リリスは石畳の上を歩を進めた。
靴底が鳴る音は均等な間隔を刻んでいる。
陽が西へ傾き、赤銅色の光がガーナー領の街並みを長く引き伸ばしていく。
彼女の桜色の髪が風に揺れ、夕日に染まって輝きを放つ。
領主館の重厚な扉を潜り抜けると、冷ややかな空気が頬に触れた。
「皆様、本日の作業もご苦労様でした」
広間に集まっていた騎士たちや役人に向かい、リリスは微笑みを向けた。
その声は澄み渡り、疲れを感じさせない響きを持っている。
机に広げられた図面を指先でなぞりながら、明日の資材配置や労働者の割り当てを流れるように指示していく。
薬がもたらす極彩色の視界は、夕暮れの暗さの中でも一切の曇りを見せない。
複雑な数字の羅列が脳内で瞬時に組み上がり、最善の解答として口から紡がれる。
タロシア家の騎士たちが一斉に頭を下げ、ザロが感嘆の息を漏らす。
「リリス様の采配には、常に驚かされます」
リリスは口角を上げ、静かに頷いた。
脳を包み込む温かい陶酔感が、自らの能力への絶対的な自信を後押ししている。
一切の不安もない。
この偽りの万能感が、永遠に続くと信じて疑わない。
執務を終えた後、リリスは騎士たちと共に長い木机を囲んだ。
ランプの火が揺らぎ、木製の杯が触れ合う音が響く。
焼いた肉の脂の匂いと、麦を煮込んだ汁の香りが鼻をくすぐる。
「いやはや、今日もリリス様のお働きには感服いたしました」
ザロが杯を置き、口元を布で拭いながら言った。
ザロや他の騎士たちの顔がぱっと明るくなり、場に和やかな空気が満ちる。
彼らの視線には、純粋な敬意と親愛の色が宿っていた。
私を守ってくれる人たちがいる。
ただ十銀貨を支払うだけで、この完全な安らぎと喜びが手に入るのだ。
リリスは杯を口に運び、冷たい水をゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。
食事が終わり、騎士たちがそれぞれの持ち場へ戻っていく。
廊下の壁掛け燭台の火が、石壁に長い影を落としている。
リリスは自室へ向かう途中、数歩後ろを歩くナミスを振り返った。
「ナミス、少し時間があるかしら」
ナミスは足を止め、深く頭を下げる。
「はい、リリス様。何かご用命でしょうか」
リリスは彼に近づき、声を潜めた。
「明日のことよ。午後の書類整理が終わったら……一緒にピクニックに行きたいの」
ナミスの瞳がわずかに見開かれる。
「ピクニック、ですか」
「ええ。二人きりで、人のいない静かな場所へ行きたいわ」
リリスは両手を組み合わせ、ナミスの顔を下から覗き込む。
「どこか、良い場所を知らないかしら」
「騎士と公爵令嬢ではなく、ただの……」
そこまで言いかけて、私は言葉を切った。
ただの何だというのだろう。
その定義は必要ない。
ただ、彼と二人で過ごす穏やかな時間が欲しいだけだ。
ナミスの視線が、私の顔から少しだけ下へ落ちた。
彼の眉間が微かに寄り、唇が固く結ばれる。
数秒の沈黙が二人の間に落ちる。
彼は何を考えているのだろうか。
私の政務の負担を案じているのか、それとも別の理由があるのか。
今の私には、彼の思考の深淵を読み取ることはできない。
ただ、その沈黙が不快ではないことだけが確かだった。
「……承知いたしました」
ナミスはゆっくりと顔を上げ、静かに頷いた。
「……領地から少し離れた南の丘に、花畑があります。今は野菊が咲いている時期かと」
「そこがいいわ」
リリスの声が弾む。
「美味しいものを少し用意して、そこでゆっくり過ごしましょう。お弁当は私が手配するわね」
ナミスはゆっくりと顔を上げる。
「承知いたしました。明日の午後、ご案内いたします」
彼の声は低く、平坦だ。
リリスは彼の顔に浮かぶ微かな翳りに気づくことなく、満面の笑みを浮かべた。
「楽しみね、ナミス」
彼女は背を向け、自室への扉に手をかける。
扉の奥へ消えていく主君の背中を見つめながら、ナミスは固く拳を握りしめた。
あの輝きは、薬がもたらした幻影に過ぎない。
だが、その幻影の中で無邪気に笑う彼女を、僕は止めることができない。
ナミスは冷たい石壁に背を預け、長く、重い息を吐き出した。
靴底が鳴る音は均等な間隔を刻んでいる。
陽が西へ傾き、赤銅色の光がガーナー領の街並みを長く引き伸ばしていく。
彼女の桜色の髪が風に揺れ、夕日に染まって輝きを放つ。
領主館の重厚な扉を潜り抜けると、冷ややかな空気が頬に触れた。
「皆様、本日の作業もご苦労様でした」
広間に集まっていた騎士たちや役人に向かい、リリスは微笑みを向けた。
その声は澄み渡り、疲れを感じさせない響きを持っている。
机に広げられた図面を指先でなぞりながら、明日の資材配置や労働者の割り当てを流れるように指示していく。
薬がもたらす極彩色の視界は、夕暮れの暗さの中でも一切の曇りを見せない。
複雑な数字の羅列が脳内で瞬時に組み上がり、最善の解答として口から紡がれる。
タロシア家の騎士たちが一斉に頭を下げ、ザロが感嘆の息を漏らす。
「リリス様の采配には、常に驚かされます」
リリスは口角を上げ、静かに頷いた。
脳を包み込む温かい陶酔感が、自らの能力への絶対的な自信を後押ししている。
一切の不安もない。
この偽りの万能感が、永遠に続くと信じて疑わない。
執務を終えた後、リリスは騎士たちと共に長い木机を囲んだ。
ランプの火が揺らぎ、木製の杯が触れ合う音が響く。
焼いた肉の脂の匂いと、麦を煮込んだ汁の香りが鼻をくすぐる。
「いやはや、今日もリリス様のお働きには感服いたしました」
ザロが杯を置き、口元を布で拭いながら言った。
ザロや他の騎士たちの顔がぱっと明るくなり、場に和やかな空気が満ちる。
彼らの視線には、純粋な敬意と親愛の色が宿っていた。
私を守ってくれる人たちがいる。
ただ十銀貨を支払うだけで、この完全な安らぎと喜びが手に入るのだ。
リリスは杯を口に運び、冷たい水をゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。
食事が終わり、騎士たちがそれぞれの持ち場へ戻っていく。
廊下の壁掛け燭台の火が、石壁に長い影を落としている。
リリスは自室へ向かう途中、数歩後ろを歩くナミスを振り返った。
「ナミス、少し時間があるかしら」
ナミスは足を止め、深く頭を下げる。
「はい、リリス様。何かご用命でしょうか」
リリスは彼に近づき、声を潜めた。
「明日のことよ。午後の書類整理が終わったら……一緒にピクニックに行きたいの」
ナミスの瞳がわずかに見開かれる。
「ピクニック、ですか」
「ええ。二人きりで、人のいない静かな場所へ行きたいわ」
リリスは両手を組み合わせ、ナミスの顔を下から覗き込む。
「どこか、良い場所を知らないかしら」
「騎士と公爵令嬢ではなく、ただの……」
そこまで言いかけて、私は言葉を切った。
ただの何だというのだろう。
その定義は必要ない。
ただ、彼と二人で過ごす穏やかな時間が欲しいだけだ。
ナミスの視線が、私の顔から少しだけ下へ落ちた。
彼の眉間が微かに寄り、唇が固く結ばれる。
数秒の沈黙が二人の間に落ちる。
彼は何を考えているのだろうか。
私の政務の負担を案じているのか、それとも別の理由があるのか。
今の私には、彼の思考の深淵を読み取ることはできない。
ただ、その沈黙が不快ではないことだけが確かだった。
「……承知いたしました」
ナミスはゆっくりと顔を上げ、静かに頷いた。
「……領地から少し離れた南の丘に、花畑があります。今は野菊が咲いている時期かと」
「そこがいいわ」
リリスの声が弾む。
「美味しいものを少し用意して、そこでゆっくり過ごしましょう。お弁当は私が手配するわね」
ナミスはゆっくりと顔を上げる。
「承知いたしました。明日の午後、ご案内いたします」
彼の声は低く、平坦だ。
リリスは彼の顔に浮かぶ微かな翳りに気づくことなく、満面の笑みを浮かべた。
「楽しみね、ナミス」
彼女は背を向け、自室への扉に手をかける。
扉の奥へ消えていく主君の背中を見つめながら、ナミスは固く拳を握りしめた。
あの輝きは、薬がもたらした幻影に過ぎない。
だが、その幻影の中で無邪気に笑う彼女を、僕は止めることができない。
ナミスは冷たい石壁に背を預け、長く、重い息を吐き出した。
