罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

闘技場の中央で、ラペオ帝国の誇る第三王子コリンダは、未だ大地に這いつくばっていた。

両手で股間を固く守り、脂汗に塗れた額を砂に擦り付けるその姿は、数分前に傲岸不遜な態度で勝利を宣言した猛獣の影すら留めていない。

ただの、急所を打たれた哀れな獲物として、喉の奥から獣のような呻き声を漏らすのみであった。

静寂。

観客席を埋め尽くす貴族たちは、瞬きすら忘れ、その光景に見入っていた。

騎士道の欠片もない、路地裏の喧嘩殺法による決着。

彼らの常識というガラス細工は、エリナの蹴り一つで粉々に砕け散っていた。

その静寂を破ったのは、勝者であるエリナの軽やかな足音だった。

彼女は砂を蹴り、苦悶する敗者の元へと歩み寄る。

その顔には、勝利の歓喜も、相手への侮蔑も浮かんでいない。

ただ、怪我をした小動物を気遣うような、純粋で残酷な慈愛だけが宿っていた。

「大丈夫?すごく痛そうだけど」

エリナは屈み込み、汚れた革手袋のまま、コリンダに手を差し伸べた。

その無防備な仕草に、コリンダは充血した目を剥いて彼女を睨み上げた。

「き、きさ……ま……っ!」

言葉にならぬ罵倒。

だがエリナは、それを痛みのせいだと解釈したのか、あろうことか優しく微笑んで見せた。

「次はもっとうまく守ってね!金的は男の子の急所だって、お師匠様も言ってたから。……そこを隙だらけにするなんて、王子様なのに不用心だよ?」

会場の空気が凍りついた。

それは助言という名の、死体蹴りだった。

剣技で圧倒し、実力を見せつけた上で敗北したのなら、まだ言い訳も立つ。

だが、彼女は「不用心」と言い放った。

お前は弱かったから負けたのではなく、ただ間抜けだったから負けたのだと。

その無垢な言葉は、コリンダの中に残っていた最後のプライド――「卑怯な手を使われた」という被害者意識すらも、粉々に粉砕した。

「……ぁ、あぁ……」

コリンダの口から、魂が抜けるような音が漏れた。

彼はガクリと項垂れ、差し出された手を取ることすらできず、ただ絶望の淵に沈んでいった。

「な、なんてことを……!」

「帝国の王子になんという口を……!」

ようやく事態を飲み込んだ貴族たちの間から、非難と動揺のさざ波が広がり始めた。

このままでは、外交問題に発展しかねない。

あるいは、メニア王国の騎士道精神が疑われる事態となる。

その不穏な空気を察知し、カシリアは動いた。

彼は玉座の脇から、悠然とした足取りで階段を下りていく。

その表情には、一切の動揺も、焦りも見られない。

あるのは、すべてを予期し、支配していた者だけが持つ、冷徹な王者の風格のみ。

カシリアは砂塵舞う闘技場の中央へ進み出ると、エリナの隣に立った。

そして、彼女がコリンダに差し出していた手を、自らの手で掴み取った。

「……勝負あった!」

よく通る声が、広大な闘技場の隅々まで響き渡った。

カシリアはエリナの手を高々と掲げ、観衆を見回した。

「見よ!これがメニアの『華』、エリナ・タロシアの実力である!」

「で、殿下!?」

エリナが驚いてカシリアを見上げるが、彼は強くその手を握りしめたまま放さない。

「形式や美学に囚われず、勝利のみを追求する。それこそが、戦場における唯一の答え!……コリンダ王子、貴殿が仰っていた『骨のある奴』とは、まさに彼女のことではないかな?」

カシリアは倒れ伏すコリンダを見下ろし、口角だけで笑った。

それは、昨夜の晩餐会でコリンダが見せた傲慢な笑みを、何倍にも増幅して返す強烈な意趣返しだった。

貴殿は言ったはずだ。

戦場では声の大きさなど役に立たないと。

ならば、どんな手段であれ、立っていた者が勝者であり、這いつくばった者が敗者だ。

その論理を、カシリアは完璧に利用した。

「……ぐ、ぅ……」

コリンダは反論できなかった。

自らの言葉がブーメランとなって突き刺さり、喉を塞いでいるからだ。

「おお……!さすがは殿下!」

「そうだ、勝ったのは我が国だ!」

カシリアの堂々たる宣言に、貴族たちの空気が一変した。

非難の色は消え去り、代わりに自国の勝利を称える熱狂が広がる。

卑怯な勝利も、王太子が認めれば「戦術的勝利」へと昇華される。

これこそが政治であり、権力だ。

カシリアはエリナの手を掲げたまま、心の中で遠い北の空を仰いだ。

見たかい、リリス。……君の書いた脚本は、最高に痛快で、そして最高に残酷だ

拍手と歓声が、雷鳴のように降り注ぐ。

その中心で、何もわかっていないエリナだけが、きょとんとした顔でカシリアを見つめていた。

「私、勝ったんですよね?殿下?」

「ああ、大勝利だ。……君は最高の騎士だよ、エリナ」