日が完全に落ち、ガーナー領の領主館の食堂には壁掛けの燭台の火が揺らいでいた。
長い木机の上には、幾つもの木皿と杯が並べられている。
出された食事は、硬い黒パンと、少量の塩とハーブで煮込まれた根菜の汁。
そして、薄く切断された豚肉の塩漬けのみ。
王都の貴族が口にするような豪華な晩餐とは程遠い、辺境の地の質素な糧食だ。
カシリア殿下は、タロシア家の騎士の暗灰色の革鎧を身につけたまま、私の隣の席に腰を下ろしていた。
卓を囲むのは、ザロをはじめとするタロシア家の私兵たち。
彼らは普段の冷静さを欠き、頬を紅潮させていた。
「カシリア殿下、そしてリリス様。お二方と共に卓を囲めること、我ら騎士にとって生涯忘れ得ぬ名誉であります」
ザロが杯を両手で持ち上げ、声を上擦らせて言った。
他の騎士たちも一斉に立ち上がり、深く頭を下げる。
私は木製の杯を手に取り、静かに立ち上がった。
「皆の働きがなければ、この領地の復興は成し得ませんでしたわ。今日は殿下もご一緒です。存分に英気を養ってちょうだい」
私の声は滑らかで、薬がもたらす極彩色の感情が言葉の端々に乗っていた。
騎士たちの目に、純粋な敬愛の光が灯る。
彼らは一斉に杯を掲げ、木の乾いた音が食堂に響いた。
カシリア殿下は、自分の前に置かれた木皿の上の黒パンと、脂の浮いた煮込み汁に視線を落としていた。
彼の眉間が微かに寄る。
王宮の専属料理人が作る、香辛料をふんだんに使った精緻な料理に慣れた舌には、これはただの餌に等しい代物だろう。
殿下は顔を上げ、私の顔をじっと見つめた。
「リリス…君は毎日、このように騎士たちと同じものを食べているのか?」
彼の声には、抑えきれない驚きの色が混じっていた。
私は手に持った硬い黒パンを少し千切り、口に運ぶ。
薬の効力により、麦の粗末な味が、私の舌の上で何倍にも豊かに感じられる。
咀嚼し、飲み込んだ後、私は彼に向かって微笑んだ。
「ええ。皆が私を守り、共にこの地を支えてくれています。ですから、食事くらいは同じものを共にしたいのですわ」
リリスの言葉に、一切の淀みはない。
薬がリリスの精神の全ての角を削り落とし、完璧な慈愛の形を持たせている。
カシリア殿下の瞳が、わずかに見開かれる。
王都の華やかな舞踏会で見せていた、冷たく整った作り物の令嬢。
その虚像が完全に崩れ去り、泥と汗にまみれた辺境の地で、部下と共に粗末な飯を食らう真の指導者の姿が、彼の目には映っているのだろう。
彼がリリスに向ける視線の温度が、明確に一段階上がったのを感じた。
食事が終わり、騎士たちがそれぞれの持ち場へと戻っていく。
食堂には、片付けを行う使用人たちの静かな足音だけが響いていた。
リリスは席を立ち、ドレスの裾を整えた。
「殿下、長旅と本日のご視察、お疲れ様でございました。客間をご用意しておりますわ」
私が一礼して背を向けようとした時、彼が私の手首を軽く掴んだ。
その手は、革の手袋越しでも確かな熱を持っている。
私は動きを止め、彼を振り返った。
「明日、少し遠回りしないか」
殿下の声は低く、平素の王太子としての威厳よりも、個人的な感情が強く滲んでいた。
「視察ではなく。二人きりで、君を連れていきたい場所があるんだ」
彼の言葉が耳に届いた瞬間、私の心臓が不規則に跳ねた。
二人きり。
エリナのことだろうか。
それとも、婚約破棄の正式な通達か。
彼がエリナを庇い、私に嘘の手紙を送ってきた事実が、一瞬だけ鋭い刃となって胸の奥を突き刺そうとする。
過去の絶望と恐怖が、思考の底から湧き上がろうとした。
しかし、その直後。
金色の錠剤の成分が、すべてを極彩色の光で塗り潰した。
不安も恐怖も、すべてが暖かな多幸感の中に溶けて消え去っていく。
「はい、殿下。喜んでお供いたしますわ」
私の口角は自然に上がり、弾むような声が喉から零れ落ちた。
長い木机の上には、幾つもの木皿と杯が並べられている。
出された食事は、硬い黒パンと、少量の塩とハーブで煮込まれた根菜の汁。
そして、薄く切断された豚肉の塩漬けのみ。
王都の貴族が口にするような豪華な晩餐とは程遠い、辺境の地の質素な糧食だ。
カシリア殿下は、タロシア家の騎士の暗灰色の革鎧を身につけたまま、私の隣の席に腰を下ろしていた。
卓を囲むのは、ザロをはじめとするタロシア家の私兵たち。
彼らは普段の冷静さを欠き、頬を紅潮させていた。
「カシリア殿下、そしてリリス様。お二方と共に卓を囲めること、我ら騎士にとって生涯忘れ得ぬ名誉であります」
ザロが杯を両手で持ち上げ、声を上擦らせて言った。
他の騎士たちも一斉に立ち上がり、深く頭を下げる。
私は木製の杯を手に取り、静かに立ち上がった。
「皆の働きがなければ、この領地の復興は成し得ませんでしたわ。今日は殿下もご一緒です。存分に英気を養ってちょうだい」
私の声は滑らかで、薬がもたらす極彩色の感情が言葉の端々に乗っていた。
騎士たちの目に、純粋な敬愛の光が灯る。
彼らは一斉に杯を掲げ、木の乾いた音が食堂に響いた。
カシリア殿下は、自分の前に置かれた木皿の上の黒パンと、脂の浮いた煮込み汁に視線を落としていた。
彼の眉間が微かに寄る。
王宮の専属料理人が作る、香辛料をふんだんに使った精緻な料理に慣れた舌には、これはただの餌に等しい代物だろう。
殿下は顔を上げ、私の顔をじっと見つめた。
「リリス…君は毎日、このように騎士たちと同じものを食べているのか?」
彼の声には、抑えきれない驚きの色が混じっていた。
私は手に持った硬い黒パンを少し千切り、口に運ぶ。
薬の効力により、麦の粗末な味が、私の舌の上で何倍にも豊かに感じられる。
咀嚼し、飲み込んだ後、私は彼に向かって微笑んだ。
「ええ。皆が私を守り、共にこの地を支えてくれています。ですから、食事くらいは同じものを共にしたいのですわ」
リリスの言葉に、一切の淀みはない。
薬がリリスの精神の全ての角を削り落とし、完璧な慈愛の形を持たせている。
カシリア殿下の瞳が、わずかに見開かれる。
王都の華やかな舞踏会で見せていた、冷たく整った作り物の令嬢。
その虚像が完全に崩れ去り、泥と汗にまみれた辺境の地で、部下と共に粗末な飯を食らう真の指導者の姿が、彼の目には映っているのだろう。
彼がリリスに向ける視線の温度が、明確に一段階上がったのを感じた。
食事が終わり、騎士たちがそれぞれの持ち場へと戻っていく。
食堂には、片付けを行う使用人たちの静かな足音だけが響いていた。
リリスは席を立ち、ドレスの裾を整えた。
「殿下、長旅と本日のご視察、お疲れ様でございました。客間をご用意しておりますわ」
私が一礼して背を向けようとした時、彼が私の手首を軽く掴んだ。
その手は、革の手袋越しでも確かな熱を持っている。
私は動きを止め、彼を振り返った。
「明日、少し遠回りしないか」
殿下の声は低く、平素の王太子としての威厳よりも、個人的な感情が強く滲んでいた。
「視察ではなく。二人きりで、君を連れていきたい場所があるんだ」
彼の言葉が耳に届いた瞬間、私の心臓が不規則に跳ねた。
二人きり。
エリナのことだろうか。
それとも、婚約破棄の正式な通達か。
彼がエリナを庇い、私に嘘の手紙を送ってきた事実が、一瞬だけ鋭い刃となって胸の奥を突き刺そうとする。
過去の絶望と恐怖が、思考の底から湧き上がろうとした。
しかし、その直後。
金色の錠剤の成分が、すべてを極彩色の光で塗り潰した。
不安も恐怖も、すべてが暖かな多幸感の中に溶けて消え去っていく。
「はい、殿下。喜んでお供いたしますわ」
私の口角は自然に上がり、弾むような声が喉から零れ落ちた。
