罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

ここ数日、私は自分が壊れていくのをはっきりと感じていた。

始まりは、些細な違和感だった。

執務室で書類に向かっている時、ふと視線を感じて顔を上げる。

誰もいない。

ただ、重厚なベルベットのカーテンが風もないのに揺れているだけ。

けれど、書類に目を落とした瞬間、背後から囁き声が聞こえるのだ。

『……偽物』

『あれが、あの子の代わり?』

『エリナ様の方が、ずっと愛らしかったわ』

振り返っても、そこには沈黙があるだけ。

だが、その沈黙こそが、私を嘲笑っているように感じられた。

壁の染みが人の顔に見え、床の木目が歪んで私を睨みつける目に見える。

「……誰かいるの?」

虚空に問いかけても、返ってくるのは自分の乾いた声だけ。

それが、何かの呪いなのか、それとも病気なのか。

あるいは、私という人間が芯から腐り落ちていく音なのか、判別がつかない。

ただ確かなのは、ナミスがいないと、この「声」たちが一斉に私を食い殺そうと襲いかかってくるということだけだ。

それでも、私は「聖女」であらねばならなかった。

日中は、ガーナー領の復興を指揮する指導者として、完璧な仮面を被る。

商人たちとの交渉。

領民たちへの労い。

新しい事業の視察。

「素晴らしい提案ですわ」

「皆さんの努力の賜物です」

私の口からは、滑らかに称賛と感謝の言葉が紡ぎ出される。

微笑みは慈愛に満ち、立ち振る舞いは優雅そのものだ。

だが、その内側では、絶え間ない悲鳴が響いている。

早く終わって。見ないで。私を評価しないで

商人の揉み手が、私を引きずり下ろそうとする鉤爪に見える。

領民の感謝の言葉が、「もっと働け、もっと捧げろ」という呪詛に聞こえる。

彼らの瞳に映る私は、カシリア殿下が見ていた私と同じだ。

利用価値があるから崇められているだけの、空っぽの偶像。

一瞬でも気を抜けば、仮面が剥がれ落ち、その下にある醜い素顔が露見してしまうのではないかという恐怖で、胃が裏返りそうだった。

「ねえ、ナミス、私は最近、調子が変わってる、だれか知ってる医者いるの?」

私はナミスの袖を掴んだまま、上目遣いで彼に問いかけた。

指先が小刻みに震えているのが自分でもわかる。

心臓が不規則に早鐘を打ち、冷たい汗が背筋を濡らしていた。

視界が端からぼやけ、世界が歪んで見える。

ナミスは私の手を取り、その震えを自身の両手で包み込むことで止めようとした。

温かい。

けれど、その温もりさえも、今の私にはやがて消えてしまう幻のように思えてならなかった。

「……リリス様」

ナミスは痛ましげに眉を寄せ、私の視線に合わせるように膝を折った。

「医者を、呼びましょうか。……ですが、王都の医師ではカシリア殿下に報告がいく恐れがあります」

「王都はだめ……! カシリア殿下に知られたら、私は……私は捨てられる……」

「落ち着いてください。誰も貴女を捨てたりしません」

彼は否定するが、私の耳には届かない。

頭の中で、何かがきしむ音がする。

硝子の器にひびが入り、今にも砕け散りそうな、甲高い音が。

「……一人では、無理なの」

私はナミスの胸に額を押し付け、懺悔するように呟いた。

「ナミスがいないと、空気が薄くなるの。……誰かが私の首を絞めているみたいに」

昨日は、彼が厨房へ下がった数分の間に、呼吸ができなくなって床に倒れ込んだ。

一昨日は、彼が湯の準備をしている間に、鏡に映った自分の顔がエリナに見えて、手鏡を投げ割ってしまった。

このままでは、私は生活することさえできなくなる。

食事を摂ることも、眠ることも、息をすることさえも、ナミスという補助輪がなければ不可能な、欠陥品になってしまう。

「呪いなの? それとも、私が……だめな生き物だから?」

涙が滲み、ナミスの服に染みを作った。

「違います、リリス様は……ただ、疲れすぎているだけです」

ナミスは私を抱きしめ、子供をあやすように背中を撫でた。

その一定のリズムだけが、乱れた私の鼓動を整えてくれる。

「医者を呼びましょう。……ただし、口の堅い、この土地の者を。……僕が厳選します」

彼は私の髪に口づけを落とし、低い声で誓った。

「ですが、どんな名医の薬よりも……今は僕が、貴女の痛み止めになります」

「ナミス……」

「離れません。貴女が眠るまで、目覚めるまで。……公務の間も、影のように傍にいます。だから……」

彼は私の顎を持ち上げ、潤んだ瞳を覗き込んだ。

そこにあるのは、底知れない暗い情熱と、絶対的な肯定だった。

「安心してください。」