罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~

午後の柔らかな陽光が、王家学院の回廊に長い影を落としていた。

石造りの冷たい床を、軽やかな足音が弾むように駆けていく。

エリナは胸元に抱えた一通の封筒を、まるで壊れ物を扱うかのように大切に撫でた。

上質なクリーム色の羊皮紙に、金色の封蝋。

そこには、リリーの花を模した優雅な紋章が押されている。

つい先ほど、見知らぬ下級生から手渡されたものだ。

『ファティーナ様より、エリナ様へ』

そう告げられた時、エリナの胸は高鳴った。

ファティーナ様といえば、社交界でも名の知れた名家の令嬢であり、妹のリリスとも親しかった方だと聞いている。

そんな方が、自分のような者に声をかけてくれた。

エリナは立ち止まり、回廊の窓から差し込む光に封筒を透かしてみた。

微かに薔薇の香りが漂う。

これが、貴族の嗜みなのだろうか。

母が言っていた通りだ。

誠意を持って接すれば、きっと分かってくれる人がいる。

自分がタロシア家の人間として、妹の代わりを務めることを、受け入れてくれる人がいるのだ。

エリナの唇から、自然と笑みがこぼれた。

早く、誰かに伝えたい。

この喜びを、一番に報告したい人の顔が浮かぶ。

彼女は再び走り出した。

規則正しい足音が、静寂な回廊に不釣り合いなほど元気に響き渡った。

王宮の執務室は、重苦しい静寂に支配されていた。

カシリアは机上の書類にペンを走らせていたが、その動きは緩慢だった。

インク壺にペン先を浸すたび、黒い液体が波紋を作る。

それはまるで、彼の心に広がる罪悪感のようだった。

書きかけの手紙の宛名は、リリス・タロシア。

『ガーナー領の復興、順調であるとの報告、嬉しく思う。王都も変わりない』

嘘だ。

王都は変わり果てている。

エリナの出自が露見し、社交界は醜聞と憶測で沸き立っている。

リリスを嘲笑する声と、エリナを好奇の目で見る視線。

その渦中にありながら、彼はリリスに真実を伝えることができない。

真実を伝えれば、彼女が壊れてしまうことを恐れているからだ。

いや、それは言い訳に過ぎない。

本当は、自分がリリスの絶望する顔を見たくないだけなのだ。

「……殿下!」

唐突に、扉がノックもなく開かれた。

カシリアは弾かれたように顔を上げ、反射的に手紙を書類の下へ隠した。

そこには、太陽そのもののような笑顔を浮かべたエリナが立っていた。

息を切らし、頬を紅潮させている。

その輝きは、薄暗い執務室にはあまりにも眩しすぎた。

「エリナか。……ノックをするようにと言ったはずだが」

カシリアは苦笑しながら、隠した手紙の上に肘をついた。

「すみません!でも、どうしても早く見せたくて!」

エリナは駆け寄り、持っていた封筒を机の上に差し出した。

無防備なほどに無垢な仕草。

カシリアは眉をひそめ、その美しい封筒を手に取った。

金色の封蝋。

そして、裏面に記された差出人の名を見た瞬間、彼の背筋に冷たい戦慄が走った。

『ファティーナ・ガヴァンリ』

リリスの親友であり、その崇拝者。

そして、感情的で行動力のある令嬢。

カシリアの脳裏に、最悪の予感が警鐘を鳴らした。

「お茶会に招かれたんです!」

エリナの声が弾む。

「『タロシア家の新たな華として、歓迎いたします』って。……私、嬉しいです。リリスのお友達が、私を認めてくれたみたいで」

カシリアは無言で、封筒の中のカードを取り出した。

流麗な筆記体で綴られた招待状。

言葉の端々に散りばめられた、過剰なほどの敬意と歓迎の言葉。

だが、その行間には、悪意が潜んでいた。

『新たな華』

それは、リリスという『旧き華』を踏みにじった者への皮肉だ。

『歓迎』

それは、獲物を断頭台へと誘う甘い言葉だ。

ファティーナが、エリナを歓迎するはずがない。

これは罠だ。

公衆の面前でエリナを辱め、タロシア家の恥として吊るし上げるための、完璧に設えられた処刑場への招待状だ。

「……エリナ」

カシリアは低い声で呼んだ。

指先が震えそうになるのを、机を握りしめて堪える。

「これを、本気で喜んでいるのか」

「はい!だって、私、貴族のマナーとか全然わからなくて不安だったんです。でも、こうして教えてくださる機会をいただけるなんて」

エリナは目を輝かせて言った。

一点の曇りもない、純粋な信頼。

彼女は知らないのだ。

この美しい紙片が、毒を塗ったナイフであることを。

そして、そのナイフを研いだのが、自分が妹のように思っているリリスを愛する者たちであることを。

カシリアは目を閉じた。

これを止めさせるべきだ。

王太子の権限で、この茶会を中止させることも、エリナに行くなと命じることもできる。

だが、そうすればエリナは傷つくだろう。

自分の善意が否定されたことに。

そして何より、これを止めれば、ファティーナたちはさらに地下に潜り、より陰湿な手段に出るかもしれない。

「……殿下?どうしたんですか?」

エリナが心配そうに顔を覗き込んでくる。

その瞳に映る自分は、酷く情けない顔をしていた。

リリスを守るためにエリナを隠し、今はエリナを守るためにリリスの親友を敵に回そうとしている。

私は、どこまで落ちれば気が済むのだろうか。

カシリアは深呼吸をし、仮面を被り直した。

王太子としての、冷静で、そして残酷な仮面を。

「いや……何でもない。素晴らしい招待状だ」

喉が焼けつくような嘘を吐いた。

「……楽しんでくるといい。ただし、護衛はつけさせてもらうよ」

「本当ですか!ありがとうございます、殿下!」

エリナは満面の笑みで礼を言った。

その笑顔が、カシリアには鋭利な刃物のように痛かった。

彼女が去った後、カシリアは椅子に深く沈み込んだ。

机の上には、隠しきれなかったリリスへの手紙の端が、白く覗いていた。

「……オレは、何も守れていないのか」