罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

ナミスの低く落ち着いた声が、冷え切った執務室に響いた。

私は握っていた羽ペンを止め、机の上に置く。

羊皮紙から顔を上げ、斜め後ろに立つ彼へ視線を向けた。

薬を半錠に減らしたことによる重い倦怠感が、私の四肢を鉛に変えている。

「……どこへ行くつもりなの」

「秘密ですが、試していただきたいことがあります」

彼は一歩前に進み、軽く頭を下げた。

外に出る意欲など、私には残されていない。

極彩色の光を失った灰色の視界の中で、ただひたすらに数字を追いかけることだけが、今の私を繋ぎ止めている。

だが、彼の真っ直ぐな瞳が私を捉え続けていた。

私が絶望の淵にいた時から、私を見捨てず、禁忌の薬を手に入れるために汚れ仕事を引き受けてくれた彼。

私の足枷となる重力を微かに引き剥がす力が、彼の言葉にはあった。

「……いいわ」

私は椅子からゆっくりと立ち上がり、机の端に手を突いて体を支えた。

馬車の車輪が石畳の音から土を擦る音へと変わり、やがて停止した。

扉が開き、ナミスが私をエスコートして外へ導く。

降り立った場所は、ガーナー領の郊外に広がる荒野だった。

乾いた風が吹き抜け、私の灰色のドレスの裾を揺らす。

周囲には背の低い草がまばらに生え、遠くには灰色の山肌が見えるだけだ。

私の視線の先には、一頭の大きな栗毛の馬が繋がれていた。

「ここで……何をするの」

「乗馬です」

ナミスは馬の横に立ち、手綱を軽く握った。

「乗馬……え? 私が?」

私は目を見開き、馬の背の高さと、その隆起した筋肉を見上げた。

タロシア公爵家の令嬢として馬車に乗ることはあっても、自ら馬に跨る機会など皆無であった。

四本足の獣は、私の頭より遥かに高い位置で首を振っている。

「本当に、私乗っていいの……?」

「僕が守りますから、ご安心ください」

ナミスの声には、迷いが一切含まれていなかった。

ナミスが私に歩み寄り、両手で私の腰をしっかりと支えた。

私は彼の力に導かれるまま、左足を鐙に掛け、鞍の上に体を持ち上げた。

瞬間、視界が急激に跳ね上がる。

足が地面から完全に離れ、空中に投げ出された状態。

私は反射的に鞍の前部を両手で強く握りしめた。

馬が鼻を鳴らし、前足を小さく動かす。

その僅かな振動が、鞍を通して私の全身に直接伝わってくる。

「怖い……」

声が微かに震える。

私が抱えていた幻聴や絶望といった病的な恐怖とは違う。

落ちれば骨が折れるという、純粋で物理的な恐怖。

ナミスは手綱を引き、ゆっくりと歩き始めた。

馬の四肢が動くたび、私の体は前後左右に大きく、そして不規則に揺さぶられる。

「姿勢を正し、力を抜いてください。馬の動きに身を任せるのです」

下からナミスの声が届く。

私は彼の言葉に従おうとするが、背筋を伸ばすことでさらに重心が高くなり、恐怖が増す。

鞍を握る指先が白く変色し、関節が痛みを伴う。

ガタガタと続く不規則な振動。

冷たい風が頬を打ち、桜色の髪が乱れて視界を遮る。

落ちるかもしれない。

その強烈な物理的危機感が、私の思考を強制的に上書きしていく。

薬が足りないことへの絶望や、自分が廃人であるという自己否定が入り込む隙間が、恐怖によって削り取られていく。

心臓が激しく肋骨を打ち据え、浅かった呼吸が深くなる。

血流が速まり、冷え切っていた指先に熱が戻り始める。

私は目を大きく見開き、前方の荒野を直視した。

極彩色ではない、乾いた土の色。

だが、その土の粒や、揺れる草の葉の形が、先ほどよりも鮮明に目に飛び込んでくる。

これが、乗馬……?