こんなにも満たされた気持ちを味わうのは、一体何年ぶりだろうか。
薬の効果がもたらした穏やかな多幸感の中、私は霞がかった記憶の道をゆっくりと遡る。
九歳。
あの事故が起こる前。
そうだ、あの頃の私は、確かに幸せだった。
父様の膝の上で、侍女が焼いたばかりの蜂蜜がけのケーキを頬張る。
母様が、私の口の周りについたクリームを指で優しく拭ってくれる。
陽光が降り注ぐ庭園を、三人で手を繋いで散歩した日のこと。
何も心配することなく、ただ笑っていられた日々。
今のこの感覚は、あの頃にとてもよく似ていた。
色褪せていたはずの世界が、生まれたてのように鮮やかに輝いて見える。
ああ、そうだ。
私は、帰ってきたのだ。
失われた楽園に。
『おかえり、リリス』
不意に、耳元で優しい声がした。
母様の声だ。
記憶の中の温かい声。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。
ただ、久しぶりに会う娘を慈しむ、穏やかな日常の響き。
胸の奥が熱くなり、目頭がじんと痺れる。
泣きたいほどの感謝が込み上げてくるはずなのに、不思議と涙は出なかった。
ただ、楽しい。
嬉しい。
幸せだという感情だけが、泉のようにこんこんと湧き上がってくる。
私はゆっくりと振り返り、傍らで私を案ずるように見つめていたナミスへと向き直った。
彼の心配そうな表情さえもが、今は愛おしく、美しい芸術品のように見える。
私はふわりと笑い、ためらうことなく彼に歩み寄った。
そして、その首に両腕を回し、驚きに見開かれる彼の瞳を見つめながら、つま先立ちで背伸びをする。
潤んだ唇が、彼のそれに軽く触れた。
一度だけ、柔らかく押し当てる。
それは挨拶のような、あるいは小鳥が枝に止まるような、ごく自然な仕草だった。
「ありがとう、ナミス」
唇を離し、私は彼の瞳を覗き込みながら言った。
声は弾み、輝いていた。
心の底から湧き上がる、純粋な歓喜の光で。
「おかげで、病気が治ったわ。なんと感謝したらいいのか、わからないくらい」
彼の瞳が、複雑な色を帯びて揺らぐ。
安堵、困惑、そして、私の知らない深い痛みの色。
だが、今の私には、その機微を読み取ることはできなかった。
これは、きっと運命からの祝福なのだ。
私だけに与えられた、ささやかな奇跡。
そうでなければ、この幸福感をどう説明すればいいのだろう。
父様に裏切られ、カシリア殿下に見捨てられ、エリナに全てを奪われた。
地獄の底を這いずり回るような、あの苦しい日々。
それら全ては、この瞬間を迎えるための試練だったに違いない。
神様が、あまりにも哀れな私に、最後のご褒美をくれたのだ。
私を献身的に守り、支えてくれる、たった一人の騎士。
この偽りのない幸福を保証してくれる、安価な魔法の薬。
私はナミスの胸に額を押し付け、満足のため息をついた。
もう、何もいらない。
何も望まない。
今の私には、これ以上求めるものなど、何一つとしてなかった。
薬の効果がもたらした穏やかな多幸感の中、私は霞がかった記憶の道をゆっくりと遡る。
九歳。
あの事故が起こる前。
そうだ、あの頃の私は、確かに幸せだった。
父様の膝の上で、侍女が焼いたばかりの蜂蜜がけのケーキを頬張る。
母様が、私の口の周りについたクリームを指で優しく拭ってくれる。
陽光が降り注ぐ庭園を、三人で手を繋いで散歩した日のこと。
何も心配することなく、ただ笑っていられた日々。
今のこの感覚は、あの頃にとてもよく似ていた。
色褪せていたはずの世界が、生まれたてのように鮮やかに輝いて見える。
ああ、そうだ。
私は、帰ってきたのだ。
失われた楽園に。
『おかえり、リリス』
不意に、耳元で優しい声がした。
母様の声だ。
記憶の中の温かい声。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。
ただ、久しぶりに会う娘を慈しむ、穏やかな日常の響き。
胸の奥が熱くなり、目頭がじんと痺れる。
泣きたいほどの感謝が込み上げてくるはずなのに、不思議と涙は出なかった。
ただ、楽しい。
嬉しい。
幸せだという感情だけが、泉のようにこんこんと湧き上がってくる。
私はゆっくりと振り返り、傍らで私を案ずるように見つめていたナミスへと向き直った。
彼の心配そうな表情さえもが、今は愛おしく、美しい芸術品のように見える。
私はふわりと笑い、ためらうことなく彼に歩み寄った。
そして、その首に両腕を回し、驚きに見開かれる彼の瞳を見つめながら、つま先立ちで背伸びをする。
潤んだ唇が、彼のそれに軽く触れた。
一度だけ、柔らかく押し当てる。
それは挨拶のような、あるいは小鳥が枝に止まるような、ごく自然な仕草だった。
「ありがとう、ナミス」
唇を離し、私は彼の瞳を覗き込みながら言った。
声は弾み、輝いていた。
心の底から湧き上がる、純粋な歓喜の光で。
「おかげで、病気が治ったわ。なんと感謝したらいいのか、わからないくらい」
彼の瞳が、複雑な色を帯びて揺らぐ。
安堵、困惑、そして、私の知らない深い痛みの色。
だが、今の私には、その機微を読み取ることはできなかった。
これは、きっと運命からの祝福なのだ。
私だけに与えられた、ささやかな奇跡。
そうでなければ、この幸福感をどう説明すればいいのだろう。
父様に裏切られ、カシリア殿下に見捨てられ、エリナに全てを奪われた。
地獄の底を這いずり回るような、あの苦しい日々。
それら全ては、この瞬間を迎えるための試練だったに違いない。
神様が、あまりにも哀れな私に、最後のご褒美をくれたのだ。
私を献身的に守り、支えてくれる、たった一人の騎士。
この偽りのない幸福を保証してくれる、安価な魔法の薬。
私はナミスの胸に額を押し付け、満足のため息をついた。
もう、何もいらない。
何も望まない。
今の私には、これ以上求めるものなど、何一つとしてなかった。
