「キンコンカンコン」
チャイムの音が、処刑の合図のように響いた。
昼休み。
逃げ場のない時間が始まる。
私は教科書を閉じ、素早く席を立とうとしたが、甘い香水の匂いが四方から退路を塞いだ。
「リリス様!明日のテスト、頑張りましょうね!」
「今日のランチはリリス様のお好きなビーフシチューですわ。ご一緒によろしいでしょう?」
「ねえ、私たちリリス様のノートを拝見したいのですけれど……」
極彩色のドレスを纏った令嬢たちが、色とりどりの小鳥のように群がってくる。
普段なら、この程度の「友情ごっこ」は完璧な笑顔で捌けるはずだった。
けれど今日だけは、彼女たちの甲高い声が、脳髄に直接響く不快なノイズにしか聞こえない。
「……ええ。ありがとう。皆様とご一緒できて光栄だわ」
張り付いたような笑顔を作り、私は彼女たちの波に飲まれるように食堂へ向かった。
長テーブルを占拠した私たちの周りには、好奇心という名の猛獣がひしめいている。
どうでもいいゴシップ、誰かの悪口、流行りのドレス。
空虚な会話のキャッチボールを続けるだけで、精神が削られていく。
酷く疲れる。
体の芯が冷えているのに、手足だけが熱い。
「そういえばリリス様、昨日街のアクセサリー店にいらっしゃいました?」
無邪気な問いかけが、私の心臓を凍らせた。
フォークを持つ手がピタリと止まる。
「……え?」
心拍数が跳ね上がり、視界がぐらりと揺れる。
見られた?誰に?どこで?
アクセサリー店の前で?老婆に倒された瞬間を?それとも、あの路地裏へ消える姿を?
目撃者がいれば、私の「完璧な公爵令嬢」という仮面は粉々に砕け散る。
誘拐されかけた、無様な公爵令嬢。
そんな噂が広まれば、社交界での死を意味する。
「あ、あの……私も友人と店におりまして、リリス様のお姿をお見かけしたような……」
少女の瞳に、悪意はない。
ただの好奇心だ。
それが余計に恐ろしい。
冷たい汗が背中を伝う。
息が詰まる。
動揺を悟られてはいけない。
何か、何か言わなければ。
「ええ……そうよ。友人のプレゼントを選んでいたの」
乾いた喉から、何とか言葉を絞り出す。
「ファティーナ様の誕生日ですね!リリス様は何を選ばれたのですか?」
「ええっと……ルビーのアクセサリーよ。彼女には赤が似合うと思って」
咄嗟についた嘘だった。
ルビーなら、私の家にはありふれている。
無難な答えのはずだ。
「ええっ!?ルビーですって!?」
周囲がどよめき、好奇の視線が一斉に私に突き刺さる。
「さすがリリス様!素材だけで金貨数枚は下りませんわ!」
「王室御用達の工房でオーダーメイドされたのですか?」
「すごいわ、完成品を見るのが楽しみです!」
しまった。
私の感覚と、彼女たちの感覚がズレている。
公爵家にとってありふれた石でも、学生にとっては高嶺の花なのだ。
嘘が嘘を呼び、収拾がつかなくなっていく。
胃の腑が締め付けられ、吐き気が込み上げる。
「あ、あのね、そんな大層なものでは……」
弁明しようとする声が震える。
「それにしても、昨日のリリス様は素敵でしたわ!」
別の少女が、興奮した様子で身を乗り出した。
嫌な予感がする。
やめて。
それ以上言わないで。
「私、見たのです!夜遅くに、王家のドレスをお召しになって、殿下の馬車に乗られるリリス様を!」
カシャン。
誰かが食器を落とす音がした。
一瞬の静寂の後、食堂は爆発したような悲鳴と歓声に包まれた。
「王家のドレス!?」
「殿下とご一緒だったのですか!?」
「やっぱり、お二人はそういうご関係だったのですね!」
「詳しく教えてくださいませ、リリス様!」
耳鳴りがする。
視界が白く明滅する。
どう説明すればいい?
殿下と密会?違う。
ダンスの練習?嘘だとバレる。
襲われたから?言えるわけがない。
逃げ場がない。
全方位から突きつけられる無邪気な刃が、私の喉元に迫る。
呼吸ができない。
酸素が足りない。
誰か、助けて――
「リリス。少し、いいか」
喧騒を切り裂くように、低く、凛とした声が響いた。
水を打ったように静まり返る食堂。
全ての視線が、その一点に集まる。
カシリア殿下が、氷のような瞳で群衆を見下ろしながら、私の方へと歩み寄ってきていた。
チャイムの音が、処刑の合図のように響いた。
昼休み。
逃げ場のない時間が始まる。
私は教科書を閉じ、素早く席を立とうとしたが、甘い香水の匂いが四方から退路を塞いだ。
「リリス様!明日のテスト、頑張りましょうね!」
「今日のランチはリリス様のお好きなビーフシチューですわ。ご一緒によろしいでしょう?」
「ねえ、私たちリリス様のノートを拝見したいのですけれど……」
極彩色のドレスを纏った令嬢たちが、色とりどりの小鳥のように群がってくる。
普段なら、この程度の「友情ごっこ」は完璧な笑顔で捌けるはずだった。
けれど今日だけは、彼女たちの甲高い声が、脳髄に直接響く不快なノイズにしか聞こえない。
「……ええ。ありがとう。皆様とご一緒できて光栄だわ」
張り付いたような笑顔を作り、私は彼女たちの波に飲まれるように食堂へ向かった。
長テーブルを占拠した私たちの周りには、好奇心という名の猛獣がひしめいている。
どうでもいいゴシップ、誰かの悪口、流行りのドレス。
空虚な会話のキャッチボールを続けるだけで、精神が削られていく。
酷く疲れる。
体の芯が冷えているのに、手足だけが熱い。
「そういえばリリス様、昨日街のアクセサリー店にいらっしゃいました?」
無邪気な問いかけが、私の心臓を凍らせた。
フォークを持つ手がピタリと止まる。
「……え?」
心拍数が跳ね上がり、視界がぐらりと揺れる。
見られた?誰に?どこで?
アクセサリー店の前で?老婆に倒された瞬間を?それとも、あの路地裏へ消える姿を?
目撃者がいれば、私の「完璧な公爵令嬢」という仮面は粉々に砕け散る。
誘拐されかけた、無様な公爵令嬢。
そんな噂が広まれば、社交界での死を意味する。
「あ、あの……私も友人と店におりまして、リリス様のお姿をお見かけしたような……」
少女の瞳に、悪意はない。
ただの好奇心だ。
それが余計に恐ろしい。
冷たい汗が背中を伝う。
息が詰まる。
動揺を悟られてはいけない。
何か、何か言わなければ。
「ええ……そうよ。友人のプレゼントを選んでいたの」
乾いた喉から、何とか言葉を絞り出す。
「ファティーナ様の誕生日ですね!リリス様は何を選ばれたのですか?」
「ええっと……ルビーのアクセサリーよ。彼女には赤が似合うと思って」
咄嗟についた嘘だった。
ルビーなら、私の家にはありふれている。
無難な答えのはずだ。
「ええっ!?ルビーですって!?」
周囲がどよめき、好奇の視線が一斉に私に突き刺さる。
「さすがリリス様!素材だけで金貨数枚は下りませんわ!」
「王室御用達の工房でオーダーメイドされたのですか?」
「すごいわ、完成品を見るのが楽しみです!」
しまった。
私の感覚と、彼女たちの感覚がズレている。
公爵家にとってありふれた石でも、学生にとっては高嶺の花なのだ。
嘘が嘘を呼び、収拾がつかなくなっていく。
胃の腑が締め付けられ、吐き気が込み上げる。
「あ、あのね、そんな大層なものでは……」
弁明しようとする声が震える。
「それにしても、昨日のリリス様は素敵でしたわ!」
別の少女が、興奮した様子で身を乗り出した。
嫌な予感がする。
やめて。
それ以上言わないで。
「私、見たのです!夜遅くに、王家のドレスをお召しになって、殿下の馬車に乗られるリリス様を!」
カシャン。
誰かが食器を落とす音がした。
一瞬の静寂の後、食堂は爆発したような悲鳴と歓声に包まれた。
「王家のドレス!?」
「殿下とご一緒だったのですか!?」
「やっぱり、お二人はそういうご関係だったのですね!」
「詳しく教えてくださいませ、リリス様!」
耳鳴りがする。
視界が白く明滅する。
どう説明すればいい?
殿下と密会?違う。
ダンスの練習?嘘だとバレる。
襲われたから?言えるわけがない。
逃げ場がない。
全方位から突きつけられる無邪気な刃が、私の喉元に迫る。
呼吸ができない。
酸素が足りない。
誰か、助けて――
「リリス。少し、いいか」
喧騒を切り裂くように、低く、凛とした声が響いた。
水を打ったように静まり返る食堂。
全ての視線が、その一点に集まる。
カシリア殿下が、氷のような瞳で群衆を見下ろしながら、私の方へと歩み寄ってきていた。
