医者は静かに頷き、使い込まれた革鞄を探り始めた。
手つきは慎重で、中から小さな硝子瓶を取り出す。
瓶の中には、金色の薬がいくつか転がっていた。
「これが、その薬です。最高級の品でして、副作用もほぼ見られません」
彼は薄い微笑を浮かべ、硝子瓶を光にかざした。
「一週間分、七錠。今後のご贔屓を願いまして、お安くしておきます。一日一錠で、一錠につき十銀貨頂戴いたします」
私はその数を聞き、頭の中で素早く計算を走らせた。
一ヶ月で三金貨。
タロシア公爵令嬢である私にとっては、取るに足らない端金だ。
一度の夜会のドレス代にも満たない。
しかし、一般の領民や平民にとっては、一年を遊んで暮らせるほどの莫大な金額となる。
貴族でなければ、この薬を長く継続して買い求めることは不可能だろう。
私に資金があることを見越しての価格設定だ。
だが、その程度の出費でこの頭を締め付ける幻聴が止むのなら、安い買い物だった。
私は頷き、購入の意思を示そうと口を開きかけた。
その時、傍らに控えていたナミスが一歩前に出た。
「待て」
低く、鋭い声だった。
私は驚いてナミスを見上げる。
彼の栗色の瞳は、医者の手にある硝子瓶ではなく、医者の顔を鋭く射抜いていた。
「他に、誰に売っているんだ。これは」
その問いには、静かな殺気が混じっている。
医者の微笑がピクリと引きつり、硝子瓶を持つ指先がわずかに硬直した。
「……それは」
医者は視線を落とし、言葉を濁した。
「裏の商売の掟です。顧客の情報を漏らせば、僕の首が飛びます。どうか、ご容赦を」
プロとしての頑なな態度を崩さない。
ナミスの顎の筋肉が引き締まり、拳が固く握られるのが見えた。
「どうしたの、ナミス」
私は彼の袖を軽く引いた。
ナミスは一瞬だけ目を伏せ、すぐに元の穏やかな従者の表情を作って私を振り返った。
「……いいえ。なんでもありません」
口ではそう言いながらも、彼の目にはまだ警戒の色が色濃く残っている。
何か、思い当たることでもあるのだろうか。
少しの不安が胸をよぎる。
医者の態度は不透明で、出処の知れない薬に依存することの危険性は理解している。
けれど、ここで取引を止めるわけにはいかなかった。
表の医者を呼べば、私の精神の崩壊が王都へ報告され、間違いなくカシリア殿下や父様に見捨てられる。
確認する術もないまま、私はただ一つの選択肢に縋るしかなかった。
私は銀貨を数え、医者に手渡した。
硬貨が触れ合う冷たい音が、薄暗い部屋に響く。
医者は恭しく頭を下げ、硝子瓶を卓の上に置いた。
「では、僕はこれで失礼いたします。どうか、お大事に」
彼が立ち上がると同時に、ナミスが無言で背後に回り、厚い黒布で医者の目を覆った。
ガーナー領の屋敷の構造を覚えさせないための処置だ。
「こちらへ」
ナミスは短い声で促し、目隠しをされた医者の腕を取って部屋から連れ出した。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
部屋には、私と卓の上の硝子瓶だけが残された。
窓から差し込む斜陽が、鈍い金色の錠剤を妖しく照らし出している。
私はゆっくりと手を伸ばし、硝子瓶を手に取った。
硝子の冷たさが、手のひらから伝わってくる。
「……幸せを、感じられる薬、か」
手つきは慎重で、中から小さな硝子瓶を取り出す。
瓶の中には、金色の薬がいくつか転がっていた。
「これが、その薬です。最高級の品でして、副作用もほぼ見られません」
彼は薄い微笑を浮かべ、硝子瓶を光にかざした。
「一週間分、七錠。今後のご贔屓を願いまして、お安くしておきます。一日一錠で、一錠につき十銀貨頂戴いたします」
私はその数を聞き、頭の中で素早く計算を走らせた。
一ヶ月で三金貨。
タロシア公爵令嬢である私にとっては、取るに足らない端金だ。
一度の夜会のドレス代にも満たない。
しかし、一般の領民や平民にとっては、一年を遊んで暮らせるほどの莫大な金額となる。
貴族でなければ、この薬を長く継続して買い求めることは不可能だろう。
私に資金があることを見越しての価格設定だ。
だが、その程度の出費でこの頭を締め付ける幻聴が止むのなら、安い買い物だった。
私は頷き、購入の意思を示そうと口を開きかけた。
その時、傍らに控えていたナミスが一歩前に出た。
「待て」
低く、鋭い声だった。
私は驚いてナミスを見上げる。
彼の栗色の瞳は、医者の手にある硝子瓶ではなく、医者の顔を鋭く射抜いていた。
「他に、誰に売っているんだ。これは」
その問いには、静かな殺気が混じっている。
医者の微笑がピクリと引きつり、硝子瓶を持つ指先がわずかに硬直した。
「……それは」
医者は視線を落とし、言葉を濁した。
「裏の商売の掟です。顧客の情報を漏らせば、僕の首が飛びます。どうか、ご容赦を」
プロとしての頑なな態度を崩さない。
ナミスの顎の筋肉が引き締まり、拳が固く握られるのが見えた。
「どうしたの、ナミス」
私は彼の袖を軽く引いた。
ナミスは一瞬だけ目を伏せ、すぐに元の穏やかな従者の表情を作って私を振り返った。
「……いいえ。なんでもありません」
口ではそう言いながらも、彼の目にはまだ警戒の色が色濃く残っている。
何か、思い当たることでもあるのだろうか。
少しの不安が胸をよぎる。
医者の態度は不透明で、出処の知れない薬に依存することの危険性は理解している。
けれど、ここで取引を止めるわけにはいかなかった。
表の医者を呼べば、私の精神の崩壊が王都へ報告され、間違いなくカシリア殿下や父様に見捨てられる。
確認する術もないまま、私はただ一つの選択肢に縋るしかなかった。
私は銀貨を数え、医者に手渡した。
硬貨が触れ合う冷たい音が、薄暗い部屋に響く。
医者は恭しく頭を下げ、硝子瓶を卓の上に置いた。
「では、僕はこれで失礼いたします。どうか、お大事に」
彼が立ち上がると同時に、ナミスが無言で背後に回り、厚い黒布で医者の目を覆った。
ガーナー領の屋敷の構造を覚えさせないための処置だ。
「こちらへ」
ナミスは短い声で促し、目隠しをされた医者の腕を取って部屋から連れ出した。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
部屋には、私と卓の上の硝子瓶だけが残された。
窓から差し込む斜陽が、鈍い金色の錠剤を妖しく照らし出している。
私はゆっくりと手を伸ばし、硝子瓶を手に取った。
硝子の冷たさが、手のひらから伝わってくる。
「……幸せを、感じられる薬、か」
