薄暗い路地を抜け、闇医者は足早に大通りへと向かった。
僕は気配を殺し、建物の影に身を隠しながら一定の距離を保ち続ける。
革鞄を抱えた小柄な背中が、ガーナー領の活気づく市場の喧騒へと吸い込まれていく。
荷馬車が行き交い、労働者たちの太い声が飛び交う中、男は巧妙に人々の間を縫うように進む。
僕は足早に後を追い、人混みを掻き分けた。
しかし、角を曲がった先で、あの地味な外套の姿は完全に周囲の色彩に溶け込んでいた。
足跡も、衣擦れの音も、人々のざわめきに掻き消されている。
僕は立ち止まり、握りしめた拳を石壁に押し付けた。
手の甲の骨が硬い感触を拾い、鈍い痛みが走る。
追跡は失敗に終わった。
あの薬の出所、その背後にある組織の正体を突き止める手がかりが、完全に断たれた。
領主館の屋敷へ戻る道中、僕の足取りは重かった。
靴底が石畳を擦る音が、異様に大きく響く。
リリス様の部屋にある、小さな硝子瓶を思い描く。
今日手に入れた、十四錠の鈍い金色の錠剤。
あの小さな粒が、彼女の精神を支配し、異常なまでの多幸感を与えている。
僕はかつて、彼女が落とした欠片を口にしたことがある。
しかし、僕には何の変化も起きなかった。
健康な精神を持つ者には作用せず、深く傷ついた心にのみ劇的な効果をもたらすのだろうか。
それとも、あの時の量が少なすぎたのか。
僕は屋敷の廊下を歩きながら、自室の扉を見つめた。
リリス様から一錠だけ薬を貰い受け、完全に飲み下せば、その正体が判明するかもしれない。
それが単なる治療薬なのか、それとも魂を腐らせる危険な麻薬なのか。
真実を知らなければならないという使命感が、僕の足を前へと進めさせる。
自室の木椅子に腰を下ろし、僕は両手を膝の上で組んだ。
指先が冷たく、脈打つ感覚がない。
もし、あの薬が麻薬であった場合、僕はどうするべきか。
真実を突き止め、それをリリス様に報告する。
それは忠義ある騎士としての正しい行いのはずだ。
しかし、その後の光景を想像した瞬間、僕の呼吸が浅くなった。
誇り高きタロシア公爵令嬢である彼女が、自分が危険な薬物に依存し、それに操られていたと知った時、何が起きるか。
彼女の強固なプライドは完全に粉砕される。
薬を断つことを選び、再びあの地獄のような苦しみが彼女を襲う。
幻聴に苛まれ、冷たい床を這い回り、自身の存在価値を否定し続ける日々。
その苦痛に耐えきれず、彼女は再び死を選ぶかもしれない。
僕は固く目を閉じ、額を両手で覆った。
真実を告げることは、彼女を死へ追いやる行為に他ならない。
偽りの多幸感であろうと、彼女は今、確かに微笑んでいる。
領地を導き、僕に穏やかな言葉をかけ、生きる喜びを見出している。
それを奪う権利が、僕にあるのだろうか。
それは、果たして正しい行いと呼べるのだろうか。
偽りの幸福に満たされ、輝く笑顔で生き続ける彼女の姿。
真実の絶望に打ちのめされ、冷たい骸となる彼女の姿。
どちらが、彼女にとっての救済なのか。
僕には、もうわからない。
真実を突き止める勇気が、僕にはなかった。
僕はただ、このどうしようもない現実から目を逸らし、彼女が与えてくれる偽りの光の中で、彼女の騎士を演じ続けることしかできない。
無力感が、重い鉛となって僕の全身に沈み込んでいく。
そして、何事もなかったかのようにリリスの執務室の前に立ち、扉を叩いた。
「リリス様、休憩の時間です。お茶をお持ちしました」
僕は気配を殺し、建物の影に身を隠しながら一定の距離を保ち続ける。
革鞄を抱えた小柄な背中が、ガーナー領の活気づく市場の喧騒へと吸い込まれていく。
荷馬車が行き交い、労働者たちの太い声が飛び交う中、男は巧妙に人々の間を縫うように進む。
僕は足早に後を追い、人混みを掻き分けた。
しかし、角を曲がった先で、あの地味な外套の姿は完全に周囲の色彩に溶け込んでいた。
足跡も、衣擦れの音も、人々のざわめきに掻き消されている。
僕は立ち止まり、握りしめた拳を石壁に押し付けた。
手の甲の骨が硬い感触を拾い、鈍い痛みが走る。
追跡は失敗に終わった。
あの薬の出所、その背後にある組織の正体を突き止める手がかりが、完全に断たれた。
領主館の屋敷へ戻る道中、僕の足取りは重かった。
靴底が石畳を擦る音が、異様に大きく響く。
リリス様の部屋にある、小さな硝子瓶を思い描く。
今日手に入れた、十四錠の鈍い金色の錠剤。
あの小さな粒が、彼女の精神を支配し、異常なまでの多幸感を与えている。
僕はかつて、彼女が落とした欠片を口にしたことがある。
しかし、僕には何の変化も起きなかった。
健康な精神を持つ者には作用せず、深く傷ついた心にのみ劇的な効果をもたらすのだろうか。
それとも、あの時の量が少なすぎたのか。
僕は屋敷の廊下を歩きながら、自室の扉を見つめた。
リリス様から一錠だけ薬を貰い受け、完全に飲み下せば、その正体が判明するかもしれない。
それが単なる治療薬なのか、それとも魂を腐らせる危険な麻薬なのか。
真実を知らなければならないという使命感が、僕の足を前へと進めさせる。
自室の木椅子に腰を下ろし、僕は両手を膝の上で組んだ。
指先が冷たく、脈打つ感覚がない。
もし、あの薬が麻薬であった場合、僕はどうするべきか。
真実を突き止め、それをリリス様に報告する。
それは忠義ある騎士としての正しい行いのはずだ。
しかし、その後の光景を想像した瞬間、僕の呼吸が浅くなった。
誇り高きタロシア公爵令嬢である彼女が、自分が危険な薬物に依存し、それに操られていたと知った時、何が起きるか。
彼女の強固なプライドは完全に粉砕される。
薬を断つことを選び、再びあの地獄のような苦しみが彼女を襲う。
幻聴に苛まれ、冷たい床を這い回り、自身の存在価値を否定し続ける日々。
その苦痛に耐えきれず、彼女は再び死を選ぶかもしれない。
僕は固く目を閉じ、額を両手で覆った。
真実を告げることは、彼女を死へ追いやる行為に他ならない。
偽りの多幸感であろうと、彼女は今、確かに微笑んでいる。
領地を導き、僕に穏やかな言葉をかけ、生きる喜びを見出している。
それを奪う権利が、僕にあるのだろうか。
それは、果たして正しい行いと呼べるのだろうか。
偽りの幸福に満たされ、輝く笑顔で生き続ける彼女の姿。
真実の絶望に打ちのめされ、冷たい骸となる彼女の姿。
どちらが、彼女にとっての救済なのか。
僕には、もうわからない。
真実を突き止める勇気が、僕にはなかった。
僕はただ、このどうしようもない現実から目を逸らし、彼女が与えてくれる偽りの光の中で、彼女の騎士を演じ続けることしかできない。
無力感が、重い鉛となって僕の全身に沈み込んでいく。
そして、何事もなかったかのようにリリスの執務室の前に立ち、扉を叩いた。
「リリス様、休憩の時間です。お茶をお持ちしました」
