちろん、私も参加させていただきたく存じます」
どう?これなら文句はないでしょう。
あなたの愛しいエリナの出番は、私がすべて塗り潰してあげる。
黒い愉悦が、胸のつかえを少しだけ溶かした。
「……悪くない提案だ」
殿下は短く頷いた。
「カリキュラムは私が組もう。君の言う通り、護身は必要だ」
「ありがとうございます、殿下」
完璧な淑女の笑みで応える。
これで決まりだ。
だが、会話が途切れた瞬間、再び重苦しい沈黙が降りてきた。
空気の粒子までもが凍りついたような静寂。
前世の記憶が脳裏を過る。
エリナと話す時の殿下は、あんなにも雄弁で、楽しげだった。
なぜ私だと、こうも会話が続かない?
私には、人を楽しませる何かが欠落しているのだろうか。
認めよう。
私はつまらない女なのだ。
美しく、優秀で、けれど空っぽな人形。
早くここを出なくては。
窒息しそうだ。
「リリス」
「殿下」
声が重なった。
一瞬、殿下の瞳に微かな動揺が走ったように見えた。
「……どうぞ、殿下から」
私は促す。
彼は口を開きかけ、何かを言い淀み、そして静かに目を伏せた。
「……いや。なんでもない」
その諦めたような吐息が、胸にチクリと刺さる。
何を言おうとしたの?
昨夜のこと?ナミスのこと?
それとも、私への失望の言葉?
聞くのが怖くて、私は逃げるように立ち上がった。
「明日のテストに備え、勉強に戻らせていただきます。本日はありがとうございました」
「ああ……わかった」
休憩室を出ると、廊下の冷たい空気が肌に触れた。
私は、また逃げたのだ。
その後の授業は、水槽の外から眺める景色のように現実味がなかった。
教師の声も、必死にノートを取る生徒たちの熱気も、すべてが遠い。
明日のテスト内容など、前世ですでに知っている。
未来を知っていることの優越感。
けれど、未来を知っていてもなお、愛される方法だけがわからないという絶望感。
私はただ、時間が過ぎ去るのを待つだけの亡霊のようだった。
放課後の鐘と共に、私は馬車へ乗り込む。
学院と屋敷を往復するだけの、単調で贅沢な牢獄生活。
友人もいない。
恋人もいない。
あるのは、過去の怨念と、未来への恐怖だけ。
生まれ変わったというのに、私は何一つ成長していない。
ただ、傷つくことを恐れて牙を剥く、臆病な獣のままだ。
屋敷に着くと、ロキナが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま。……父上は?」
わかりきった問いを口にする。
これは、自分を傷つけるための儀式だ。
「旦那様は、まだお戻りではありません。お仕事がお忙しいようで……」
ロキナの困ったような顔。
違うわ、ロキナ。
仕事なんかじゃない。
父上は今頃、あの森の奥の別邸で、ミカレンとエリナに囲まれて笑っているのよ。
私という「失敗作」のことなど忘れて、本当の家族と団欒だんらんを楽しんでいるの。
「そうね……仕方ないわ」
私は仮面を貼り付けたまま微笑んだ。
「きっと、もう少ししたら落ち着くわ。……そう信じているの」
「はい。お嬢様が生徒会長になられれば、きっと旦那様もお喜びになって、早くお帰りになりますよ」
ロキナの励ましが、空虚に響く。
私がどれだけ優秀な成績を収めても、父上が私を見ることはない。
その残酷な真実を知っているのは、世界で私だけだ。
「ええ。そうね」
私は嘘をつき、自室への階段を上った。
孤独な夜が、また始まる。
焦る必要はない。
殿下の愛など、最初から期待していなかったはずだ。
目的はただ一つ。
前世と同じ破滅を避けること。
そして――あの泥棒猫エリナに、甘い汁を吸わせないこと。
エリナが輝いたあの瞬間を、私が奪えばいい。
単純で、残酷な結論。
私は仮面を被り直し、努めて公的な声色を作った。
「殿下。生徒会選挙の後、新入生への剣術指導を導入してはいかがでしょう?」
殿下が顔を上げる。
私は畳み掛けるように続けた。
「殿下の剣技が優れていることは周知の事実ですが、他の生徒があまりに貧弱では、王国の威厳に関わります。それに……昨今の誘拐事件。私自身、身をもって痛感いたしました。自分の身を守る術を知らぬことが、どれほどの恐怖か」
誘拐被害者という立場すら利用する。
浅ましいと笑わば笑え。
「殿下が指導されれば、生徒たちの士気も高まるでしょう。もちろん、私も参加させていただきたく存じます」
どう?これなら文句はないでしょう。
あなたの愛しいエリナの出番は、私がすべて塗り潰してあげる。
黒い愉悦が、胸のつかえを少しだけ溶かした。
「……悪くない提案だ」
殿下は短く頷いた。
「カリキュラムは私が組もう。君の言う通り、護身は必要だ」
「ありがとうございます、殿下」
完璧な淑女の笑みで応える。
これで決まりだ。
だが、会話が途切れた瞬間、再び重苦しい沈黙が降りてきた。
空気の粒子までもが凍りついたような静寂。
前世の記憶が脳裏を過る。
エリナと話す時の殿下は、あんなにも雄弁で、楽しげだった。
なぜ私だと、こうも会話が続かない?
私には、人を楽しませる何かが欠落しているのだろうか。
認めよう。
私はつまらない女なのだ。
美しく、優秀で、けれど空っぽな人形。
早くここを出なくては。
窒息しそうだ。
「リリス」
「殿下」
声が重なった。
一瞬、殿下の瞳に微かな動揺が走ったように見えた。
「……どうぞ、殿下から」
私は促す。
彼は口を開きかけ、何かを言い淀み、そして静かに目を伏せた。
「……いや。なんでもない」
その諦めたような吐息が、胸にチクリと刺さる。
何を言おうとしたの?
昨夜のこと?ナミスのこと?
それとも、私への失望の言葉?
聞くのが怖くて、私は逃げるように立ち上がった。
「明日のテストに備え、勉強に戻らせていただきます。本日はありがとうございました」
「ああ……わかった」
休憩室を出ると、廊下の冷たい空気が肌に触れた。
私は、また逃げたのだ。
その後の授業は、水槽の外から眺める景色のように現実味がなかった。
教師の声も、必死にノートを取る生徒たちの熱気も、すべてが遠い。
明日のテスト内容など、前世ですでに知っている。
未来を知っていることの優越感。
けれど、未来を知っていてもなお、愛される方法だけがわからないという絶望感。
私はただ、時間が過ぎ去るのを待つだけの亡霊のようだった。
放課後の鐘と共に、私は馬車へ乗り込む。
学院と屋敷を往復するだけの、単調で贅沢な牢獄生活。
友人もいない。
恋人もいない。
あるのは、過去の怨念と、未来への恐怖だけ。
生まれ変わったというのに、私は何一つ成長していない。
ただ、傷つくことを恐れて牙を剥く、臆病な獣のままだ。
屋敷に着くと、ロキナが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま。……父上は?」
わかりきった問いを口にする。
これは、自分を傷つけるための儀式だ。
「旦那様は、まだお戻りではありません。お仕事がお忙しいようで……」
ロキナの困ったような顔。
違うわ、ロキナ。
仕事なんかじゃない。
父上は今頃、あの森の奥の別邸で、ミカレンとエリナに囲まれて笑っているのよ。
私という「失敗作」のことなど忘れて、本当の家族と団欒だんらんを楽しんでいるの。
「そうね……仕方ないわ」
私は仮面を貼り付けたまま微笑んだ。
「きっと、もう少ししたら落ち着くわ。……そう信じているの」
「はい。お嬢様が生徒会長になられれば、きっと旦那様もお喜びになって、早くお帰りになりますよ」
ロキナの励ましが、空虚に響く。
私がどれだけ優秀な成績を収めても、父上が私を見ることはない。
その残酷な真実を知っているのは、世界で私だけだ。
「ええ。そうね」
私は嘘をつき、自室への階段を上った。
孤独な夜が、また始まる。
